あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

いつか飽きる。だから、あれこれ楽しみを探し続ける。

2009-06-25 18:51:41 | 日記

今日の万葉集

一昨日も 昨日も今日も 見つれども 明日さへ見まく 欲しき君かも

一昨日も昨日も今日もお目にかかりましたけれど、さらに明日もまたお目にかかりたいと思うほどに、なんともお慕わしいあなた様です。

こんな解説がありました。熱いですね。若いころの恋心は今も昔も変わらないのでしょうね。恋するとは「一緒にいたい」ことですから、きっとそうなのでしょう。「わかる。わかる」とは言えないけれど、そんなものかなという感じはわかりますね。それにしても、それをこのような和歌にするとは、さすがのですね。これ和歌だから一気に核心に入れるのですね。そこがまたすごい。形式は魔力を生むということでしょうか。

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夕べの風

話し相手の悲しい気持などわかるはずがない。
わかったつもりでも、相手が受け止めている悲しさと同じものだと言えない。
気持ちがそうなら、
頭で考えたことなどわかるはずはない。
でも、わかったことにしないと先に進まないから
わかったような態度をとるのです。
そんなわけのわからないことを考えては
役に立たないことは楽しいのだ
などと負け惜しみが始まります。
だいたい、他人の話を聞くのは
自分の話をする番をじっと待っているからなのです。
カウンセラーは相当の精神力の持ち主ですね。

そんなことを言ったら、真面目な心理学専攻の人に
ぼろくそ言われるでしょうね。
それもいいかも。


夕顔や酔てかほ出す窓の穴   芭蕉

2009-06-25 06:14:48 | 日記
川越の喫茶店

というか食堂
蔵の街で中途半端な店の雰囲気
珈琲だけならと思ったのですが
満員でした。

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夕顔や酔(より)てかほ出す窓の穴   芭蕉

この句にも丁寧な解説がありました。
夕べの薄暗がりの中に夕顔の花が白く浮かび上がり四角の黒い穴をあけている草庵の窓、そこへ主人の微酔をおびた顔がひょいと出る。軽いユーモアのある句。

夕顔が登場するだけでも嬉しくなりますね。
夕顔を見ると夏を感じてしまいます。江戸時代の文人画にも夏の風物として登場しますね。
あったはずのものが身の回りから一つずつ消えていきますね。
そのぶん、新しいものが入ってきているはずなのに気付かないのでしょう。

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朝のひとりごと

あれこれの過去のこだわりを結びなおし
折り合うために綻びを繕う
それが余生でしなければならないことですね。

ちょっとしんみりした気分です。



ちょっと怖い写真ですね

2009-06-24 18:42:01 | 日記

この写真に私が写っているのです。
だからどうこうという話ではないのですが
そうなのです。
包丁を商う店をガラス越しに写したら
ガラスに私が写っていたのです。
このように表に向かって刃物を飾る店って最近見ませんね。
あれこれの取り締まりがうるさいのでしょう。
凶悪犯人が凶器を探しているわけでもないから
まあ、いいか。

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今日の万葉集

故郷の 明日香はあれど おをによし 奈良の明日香を 見らくしよしも

古京の明日香もい所であるが、新京奈良の明日香の里を見るとほんとうにすばらしい。

このような「よいしょ」和歌も万葉集には多いですね。むりやりほめているわけではないでしょうが、政権抗争が激しい時代、自分の態度を明らかにしておかなければないこともあるでしょう。そんなとき、このような歌を披露して、自分の立場を明らかにすることもあっただろうと思います。
それにしても、引っ越し引っ越しで大変だし、都が変わるたびに昇進したり左遷されたり、いろいろですが、大変だったでしょうね。このような都は美しい、素晴らしいと言える人は稀で、幸運だったのですね。そう思いませんか?

