1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

下級生選手に感謝!

2011-09-24 22:19:30 | リトルリーガーの記録
多くを語る必要はないと思います。

少年野球に携わっている方々であれば、誰でもわかると思います。

下級生の頑張りで勝利できたときの喜びと感謝の気持ち。

息子を含めた6年生はたった3人。あとは5年生から2年生。

決勝リーグは2敗で残念だったけど、昨日の2勝、そして強豪チームとの対戦は大きな財産になったはずです。

ボクは手伝いらしいことは殆どできなかったけど、なんだか、心がスゴクあったかいです。

負けるって本当に悔しいことだけど、そうじゃない大事な何かが心に残るんですね。

選手、監督、コーチ、関係者の方々、本当にありがとうございました。


3位入賞おめでとう。



それなりの力投だった息子。
何もしてやれなかったけど、よくぞ、調整・準備した。
まだまだ課題は多いけど、発展段階!。これからこれから!

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ぷろんぷろん

2011-06-18 15:44:04 | リトルリーガーの記録
ようやく一息つける時間ができた感じの今日このごろ、みなさん、いかがお過ごしすか?。

雨ですね!、雨ばっかりですね!。

今日からせっかくの大会も中止になり、明日もどうだかわからないという状況です。そして、時間が出来たので、たまりっぱなしの仕事を少しでも片付けるべく、今は一人事務所という状況です。

昨週末は、結構、雨が降って(400mm)、人的災害はなかったものの、あちらこちらで土砂災害が発生してました。相談があるかなぁ~って思ってたら、案の定でした。
一件は工事中の切土斜面に地すべりが発生してました。
拡大防止のための緊急対策についてご提案させて頂きました。

そんなこんなで、今週は業界の技術委員会があったり、勉強グループの技術委員長へのオファーがあったり(断ったけど)、資格試験のための講習会の講師をやったり、ある市からは超有名観光地の観光資源保存?のための調査立案と見積のお願いがあったり、もちろん、本業もシッカリやりながらだけど・・・、よくもまぁ、こなしてるって感じです。こういうときって、75点ぐらいを目標にやってますが、今、仕事で一番つらいのは、デジカメ撮影。

現場では、いろんな写真をたくさん撮らなくちゃいけないんだけど、液晶モニターの画面から目を遠ざけないとピンボケがどうかわからないっ!。でも、実際は、現場ではメガネをはずしたりして確認するヒマなんてないから、ちゃんと写っていることにして作業を進めています。

グダグダになって家に帰っても仕事?があります。
最近、お疲れモードのカミさんに、性感マッサージをしなくちゃいけないのです。

・・・・・ウソです!?。

でも、マッサージをしているというのは本当です。
愚息にしております。
実際は、ストレッチとマッサージをごっちゃにしたようなものですが、だいたい毎日30分くらいやってます。リハビリが始まってからだから、もう一ヶ月以上にはなります。

ズバリ、成果が出てきております。
筋肉がヤワヤワになってきました。
ボク的表現では、「ぷろんぷろんの筋肉」と言ったところでしょうか。
それと、ようやく足の長さが左右対称同じになってきました。
それと力を抜いたときの膝の折れ角度もほぼ同じになってきました。

マッサージを始めた当初は、仰向けに自然に寝かせた状態だと、左足があきらかに短かったのです。最初は1cmくらい差がありました。もうビックリでした。
また、うつぶせにして膝を曲げるのですが、当初は、楽な状態での曲げ角が右と左で大きく違っていて、左足踵をお尻につけるためにはある程度の外力が必要だったのです。

足裏の筋肉も軟らかくなってきました。
ネコの「肉球」とまでは言いませんが、当初の「板」みたいな状態からすれば、相当の改善がみられます。

・・・ウウウウ、ゥ、頂けないオヤジギャグがでそうですが、・・・こらえマス・・・。

マッサージを始めた頃は、どちらも半信半疑で、愚息もじゃっかん投げやりな感じで、クサイ足を投げ出しておりましたが、マッサージ前にはちゃんとフロに入ってこまめに足を洗うようになりました。

ぷろんぷろんになって愚息が感じることは
「体が軽い」
ということと
「疲労の回復がめいちゃ早い」
ということらしいです。

ドクターSが言っていたことがようやくわかってきたような気がします。

それと、最近わかったオモシロイことは、マッサージの前と後で何度か身長を測ってみたのですが、5mmは伸びるということです。
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涙の意味

2011-04-21 18:51:11 | リトルリーガーの記録
空洞の調査計画書を役所にメールしたのは昨日の午後6時半過ぎ。
PCの電源を切ると、急いで我が家に帰った。
そして、愚息を拾うと水前寺陸上競技場へ向かった。

