2011年3月7日(月)、県産材の産地証明制度とトレーサビリティの調査で、県内のいくつかの森林組合にヒアリングに行っている。 今日は関川村の森林組合に伺って事務所でお話を聞いた後、現在伐採(利用間伐)が行われている現場と、集積場である土場を案内してもらった。 ここでは杉の間伐材を製材工場などの木材加工業者に納入している。この4月から46年生以上の高齢級間伐は、補助金が半額になるということが突然決まって困っているという。 これまで地主に、間伐補助金と間伐材の販売である程度の支払いをすることができたが、これからは、それも難しくなるという話だ。 45年生以下の若い林ではこれまで通りらしいので、間伐遅れの高齢級の林が対象となる。 ますます、間伐をされなくなり荒廃が進むのではないかと心配される。
それにしても、これに限らず、制度を突然コロコロ変えて地方自治体や国民を翻弄する日本の国政は一体どうなっているのか? 首相や大臣もコロコロ変わるので、そのたびごとに地方や国民は大迷惑を被る。 世界中から呆れられている。 政治は何のために必要なのかよく考えてもらいたいものだ。 その政治家を選んだ国民にも責任があると言われることがあるが、選択肢の限られた中で選ばざるを得ないわけだから、そんなことを言われれば棄権するしかない。
ともあれ、昔と比べて最近は森林や林業に関心が向けられるようになってきた。 それ自体は喜ばしいことであるが、それらに関する制度や政策は、学識経験者とやらを集めた審議会で検討され、霞が関でつくられる。 最近は審議会や委員に現場を代表する林業家などが入るようにはなってきている。 しかし多くの森林所有者は、ほとんど産業という形態をなさない零細な兼業農家であったり、自分の所有する林がどこなのかもわからない管理放棄している森林所有者が多くなってきている。
特に、何十年あるいは100年以上もかかる林業は、制度や政策が変わっても、そう簡単に変わりようがない。それなりの時間が必要である。 政治家や霞が関の役人はもっと現場を知るべきだと思う。 という、いつも言われる結論に帰着してしまう。 情けない話だ。
〈間伐されたスギを玉切りをするプロセッサ。〉
〈フォワーダで山土場に集められた丸太をグラップルでトラックに積み込む。〉
〈平場の土場にはい積みされた丸太は、ここで径級ごとに分別されて出荷される。〉