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夕べの風

今日は「赤毛のアン」をレンタルしようと思ったのですが、今日も貸し出し中ですした。残念。あのカナダの風景をときどき見たくなるのです。きれいで洒落た家の前で椅子腰掛け編み物をしている。いかにもという感じですね。そんな風景にあってみたいのです。そのDVDと同じ棚に「大草原の小さな家」が並んでいました。懐かしいですね。機会があったら、みましょう。
この「大草原の小さな家」のタイトルを聞いて懐かしいと思えるのは相当の年ですね。

落ちくるやたかくの宿の郭公   芭蕉

2009-06-24 05:37:40 | 日記
川越に出かけたとき見つけた暖簾
写真のネタをどうしようと考えたとき
暖簾を飾る店の雰囲気もいいなあと思いました。
でも、立派な写真集が出ているのですね。
プロに対抗する気などさらさらなく
意欲もなくなりましたが
でも、せっかくだから挑戦してみよう。
その気持ちだけは残っています。

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落ちくるやたかくの宿の郭公   芭蕉

高久の宿に泊まると、宿の名のごとく高い空から郭公の声が落ちて来ることだ。

栃木県那須町の庄屋に宿泊し
翌日殺生石をを訪ねたときの句であるとこの解説がありました。
奥の細道や弟子たちの記録から、このようなことまでわかっているのですね。
そうなると専門家は調べたくなりますね。

栃木県に住んでいたとき、この周辺は車で訪ねたりしましたが、今でも「田舎」の雰囲気がそのままで美しく、素敵な色合いの場所でした。栃木県の観光地をはずれたところもいい雰囲気がありますね。

栃木県は楽しい思い出もいっぱいありました。
いつも思うことですが、いい思い出がある場所の
景色もきまって美しいし、その逆もあるのですね。
苦い思い出はあったけれど景色だけはよかったというのはあまりありませんね。

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朝の風

明るい光
爽やかな風
軽い気分
そんな雰囲気がない
雨模様の朝になりました。
雨の日は寝起きが悪いのです。
ですから、いつもは寝不足状態ですが
雨の日はそこそこ寝すぎですね。
それでちょうどバランスがいいみたいです。

今日は、雨の昭和記念公園の写真を撮りに行こうか
それともじっとしている。

いやじっとしているなどあり得ない。
行く先は足に決めてもらおう。
もちろん、気分にまかせて・・・・・

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退屈に強いのが年寄り

蒸し暑く、息苦しい。そんな一日でしたね。

2009-06-23 20:21:39 | 日記
百草園


東京にはいろいろなところに名所があります。
多摩地区に限っても
青梅には吉川英治記念館があります。
東京の日野市は新撰組ゆかりの人たちを輩出しています。
だから、近藤勇煎餅があるかろうか知れませんが
利用されています。
郷里の偉人をりようしないなどもったいない。
それって、魂胆が見えてません?
だから、どうした?
と言われたら反論できません。
私は彼らの甥でも姪でもありません。

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今日の万葉集

秋野には 今こそ行かめ もののふの 男女(をとこをみな)の 花にほひ見に

花咲き乱れる秋の野に 今こそ出かけてみたいものだ 着飾った官人官女の 花に映えるあでやかな姿をこの目でみるために

こんな解説がありました。平和な時代の男女はあれこれ楽しみがあったのでしょうか。このような機会は数少なかったのかもしれません。
以前、佐倉にある国立民族博物館で平安貴族の日記を見たことがあります。今の政治だけではなく、宮中の行事でぎっしり埋まっており
けっこう忙しいのだなと驚いたことがあります。
本人が主催するものであれば真剣さも違ぬのでしょうが
お付き合いだとすればけっこう大変でしょうね。