水曜日は陸上クラブの練習日で、熊本の陸上界では、今、時の人となっているHRNコーチに会う必要があった。HRNコーチには、小2でクラブに入ったその日からずっと指導してもらっている。前日にはメールをもらっていて、先日の診察結果を報告する必要があった。

競技場に着いたとき、ちょうど練習が終了したみたいだった。
選手や迎えの保護者さん達がエントランスから出てきていた。

HRNコーチはエントランスにいた。
ボクはコーチに声を掛けると、これまでのイキサツを詳しく話した。
コーチはボクのバカブログの読者さんの一人で、だいたいのイキサツは知っていたようで心配してくれていた。アスリートの故障時の対処についてもいくつかアドバイスしてくれた。励ましの言葉も頂いた。本当に有り難かった。

我々3人が話している間、回りには何人かの高学年選手がいた。

クラブに久しぶりに顔を出した愚息に何か話しかけたそうな雰囲気だった。
先週末は熊本県陸上選手権があり、クラブ出身者やクラブ選手が活躍していることは、新聞等で愚息も知っているところだった。

話しが終わり、エントランスを出ようとしたとき、ある少年が愚息に近づいてきた。
しかし、愚息は彼を急ぎ足で完全無視。
「おい、あの子、友達じゃぁないのか」
先にエントランスを出た愚息に近寄ると、嗚咽が聞こえてきた。
ジャージの袖で涙を拭い始めた。

駐車場まで歩く間、立て続けに何本かの連絡が入り、ボクはそれに対応していた。
鍵のかかった車の前で、愚息は泣き続けていた。
助手席に座ると、愚息は頭を抱えた。嗚咽は一段と大きくなった。
我が家に着くまで、それは続いた。

我が家は留守だった。カミさんはPTAの集まりだった。長女のユーちゃんは部活、次女のホースケは塾だった。
愚息は、自室に入りドアを閉めた。
ボクは、ソファに身を預け、しばし茫然となった。

・・・グググー。腹が鳴った。

「リョー坊、メシ食おう」
ドアの向こうから愚息の返事が聞こえた。

テーブルには、カミさんが準備していったスパゲッティサラダがあった。
台所の鍋にはカレーがあった。

二人で食事の準備をして席についた。

「いただきます」

目は真っ赤になっていたけど、幾分、表情は和らいでいた。
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ドクターS

2011-04-18 00:06:59 | リトルリーガーの記録
さて、どこから記録したらよいものか・・・長くなりそう・・・。

本日、夕刻、父が勤務する病院の外来のロビーに、ドクターSは父と共に現れた。

日曜日で外来のシステムが使えなかったから、診察は、5階病棟のナースステーションで始まった。父が病院のサーバーにアクセスし、モニターにCT像を呼び出す合間に、ドクターSは踵の触診を始め、踵、膝の屈伸や進展の状態を確認し、体重のかけ具合から痛みの箇所や強さを調べていった。その検査は15分くらい続いた。そして、次にベッドが置いてある空き部屋へ移った。先生は、愚息をパンツひとつにすると立った状態の愚息を真正面からするどい視線で観察を行った。そして、その強い視線のまま、愚息を何度か往復させて歩かせた。そのあとは、愚息をベッドに寝かせると下半身の各関節の可動域や筋力を調べていった。また、座らせた状態での膝上げや骨盤の使い方を調べって言った。そこでの検査は30分くらい続いたのだけれど、一見するとそれは整体にも見えた。
カミさんが言った。
「気持ちよさそう~、アタシもしてもらいたか~」

その後、ステーションに戻ると、ドクターSは慣れた手つきでビュアーソフトを使いこなしながら、父とアレコレ話しを進めていった。ボクも少しそれに加わった。

そして、いよいよ診断。
6脚の瀟洒な椅子が配置された円卓のある相談室へ移動と相成った。

まず、骨嚢腫について・・・・。

結論から言えば、現状での手術はオーバートリートメント、つまり過剰治療になるとの判断。踵骨は想像以上に強靭で、画像でみるとかなり薄くなっているように見えるけど、現状で一般スポーツにおける問題はないとのこと。経過観察で悪化傾向が把握されるか、骨嚢腫による痛みが発現された場合に手術の検討をすべきとのこと。さらに、手術となれば、嚢腫部分の掻爬のあとに自身の腸骨を使った骨移植をする必要があるのだけれど、成長過程における腸骨の骨移植は、骨端に傷をつける可能性のある難易度の高い(リスクを伴う)手術であること、といって人工骨を使用するという手もあるらしいのだけれど、それにもイロイロと問題があるらしいとのこと。手術は間違った治療ではないけれど、現時点ではお奨めできないとのことだった。さらに痛みは骨嚢腫が原因ではないとのことだった。

