1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

恐るべしリトルリーガー

2006-11-06 22:30:11 | リトルリーガーの記録
熊本市長選挙が告示になって、現職の幸山市長アニキの直系にあたるボクは、トコトン応援しなくちゃいけない立場なんだけど、今日は、土石流災害があった現場に行ったついでに、サワガニを20数匹もつかまえたりして、明日の晩のオカズ(素揚げ)のために、泥ヌキをしなくちゃいけないなんて思ってる月曜の午後10時15分なんだけど、今夜もちゃんとキッズソフトボールの練習には行ったのだった。

今日の練習で、リョー坊は、右手にできてたバットマメを潰してしまった。

今まで、ボクとリョー坊の二人の練習でマメを作ったことはなかったんだけど、さすがに、リトルリーグの硬球用のバットは重かったみたいで、この前の2日間の練習でマメができていたのだ。
リョー坊は、「初めてマメができた!」って喜んでて、実は、今日の練習中にマメが潰れてたんだけど、そんなのはお構いなしに、最後までフルスイングだったのだった。

恐るべし、リトルリーガー!。
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鬱3 薬はイヤだった

2006-11-06 18:30:07 | 鬱だったの記録
体の、特に脳ミソに起因する変調で、ボクが困ったのは、極端な記憶力の低下だった。無感動、無関心だから記憶力の低下はどうしようもないんだけど、実は、症状がヒドイときほど記憶力が落ちているから、今となっては、スゴクヒドイと感じた記憶があまり残っていないっていうワケのワカラン矛盾がボクの中にある。

っていうか、モロにヒドイときは、殆ど死んだような状態になっているから、そのときの部分だけ、ポッカリ記憶が欠落してるってことなんだ。 つまり、記憶がないことが逆にそのときのヒドイ状態を物語ってるってことなんだと思う。

ま、そんなこんなで、体に変調が出はじめて、これは心の病じゃないかってピーンときたボクは、比較的早い時期に、近所(横浜の二俣川駅近く)の心療内科で診てもらった。

ズバリ「鬱」(軽度)って診断だった。

はぁ、そうかと、ボクは案外その診断を素直に受けいれることができたように記憶している。

カミさんにもカくガクシカジカってちゃんと話したって思う。

けど、どーしてもヤだったのが、薬の服用だった。ボクは病院に行くまで、心の病ってヤツはカウンセリングみたいな手法で治していくって勘違いをしてたから、脳の薬を飲まなくちゃいけないことには、もの凄く、抵抗を感じたんだ。当時はインフォームドナンヤラとかいうのは流行ってなかったし、トニカク、飲めって感じで薬を渡されたのを憶えている。

2種類の薬を処方されたんだけど、ひとつは昼間にも飲まなくちゃいけなかったんだ。

会社には「鬱」って隠してたし、トニカク、会社で薬を飲むのはイヤだった。本当にイヤだった。

なんで、そんなにイヤだったかっていうと、薬を飲む瞬間に、どうしても自分が「鬱」であるこを意識せざるを得なかったからだ。

ボクは自分が「鬱」になる前は、「鬱」になるヤツ→弱いヤツって思ってて、その歪んだ考えが、さらに自分を苦しめることになるんだけど、薬を見るたんびに、ボクは弱いヤツ→無能なヤツ→・・負のスパイラルに落ちていったからだった。
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JAM 

2006-11-06 00:57:25 | ライブの記録
シャバは3連休だったワケだけど、うちの家族はみんなそれぞれイロイロあって、昼間にようやく5人そろったのは、今日の午後3時だった。子どもたちは、ボクが仕事から戻るのを待ってて、3時過ぎから、いつもの白川の河口に釣りに行った。
竿を出したときはもう4時をまわっていたけど、日が暮れる5時半までに、25cmくらいのセイゴが1匹、ハゼが1匹釣れた(潮が動いたとき(サゲ→アゲ)にしかアタリは無かった。)。

ま、それはさておき、さっきまで、最近、近所にオープンしたONE DROP CAFÉって名前のお店にいた。
そこでは、東田君(東田トモヒロ)のライブがあってて、それを見に行ってきたったんだ。

独りで行ってきたんだけど、東田君のヨメさん(9月に結婚した)がいたんで、ライブ中は孤独にならずに済んだ。

ライブが終わって、東田君、店長と2、3言葉を交わしたんだけど、店長とは「古未運」つながりだった。

今日もいいJAMだった。
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