この歌は色彩が豊かでざわめきまで聞こえそうですね。

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西欧美術を開くと
イエスはヨーロッパの顔になっています。
どう考えてもイエスは今の中近東の出身ですから
イラク人、あるいはサウジアラビの顔です。
しかし、時代と権力はイエスを白人に置き換えているのです。
だからどうだというわけでもありませんが
ミケランジェロの描く男も女もヨーロッパ人
どこかで何かが捻じ曲げられている。
そんなことどうでもいいじゃないかと思うのですが
キリスト教信者は、何一つ誤りはないと言い張りますので
ちょっとだけ口を滑らしたいのです。



朝露によごれて涼し瓜の泥   芭蕉

2009-06-23 06:03:18 | 日記
百草園の紫陽花

もう見頃を過ぎましたね。
これから紅葉に時期までひっそりしていますね。
落ち着いているというか
物足りない、ゆっくり消えていくのを
待つ季節ですね。
でも、緑だけはどんどん深まりますね。
一時も同じではないのですね。

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今日の芭蕉

朝露によごれて涼し瓜の泥   

例の如く解説書には落柿舎に逗留中の句であるとか
あれこれ解説がいっぱいついています。
それだけ研究者が多いし、資料もいっぱいあるということですね。
でも、学術的に読むって、素人おやじには難しい。
文芸とは読む人が楽しむ一面があるのだし
「私の勝手でしょ」と開き直ってしまいます。
楽しければそれでいい。
深めるかどうか
学術的に読むかどうか
それは私の勝手
もう芭蕉の句は作者だけのものではなくなり
独り歩きしているのです。
それはそれ
瑞々しいし
肌触りを感じますね。

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朝の風

朝、ベランダから外を見ると
山が見えます
五年経ちますが
いまだに山の名前を知りません。

名前など会話の都合だけで十分ですね。

雨の日、子どもは水たまりを選ぶ

2009-06-22 18:53:58 | 日記
百草園の紫陽花です。

年を取ると
その取った年の分だけ早起きになります。
去年は6時起きでしたが
日めくり万葉集を見るようになってから5時起きになり
最近はブログの更新があわただしいので
これまでより少々早めになりました。
朝のうちにブログの更新をすると
夕方の更新が楽しみです。
人は分からないものです。
こんなことになるなど
ゆめにも思いませんでした。
ブログを作っている自分も不思議ですね。
ここまできたら
続けるしかありません。


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百草園まで出かけました。
歩いているのがいいですね。
歩いているとき考えることは
否定的なことはありませんね。
歩いていると、いろいろと沸いてくる。
その物語の補修することはことのほか楽しい。
重い内容が多い私のブログ
ちょっとだけ足取りを軽くできました。

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夕べの風

私の判断基準は「どちらが面倒でないか」ということですね。
そんなものです。
反省したり、後悔するのも
面倒なことなのです。
だから悪いことをしないし
邪魔にならないように気を使っているのです。

迷惑をかけず
邪魔もされたくない。
ただただ、一人で夢見ていたい。
これが本当の気持ち
わかるかなあ

南もほとけ草のうてなも涼しかれ  芭蕉

2009-06-22 05:48:19 | 日記
御嶽

何もない風景もいいですね。
写真は思い入れをしても
技術的になりすぎてもつまらないのかもしれません。
さりげない時間を切り取り
新しい角度での映像を提示するのがよいかもしれませんね。

釣りとは哲学することでなく
坐禅である。
そんなことを言った知人がいました。
そこまでいけば、太公望

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南もほとけ草のうてなも涼しかれ  芭蕉

解説がすごいですね。丁寧ななようですが、長いので、前略します。
「南も」-南無
「草のうてなも」ー荘厳し飾り立てた仏壇もない草庵に安置するので、草の台座といった。
「涼しかれ」ー涼しくあれよ。「涼し」が季語であるが、同時に「涼しき道」などの語が示すように、煩いのないない煩悩解脱の境地を意味する。
後略します。
解説を参考にしながら読むとなかなかの句ですね。
お気に入りになりますね。

「万葉集」の文庫本をバッグに入れて電車の中で読み
待ち合わせのホームで読む。
こんなことこれまでなかった。
けっこう楽しい。
昨日は御嶽のホームのベンチに寝転びながら読んだ。
隣のベンチで同じことをしているおじさんがいた。

いいこと見つけた。


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朝の風

顔をばしばししごいて
気合を入れる。
もう、そんな必要もないけれど
早起きの楽しみだけは覚えました。


ブログ更新は、食事と同じくらい欠かせないのです。

2009-06-21 16:11:10 | 日記
沢井駅近くの食堂の玄関先

何という酒の名の醸造元か分かりませんが
沢井酒造と言う酒屋があります。
その醸造元が商っている食堂
その玄関先です。
緑がきれいな季節ですね。

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今日の万葉集

思はじと 言ひてしものを はねず色の うつろひやすき 我が心かも

あんな人のことなどもう思うまいと口に出して言ったのに、また恋しくなるとは、何と移り気な私の心なんだろう。

「はねず色」とは「うつろいやすき」の枕詞とか
色としては橙赤ということです。分かる気がしますね。
「うつろひはやすき」は万葉集の場合恋心からさめる。そんな用法が多いのだそうです。といことはこの場合は逆だということですね。
再燃する恋心ですね。
いいですね。恋の歌は年をとると、かえって懐かしく思われますね。
このようなおおらかな表現は万葉時代には大いに用いられたのですね。
当時の恋愛感情は今と変わらず率直だったのですね。

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今日の映画

といっても「山で死期を迎えたい。ある夫婦の桃源郷」を見て
「ターシャ・チューダー喜びは創り出すもの」を見て
「阿弥陀堂だより」を締めくくりにしましたので
けっこう暇なく見ていたことになります。
でも、感想等はすでに書いたものばかりですね
夕方から「剣客商売」を見て一日が終わります。

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夕べの祈り

ブログの更新は朝食、夕食についてくるデザートのようなもの
写真を撮るに出かけると楽しいし
万葉集や山家集を開くのも楽しい
そして、若干乱暴ですが文章を書くのも楽しい。
でも、どれもこれも流れてしまうもの
忘れてしまうものです。
だから楽しめるのですね。

このブログ更新を続けるのが私の健康法ですね。
あれこれコメントを書きこんでいただければ
それぞれにご返事を書くのも楽しみになりそうですが
年寄り相手じゃ書く方が大変ですね。
まあ、それはそれなりに。








六月や峯に雲置くあらし山  芭蕉

2009-06-21 06:05:58 | 日記

御嶽の多摩川にも六月の日差し
そして冷たい水を楽しむ若者
気合で、あの青年たちに圧倒されている。
でも、それでいい。
年寄りには年寄りでなければできない楽しみ方があるのだ。

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今日の芭蕉

六(ロク)月や峯に雲置くあらし山  

解説書によれば去来の嵯峨野落柿舎滞在中の作。春秋の柔らかな姿とは違った盛夏六月炎天下の嵐山を詠んだ。六月に自らふりがなして、音読させているのは、「みなずき」では語勢炎天の景にふさわしくないからである。

そんな仰々しい解説がなかったならば「あ、そうなのですか」で終えてしまうような句です。素人が同じような状況で句を作っても似たようなものが生まれるのではないでしょうか。でも、そんなことを言ったら大人げないですね。芭蕉全体の中の一句として鑑賞しなければいけないのですね。

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朝の風

ちょっと動き過ぎてしまいました。
渇望感がないと感動も一緒に消えてしまうのですね。
ちょっと大人げない一週間でした。
待つこと、大げさな言い方をすれば
「欲しがる」状態までじっとしている。
それがいいのですね。

自分で俳句を作ってみようかな
どこかの教室に入ろうかな
いやいや水泳も再開しなくちゃ
そんな状態です。
でも、いまやっていることを
「当たり前にしておかなくちゃ」
あれこれ考えて得られるのは
面倒なことは後回し
それが私の日々です。

まあ、いいか。
いや、それでいいのだ。