そして、ここから、「痛み」について・・・。

ドクターSの一言は強烈だった。
「・・・彼は歩くことすらできていない、まともに「立つ」ことすらできていない・・・」
要するに体のバランスを崩していて、そのバランスを崩した状態での練習やトレーニングが踵骨を取り巻く筋肉に異常をきたしていて、それが痛みとなっているとのことだった。
バランスやフォームを崩しているために、それをかばおうとして無理な筋肉(体)の使い方をして、さらに、使われるべき筋肉が使われないようになってしまっているとのことだった。
今の愚息に、技術トレーニングは全くムダと言われた。
ドクターSと激しい議論になりながら、その最中に、全身から汗が滲むのがわかった。
先生の指摘は、ボクの奥の深いところでわかっていることだったからだ。

昨年、愚息が肩を怪我したときからわかっていたことだけど、それは人に理解してもらうことは難しいし、それが正しいのか間違っているのかも分からなかったから、このバカブログでは紹介していなかった。
実は、その頃から、ボクの目には、愚息の体がバランスを失っているように見えていた。
年明けから二人でランニングを主とするトレーニングを始めたと記録したけど、それはバランスを取り戻すことを期待したトレーニングだった。
まず、取り組んでいたのは歩行トレーニングだった。といってナニが歩行のトレーニングになるか分からなかったから、トニカク、正しくきちんと歩こうということで1km弱を歩き、そこからペースを上げていってランニングになるのだけれど、そこでいつもこだわっていたのは走姿だった。それと、体に対する強い意識を持つ走りだった。ランニングをしない日はバランスディスクを使ったバランストレーニングだった。

ボクはドクターSに率直に話した。簡単?に早く走るコツについて、しかし、それが子供にとって如何にハイリスクなもので、だけど、それを愚息に求めていたことも・・・。
「・・・ソレは、子供には早すぎます。ソレは体が出来上がってからでいいんです・・・、今の彼にはリハビリが必要なんです。」
ドクターSは、バランスを崩した状態でのオーバーユースが原因であることを何度もボクに言って聞かせた。そして、体の巧緻性が失われつつあることも・・・・。
ボクはわかっていたけど、あえて聞いた。
「うちの息子は不器用ってことなんですか?、それじゃぁ、今までのパフォーマンスはなんだったんでしょうか?」
「素材がいいんですよ、素材が」
ドクターSには、醜い親に見えたかもしれない。
「・・・実際のところ、先生とお話しできて楽しいというか面白いというか嬉しいです。先生と会えるのが遅くなった場合に先生にお渡しする予定だったCDに、息子のパンツいっちょ姿の正面や側面の画像を入れておいたんです・・・、さすがに、歩く動画までは入れていなかったのですが・・・、最近のピッチングフォームは何かの役に立つかもと思って入れておきました・・・」

ボクは久しぶりにレベルの高い話しができて、すっかり興奮してしまい、かなりマニアックな話しになったりしたけど、一番不安に思っていたことを開口一番に指摘されことが何より嬉しかった。信頼できると思ったし、やっぱり日本一のスポーツドクターは違うなと思った。

1階の外来ロービーから5階の病棟に向かうまでの世間話が印象深かった。
「JFAアカデミーには優秀な子供ばかりが来てるんでしょうね~」
「・・・う~ん、まぁだいたいのレベルにある子供たちなんですけど、実際は面接重視なんですよ、・・・これから伸びそうな子を選抜してるんですよ・・・・、一番大事なのココなんですよ・・・・」
ドクターSは、胸に手を当てて見せた。
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大事なこと、信じること

2011-03-31 12:28:15 | リトルリーガーの記録
全く恥ずかしい話しですが、前回のブログで話したMRI像での「異常無し」は間違いでした。

実は、先週の水曜日にMRI撮影ということで、母(愚息にとって祖母)に頼んで病院に連れてってもらったのですが、手違いで予約ができておらず、その病院では初診であったためレントゲン撮影のみ。
そして、翌日、MIR撮影だったのですが、主治医のGTOJr先生は当番医ではなかったため、診断は次の水曜日ということになった。
そのとき、付き添いで行っていたのは祖母だったんだけど、ほとんど説明を受けておらず、「踵にフクロみたいのがあったみたいだけど、別の先生が言うには、これは大丈夫みたいなことだったのよね・・・」
しかし、それは、治療や手術をすれば大丈夫という意味だったみたい。

母の説明だけだったから、ボクはてっきり異常はないものと思い込んでいたのでした。


昨日(水曜日)は、ボクもカミさんも休みをとって病院に行きました。

診察室に入ると、大きい液晶画面にはMRI像のビュアーソフトが既に立ち上がっていました。GTOJr先生がボクたちに遅れて恐縮しながら入ってきました。

GTOJr先生は、うちの実父の親友の息子さんで子供のころ一緒に遊んだことがあるし、数年前はボクの頸椎捻挫を診てもらったことがあります。歳はぼくより3つくらい上なんだけど、独身時代が長く、見た目はボクより相当若い。しかもカッコイイ。難を言えば、ちょっと線が細いかなというくらいだけど、それがかえってナイーブさやシリアスさを醸し出していて、その細めの肩に乗った小顔は、田村正和を若くして、さらにカワイクしたかんじ・・・。・・・・・・コイに落ちそう・・・。
・・ドキドキ、ハァハァ・・イヤイヤ、ま~ま~、白衣のお医者さんの話しはそのくらいにして、本題に入りたいと思います。

触診の結果からはやはり踵骨の骨端症が疑われ、レントゲン像やMRI像では判別できない程度のものと診断されました。
しかし、痛みが強い左踵の骨の中には・・・・・
直径2cm程度の空洞のようなものが、はっきり、くっきり、明瞭に映っていました。

「・・・・コツノウシュですね・・・」
GTOJr先生はビュワーソフトを使って様々な角度で切ったMRIの断面像を見せてくれた。
そしてGTOJr先生は、額に汗をかきながら、説明してくれました。
一生懸命わかりやすく説明しようとするのですが、どうしても難しい方向にいってしまい、それをなんとか軌道修正しようと奮闘するGTOJr先生の姿がとてもいじらしく感じられました。
先生の説明が終わったあと、ボクが理解できたことを簡潔に話してみました。
「そのとおりです。」

先生はメモ紙に「骨嚢腫」と書いてボクに渡してくれました。
骨膿腫に関する手術の成功例や治癒率についてまとめられた2006年の論文(日本語)も準備してくれていました。
そして、最後に、
「あの内川選手も、同じ病気で、高校時代に3回手術しているそうです・・・、ネットで調べました・・・」

愚息の今季の活躍はもうあり得ないと思います。
なんとなく、こういうことが起こるのではないのかとずっと予感していました。
というか、期待していたかもしれません。

この5年間、愚息は大車輪の活躍でした。
野球や陸上の県大会や九州大会でとった優勝メダルは10個以上。人権擁護の標語も熊本市から最優秀賞を頂きました。そして、新チームでの背番号は「1」。

今月12、13日に福岡県宗像市で行われた連盟の春季大会、1回戦。
愚息は5-3リードで迎えた最終回、ノーアウト満塁のピンチでピッチャーマウンドに立ちました。
ここで抑えることができればホンモノと思いました。チームのことを考えれば、愚息を応援するのは当然です。声では応援していました。
しかし、ボクの心は・・・・、
「打たれろ、オマエに必要なのは、負けることだ、本当の挫折を味わうことだ・・・」
この試合に関してはチームや監督に迷惑をかけることになるかもしれない、だけど・・・。
ボクは非情な人間です。
エラー絡みに2四球。結局5-6で逆転負け。翌日から踵痛の再発。
そして現在進行中のチームの危機。


甲子園では、センバツが行われています。
大震災があり、開催そのものについて議論があったようですが、あの華々しい甲子園のグランドに立った選手や保護者の多くは、いろんな困難を乗り越えてきているはずです。
そして、そこには様々な涙が流れているはずだと、そう思っています。

30歳になろうとする頃、ボクは鬱病を患い自殺も図り病院に運ばれたこともありました。
数年がたち、鬱病の原因となったていたのは子供の頃負った心のキズであることがわかりました。そのキズを覆い隠そうと、無我夢中でつっ走っていた10代後半から20代。
鬱病を発症したとき、ボクは絶望の中にいました。
郷里に戻ったもののカミさんや子供とは別居。
しかし、ボクが治ることを信じてくれていたカミさんや父と母。

ボクは幸せ者です。
どんな困難が押し寄せようとも、どんな困難を背負わせられようとも、ボクは感謝しなければならない立場にいます。
だって、「生きている」から。

生きる意味をずいぶん考えたことがあります。ある人は、生きる意味を考え続けることが生きる意味だと言います。ですが、ボクは生きることの意味は「生きること」と思っています。

今、ボクが抱えている困難なんて被災された方々のそれに比べれば、歯牙にもかからないちっぽけなものです。言葉にすると、全てが軽く虚ろなものになってしまうのが凄く悲しいのですが・・・、

みなさんのこと、信じてます。
ありがとう。
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貧乏?辛抱?

2011-03-06 18:39:31 | リトルリーガーの記録
手塚一志さんと言えば「上達屋」の主宰で、「バッティングの正体」「ピッチングの正体」という本でも有名。
「ピッチングの正体」という本は10年以上前に書かれたものだけど、増刷が続いているようで、ごく最近、近所の本屋でも売られていた(びっくり)。

そういうわけで、最近はどんなことを書いているのか気になったから、新刊を2冊ほど購入。

「ムチ化」、「ムチのように」そんな言葉が使われていた。

一昨年前の「走姿」シリーズで書いたことだけど、最終的にたどり着いた身体操縦術は身体のムチ化だった。ムチ化できる身体になるコツは、弛緩。これに尽きる。
実は、ボクの「走姿」は「マスターベーション」の次にくる人気シリーズ。

ま、そんなことはさておき、来週はいよいよ連盟の春季大会。
先週、背番号の配布があり、愚息は「1」でした。

そして、昨日の練習で怪我?をしてしまいました。
練習終盤のランで突然の踵痛が発生。
それまでグランド周回のときはいつもトップで戻ってきていたのが、突然のビリ。
しかもヨボヨボ状態。目には涙。

話を聞けば、昼ごろから踵に痛みを感じはじめ、次第に痛くなり、突然、激痛に至ったとのこと。

踵骨の骨折が疑われたけど、安静と冷却で30分後には自力で歩ける程度に回復。

夕食後、「踵痛」について調べてみた。

靴が疑われた。

スパイクが小さくなったって愚息が言っていたことを思い出した。

詳しく話しを聞いてみると・・・・・、

ナナナント、・・・・・・・・・窮屈になったからインソールを外していたと・・・。

翌日、チームに出入りしているTさんがやってきて愚息に一言。


「・・・そこまで辛抱しなくったって・・・」
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Mな手

2011-01-16 20:38:27 | リトルリーガーの記録
週末土曜日は天候が悪くて、チーム練習はパークドームでお昼までとなった。
だけど、お昼過ぎからは天候が回復していき、自主練も悪くないなぁと思ったボクは、帰りの車の中で愚息に言った。

「せっかく天気も良くなってきてるし、少し練習すっか?」

即答OKだった。
そういうわけで、腹ごしらえに我がリーグ出身の読売巨人軍の藤村大介選手の親族がやっている飲食店(ふじ屋)へ寄ったあと、グランドに向かった。

自主練習とはいっても、今回は、最後のリハビリという意味合いが強かった。
つまり、遠投への挑戦。

結論から言うと、「もう大丈夫」のようです。

軽い遠投で40mはいきました。
マッタク肩に異常はなし。
ピッチングもキレのいい球が来てました。
バランスもよかったです。
やっぱり下半身が大事だということがつくづくわかりました。

そのあとせっかくだったのでティーの手伝いをしました。

愚息は素手でバットを振っておりました。

「バッティンググローブ持ってるんだろ、冬なんだし、つければいいのに・・・・」

不敵な笑みで愚息は答えました。

「冬だけん素手でしよっとたい!」


コンテナ2箱分。


結果はこんなかんじ。



この冬、こんなM手が、増殖中!。
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その後

2010-12-07 19:00:40 | リトルリーガーの記録
「オレぐらいだろ!、オマエのブログを読んでいるのは!」

さっき、母校のS高校野球部OB(投手)から突然の電話があった。

内容は、愚息の怪我に関することだった。

トニカク、無理をさせるな!。

気遣いというよりも、諌言に近かった。

だけど、そういう電話は本当にありがたく嬉しいもの。

最近、更新がめっきり減っていますが、アクセス数に大きな変化はありません。

その元投手と同じく愚息の様態を心配している方も多い一方で、ボクを叱咤したい方も多いと思います。

愚息の怪我についての責任の大部分はボクにあるし、叱責されて当然だと思っています。

でも、正直言って、ボクは愚息に無理なことはさせていません。

通常の練習以外にキャッチボールをするのは週に1回の30分程度で、そのときはキャッチングとバランスの確認ぐらい。最近、遠投で60mくらい投げれるようになったけど、その小さい体格からなんでそんな遠投ができるんだろうと不思議に思うと同時に、そのパフォーマンスから怪我のリスクがかなり高まっていると感じていたから、余計、慎重になっていたというのが正直なところです。

だから、野球に関して「練習しろ」などとは、最近は全く言っておらず、シーズンもOFFになることからむしろ自由にさせるのがいいかなと思っていたほどです。

だけど、それが良くなかったかな。

愚息は、どちらかというと、じっとしていられないタイプです。
今も怪我しているにもかかわらず、肩とは関係ない部分についてこっそりトレーニングをしているようです。

そんなバカ愚息が、西条市長旗大会から帰ってきて、毎晩やっていたのが、前転とび?の練習。

助走して両手を床ついて回転するという、体操の床運動とかでお馴染みのやつです。

着地部分に布団を敷い練習していましたが、3日目にはほぼ出来るようになり、4、5日目は完成度を上げるような練習をしていたように思います。我流でやっておりました。着地の失敗で腰を強打したり、今、思えば肩への負担も相当だったと思います。肩を引き上げる動作とともにソコに運動エネルギーを持った体重という荷重がかかるわけですから・・・、肩の構造を知ると、考えただけでもオソロシイ動作です。技術や筋力のない子供がやるのは特に・・・。


怪我の診断は腱盤炎ということですが、その症状、発生原因やメカニズムを考えると、この前転飛びの動作が極めて怪しいと言わざるを得ません。
発症の直接の原因はバランスの崩れた投球だったかもしれませんが、技術不足の前転飛びによる過度な肩への負担が関節的じゃなかった間接的な原因だと強く疑われます。


しかし、この怪我により、ハッキシ言って、「肩」にはズイブン強くなりました。
次へのステップになりそうな予感すらあります。

ちなみに、徐々にではありすが、回復しているようです。
完治までは相当な時間を覚悟していますが、それはそれで貴重な経験になることと思います。

これからもこのバカブログをよろしくお願いいたします。
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焦りは禁物

2010-12-03 12:25:35 | リトルリーガーの記録
最近、更新を怠って読者のみなさんには大変申し訳なく思っているところてんですが、ホントにナニかと忙しくって・・・・。

近況報告というか、近況記録。

長女のユーちゃんは今日まで期末試験で、来週から修学旅行、志賀高原でスキー合宿だそうです。
次女のホースケは、本日、修学旅行で関西方面から帰ってきます。
そして、愚息は怪我をしちゃいました。

ウ~ン、これが結構、重傷なんです。

水曜日の陸上のトレーニングが終わったあと、その日は温かかったからキャッチボールをしようということになって、近所の学校のグランドに出向いたのでした。週末は練習試合が組まれていて、登板も予想されたので調整の意味も含めてキャッチボールをするこにしたのでした。

前回の大会が終わってからは冬季練習だったし、本人も体幹トレーニングのつもりかわかんないけど、家では毎日、前方宙返りみたいなアクロバットなことをやって汗を流していて、学校ではドッジボール・・・・。

フォーム、きっと、崩れてるだろうなぁ~。

そんな思いもあって、アップのあと、いつも通り短い距離の軽いキャッチボールから始めたのでした。
15分くらいたって、距離を30mくらいにしてちょっと真面目なキャッチボールになったころ、言いました。

「お~い、肘下がってるぞ~」

愚息とのキャッチボールはずっと続けているけど、年に1、2回はこういう肘が下がった状態やボディスピンと肘の出てくるタイミングがズレてしまうことがあって、ちょっとこりゃヒドイなというときはキャッチボールを止めてしまうこともあった。(そういう状態のことはこのバカブログでは殆ど記録してないけど、実はナーバスにいつも調整していて・・・、そうでもない限り、うちの愚息が投手なんてつとまるはずがないと思っていたから・・・にもかかわらず・・・)

慢心と焦りが同居していた。

○ボクはその日、早く帰って自分の勉強がしたかった。
○今、思えば、アップがいつもより甘かった。
○今日、ここで修正しとかないと。
○いままで怪我をしたことがないというのがコイツの取り柄と言えば取り柄だし。

「ちょっと助走つけて、強く投げてみようっかぁ」

まだ、遠投をする時間ではなかったし、助走をつけることで腕を大きく振るようになり、自然に肘が上がってくればいいなと思った。
手順を変えた初めてのトライだった。でもこれは間違いだった。

確かに強いボールはきたけど、なんとなく微妙なかんじで、ボクとしては納得できなかったけど、そのまま何球か投げさせた。
そして5、6球目、ボールはボクの頭上超えていった。
ボクはグランドの奥に転がっていったボールを追いかけた。
ボールを拾って振り向くと、肩を押さえて愚息がこちらに歩いてきていた。

「どうした?」
「肩やった、痛い」
「今の一球で?」
「たぶん」
「それまで、なんともなかった?」
「なんともなかった」
「違和感も?」
「なかった、イタタタ・・・」

ボクらは家に戻った。
先に家に入った愚息は、肩に保冷剤の氷りを当てていた。
その処置がいいのか悪いのかよくわかんなかったけど、その保冷剤はちょっと大きすぎて圧迫が強うそうだったのと、安静のほうが大事かなと思って、その保冷剤を外させた。
ダイニングのイスに体を預けて黙って座っている愚息。
突然、泣き出した。
「・・・イタイ・・・」
その日の夕食は左手で摂った。

その日の夜、ボクは眠れなかった。

翌朝、7時過ぎに整形外科のGTO先生宅に電話を入れた。
そのときの状況と症状を話した。先生からの問診もあった。

高速を走り、その日の一番患者として診てもらった。

レントゲン、触診、問診から「鍵板炎」との診断。

1週間の「安静」と2週間の「ノースロー」が言い渡された。
2週間ほど経過した時点で痛みが取れない場合は、MRIで診ましょうとのことだった。
痛みが取れていれば、軽いキャッチボールからのリハビリでいいそうだ。

「プロ野球選手なんてしょっちゅうやってて、彼らは痛み止めの注射しながら投げてるんだから・・・、そんな必要はないでしょ・・・、たぶん、安静にしていたらじきに良くなるから・・・、これからはね、ちゃんとね、十分なアップをして、フォームに気をつけて投げてね・・・」

「ハイ」
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初ホームラン

2010-11-22 21:44:54 | リトルリーガーの記録
1回表、守備の乱れと連打で1点を先取したノーアウト1、2塁、4番打者は甘く入った初球を振り抜いた。打球は放物線を描きフェンスを越えていった。

マウンドには愚息がいた。

1回戦敗退翌日の交流戦とは言え、愚息が浴びた初ホームラン。
相手チームは1969年創立で、あの清原選手を輩出した関西の名門強豪のKSDリーグ。
ある意味、名誉な被本塁打。

2回表も上位打線につかまり2失点。

3回は三者凡退で切り抜けたものの、4回に三度つかまり四球を挟んだ連打で1点献上した後の1アウト1、2塁の場面で、4番打者と3回目の対戦。

4番打者はファールで粘った。
愚息は10球以上を費やしたけど、最後の2球は続けて高めのボール球。
四球で満塁になったところで降板となった。

さっき愚息から聞いたけど、最後は打者の膝元目がけて投げていたつもりらしい。

「・・・気持ちでは負けとらんかったけど、なんか、もう指にかからんかったたい・・・」
「・・・全力で投げたの、初めてだったんだろ・・・」
「・・・うん、全力でやって6回持つスタミナがいると思う・・・」
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駄作

2010-11-15 23:33:49 | リトルリーガーの記録
熊本市長の幸山センパイの名前で一通の文書が届いた。


晩秋の候、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
さて、この度は、平成22年度人権啓発作品募集にあたり、豊かな人権感覚に溢れた作品を応募いただきありがとうございました。この度、貴方の作品は入賞となりましたので、表彰式を下記のとおり行います。
 ついては、御出席をよろしくお願いします。御家族の方の席も用意しておりますので、御出席いただければと存じます。


「オイ!、リョー坊、オマエ、なんば書いたとや!」
「シラン、憶えとらん!」
「はっ!?、憶えとらんてや!?、ナンデぇ!?」
「ワスレタ!」
「なんか思い出せ!」

「・・・・飛び出すな、・・・、オレの車に、・・キズがつく・・・」

「・・・・そ、そ、そうじゃねぇだろ・・・・」

とにかく、何か標語らしきものを受賞したらしいのだ。
しかも、最優秀賞。



訊いてみて駄目なら自分で行って見て確認せねば親は信じず。
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2010-11-08 21:43:44 | リトルリーガーの記録
(財)全日本リトル野球協会リトルリーグ委員会が毎月発行している冊子がある。
その冊子はB5版で約20ページ。全国各地で行われている試合結果や選手たちのコメントが掲載されている。冊子の名前は「ぼくらリトルリーグ」。

九州連盟の広報から、新人戦優勝メンバーの選手コメントを掲載したいという話があり、6年生選手に新人戦の感想文を書いてもらった。

6年生の多くは殆どが低学年のころからリーグに入っていたけど、マイナー時代も含めこれまで優勝の経験はなし。

作文には、初めての優勝や活躍の喜びが書かれてあったけど、そのほかに共通して書かれてあったことは仲間のこと。チームに貢献しようと一生懸命にプレーし、仲間を信じて戦い、そしてその仲間に感謝している。
決して上手とは言えない文章だけど、彼らの心に触れて、目頭が熱くなってしまった。

優勝の理由がわかったような気がした。
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リトルリーガーの記録

2010-11-04 09:58:59 | リトルリーガーの記録
話しが古くならないうちに記録しておくけど、こないだの九州連盟の新人戦大会での愚息の打撃成績はどうだったかっていうと、まぁまぁ。イイという程のものでもなかったけど、ダメという程でもなかった。成績には直結しないけど本人が課題としていた取り組みについて試合である程度の成果が見られたのは良かった。

決勝戦を含め4試合だったけど、リトルリーグ特有の投球数制限から、今回の大会につぎ込んだ投手は全部で6人。ベンチ入りした12人の選手のうち半分が投手をしたかっこうだ。

