【鉄技術の違いが神武東征の真実!?】
『古事記』では、ヤマト入りを果たし橿原宮(かしはらのみや)で即位した神武天皇は、皇后として伊須気余里比売(いすけよりひめ)を迎えたと伝えられています。この皇后の父は大物主神(おおものぬしのかみ)、言わずとしれた葦原中国の神です。そして、その妻は勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)です。また、『日本書紀』では、皇后として媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)と書かれています。名前に含まれる「たたら」からは出雲で盛んであった製鉄、”たたら製鉄”を思い起こさずにはいられません。
鉄は、紀元前3世紀ごろに青銅とほぼ同時期に大陸から伝わってきたと考えられています。伝来ルートは少なくとも3つあったといわれます。
①朝鮮半島から九州北部に伝わったルート、
②中国沿岸から熊本地方に伝わったルート、
③朝鮮半島から山陰地方に伝わったルート、
そして、それぞれの鉄についての技術は、
①鉄鋌(てってい)と呼ばれる鉄素材を朝鮮半島から持ち込んでそれを鍛治・加工する技術。
②中国の江南地方で王朝の目を盗んで比較的低温でも製鉄可能な褐鉄鉱を原料とした技術、ただし腐食が早く良質な製品は望めない。
③砂鉄を原料としたいわゆる「たたら製鉄」の前身的な製鉄技術、高品質な鉄製品を作ることができる技術の3つのです。
この鉄技術の伝播が正しいと仮定すれば、景行天皇の伝説、『古事記』、『日本書紀』、『魏志』「倭人伝」で語られた西日本の古代勢力は、それらが保有する技術によって以下のように整理できます。
①高天原のヤマト前身勢力(鉄鋌加工技術)、
②茂賀の浦の狗奴国勢力(褐鉄鉱技術)、
③葦原中国の出雲勢力(砂鉄技術)
そして、これらの勢力が持つ技術力の違いが、ヤマト前身勢力、すなわち神武軍の東征を駆り立てたと思うのです。
さて、そのわけを説明する前に、なぜ出雲勢力が「たたら製鉄」の技術を生んだのか、その背景はなんだったのか、地質技術者の目線で考えてみたいと思います。
『古事記』では、ヤマト入りを果たし橿原宮(かしはらのみや)で即位した神武天皇は、皇后として伊須気余里比売(いすけよりひめ)を迎えたと伝えられています。この皇后の父は大物主神(おおものぬしのかみ)、言わずとしれた葦原中国の神です。そして、その妻は勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)です。また、『日本書紀』では、皇后として媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)と書かれています。名前に含まれる「たたら」からは出雲で盛んであった製鉄、”たたら製鉄”を思い起こさずにはいられません。
鉄は、紀元前3世紀ごろに青銅とほぼ同時期に大陸から伝わってきたと考えられています。伝来ルートは少なくとも3つあったといわれます。
①朝鮮半島から九州北部に伝わったルート、
②中国沿岸から熊本地方に伝わったルート、
③朝鮮半島から山陰地方に伝わったルート、
そして、それぞれの鉄についての技術は、
①鉄鋌(てってい)と呼ばれる鉄素材を朝鮮半島から持ち込んでそれを鍛治・加工する技術。
②中国の江南地方で王朝の目を盗んで比較的低温でも製鉄可能な褐鉄鉱を原料とした技術、ただし腐食が早く良質な製品は望めない。
③砂鉄を原料としたいわゆる「たたら製鉄」の前身的な製鉄技術、高品質な鉄製品を作ることができる技術の3つのです。
この鉄技術の伝播が正しいと仮定すれば、景行天皇の伝説、『古事記』、『日本書紀』、『魏志』「倭人伝」で語られた西日本の古代勢力は、それらが保有する技術によって以下のように整理できます。
①高天原のヤマト前身勢力(鉄鋌加工技術)、
②茂賀の浦の狗奴国勢力(褐鉄鉱技術)、
③葦原中国の出雲勢力(砂鉄技術)
そして、これらの勢力が持つ技術力の違いが、ヤマト前身勢力、すなわち神武軍の東征を駆り立てたと思うのです。
さて、そのわけを説明する前に、なぜ出雲勢力が「たたら製鉄」の技術を生んだのか、その背景はなんだったのか、地質技術者の目線で考えてみたいと思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます