2024年2月16日(金) 母は結局2月12日の夜、100年近い人生を全うして永眠した。 娘の嫁ぎ先の義父の葬儀が2月15日通夜、16日告別式に決まっていた。 娘は子供のころは母に育てられたおばあちゃん子だったので、何としても母に会いに来たがっていた。 生前には間に合わなかったが、葬儀にはどちらか1日だけでも出られるよう日程の調整をした結果、母の通夜は14日、告別式は15日で会場がとれた。 これなら娘は14日に新潟に来て母の通夜に出て、15日は義父の通夜と16日の告別式に出席できる。 また我々も母の葬儀を済ませて16日に熊谷の義父の告別式に出席するという、綱渡り的な葬儀の連チャンとなった。
結局娘と孫その2(孫その1は先週から卒業旅行でヨーロッパ旅行中)は、13日の夜熊谷から車で来て14日の葬儀場での打ち合わせに同席して手伝ってくれた後、母の通夜に最後までいてくれた。そして15日の告別式にも出て出棺まで母を見送ってから、義父の通夜に間に合うよう、急いで熊谷に帰って行った。 そして休む間もなく夕方からは通夜に出た後、今日は再び我々も合流して義父の告別式に出席した。 我々も大変だったが、両方の葬儀の段取りも手伝って熊谷と新潟を往復してくれた娘には感謝である。 おかげで、無事母を送ることができた。
また、娘をかわいがってくれていた熊谷の義父の葬儀にも何とか出席できて良かった。
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〈3年ぶりに自分の部屋に戻ってきた母〉