愚息は、準決勝戦で先発。残念?ながらボクは別コートで塁審だったから見れなかったけど、5回まで一応投げきったものの被安打10。毎回ランナーを背負ってピンチの連続だったらしいのだけれど、バックのおかげで、4失点で済んだのはラッキーというほかない。ただ、メジャー戦での1勝は本人の自信に繋がったはず。

我がチームは今月、20、21日は愛媛県西条市で行われる西条市長旗大会に参戦の予定。

西日本の強豪・名門16チームによるトーナメント戦。
1回戦の対戦チームは、今夏西日本大会で優勝している兵庫県のTKZリーグ。

対戦が楽しみだ。
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きせき

2010-11-03 12:56:51 | リトルリーガーの記録
祝勝会はグラウンド到着後、場所を移して焼き肉店の大広間を利用して行われた。

正面には、12名のメジャー選手が勝ち取った紫紺の優勝旗が飾られた。

祝勝会はリーグ会長の挨拶に始まり、理事、監督が挨拶をし、乾杯の音頭はシニアの保護者会長だった。

盛大な乾杯と拍手が店内に響きわたりそれが一段落しようとしたころ、ある5年生選手の一際大きい声が店内に響いた。

振りかえると、5年生選手の5人衆が壁際に整列していた。

「もう、余興かっ!?、はやっ!」
そんな声がオヤジたちから飛んだ。

しかし、選手たちの顔は大まじめ。
一人ずつ、6年生選手に向かって労いと感謝とお祝いの言葉を贈っていった。
そして、最後の選手が挨拶を終えると、彼らは歌い始めたのだった。

キセキ
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過程6(最終回)

2010-10-27 22:55:09 | リトルリーガーの記録
いよいよ、この「過程」シリーズも最終回。
駄文ダメ文に付き合って頂いた読者のみなさま、ありがとうございます。
あと、もう少しの辛抱ですので最後までお付き合い願います。


さて、「ライオンに追われたウサギが逃げ出す時に肉離れをしますか?」と言ったのは、元サッカー日本代表チーム監督のオシム氏。ボク風に言えば「逃げるウサギは捻挫をしない」になるのだけれど、こんなことも言えるかもしれない。

「逃げるウサギは考えない」

昨日から冬型の気圧配置が強まり北の大地では雪が積もった。おそらく北陸も時間の問題だろう。最近のクマの出没は冬眠前の最後のあがきで、この天候を予想していたかのようだ。
実は、北海道の山中でヒグマから逃げたという経験がある。
もし、そのときテレビリポーターに取材されたら、きっとこんなふうに答えていたと思う。
「どうやって逃げてきたかなんて憶えちゃいませんよ・・・、もう、必死でした・・」

・・・つまり、追い詰められた極限の状態が「全力を出す」秘訣なのかもしれない。
・・・要するに、火事場の馬鹿力?

結局、この「過程」シリーズは身も蓋もない話しに落ち着いたワケだけど、大会会場に向かう車の中で愚息にナニゲに言ったことと似ているように思った。
「・・・オマエ、今日の大会では緊張しないなんて言ってるけど、お父さんは、それなりに緊張すると思うよ・・・・、だから、失敗したりして、もうダメだと思ったら、・・・・・・そのときは、全部、体に任せればいいんじゃないの・・・・」

反復練習によって身につけた動きというのは、すなわち、新しい運動プログラムを上書きしたようなものと考えることができる。
最近のパソコンは高性能になったから複数のプログラム(ソフト)を起動してもフリーズしたり動きが遅くなっちゃうなんてことは少なくなったとけど、以前はそんなことがよくあった。
果たして人間はパソコンのようにスペックを上げることができるのかと言えば、それは無理難題な話し。脳神経の処理能力はかわらない。ということであれば、ソフトをスムーズに動かしたかったら、余計なソフトを止めればいいということになる。ここで言う余計なソフトとは雑念ということになるのかもしれない。

武人が無心を欲する理由というのは、そんなところにあるのかも。

3回目のジャンプの記憶は殆どないと言っていた愚息。
しかし、こんなことを付け加えて言っていたことは興味深い。

「・・・でも、風は、わかっとたとたいね(わかってたんだよね)・・・」


話しはかわるけど、一人の選手を除いて、今回の走幅跳びに出場した選手全員が競技用のスパイクシューズを履いていたとのこと。
スパイクシューズで記録がどのくらい伸びるのかよくわからないけど、高学年であれば100m走で0.5秒は短縮できるらしい。

たった一人、普通のランニングシューズで跳躍していた身長137.5cmの選手が生意気なことを言っていた。

「勝ち甲斐があるよね!」
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