昨日の祖母の四十九日の法要は、祖父の実家である熊本市池田の光永寺で執り行われた。
その寺の30代の住職は、ボクにとって「はとこ」に当たるらしいのだけれど、これまで親戚付き合いは皆無で、だから境内に入ったのも始めてだった。
車を降りると、突然のヤブ蚊の襲撃に曾孫どもは大騒ぎ。ボクは古い山門とその幽霊が出てきそうなくらいのオンボロお寺にビックリしたのだった。
しかし、見た目がオンボロということは、古いということ。
ナナナント、築400年以上とのこと。
光永寺は、もともと鹿本郡鹿本町にあったそうなのだけど、慶長年間、加藤清正が熊本城築城のときに当時の住僧了寂に命じて、ここに移築させ、熊本城築城の余材で建造させたとのこと。
また、西南戦争では、熊本城を取り囲む薩軍の営所となっていたため、熊本城の官軍がこの寺に出撃したらしく、その時の弾痕が山門に残っているからビックリギョギョギョ!。
皆さん、御察しのとおり、その弾痕に指を突っ込んだのでみました。
おそらく、多くの人がこの弾痕をいじるのでしょう!
周辺はテカッており、穴は拡大中のようデス!。
その寺の30代の住職は、ボクにとって「はとこ」に当たるらしいのだけれど、これまで親戚付き合いは皆無で、だから境内に入ったのも始めてだった。
車を降りると、突然のヤブ蚊の襲撃に曾孫どもは大騒ぎ。ボクは古い山門とその幽霊が出てきそうなくらいのオンボロお寺にビックリしたのだった。
しかし、見た目がオンボロということは、古いということ。
ナナナント、築400年以上とのこと。
光永寺は、もともと鹿本郡鹿本町にあったそうなのだけど、慶長年間、加藤清正が熊本城築城のときに当時の住僧了寂に命じて、ここに移築させ、熊本城築城の余材で建造させたとのこと。
また、西南戦争では、熊本城を取り囲む薩軍の営所となっていたため、熊本城の官軍がこの寺に出撃したらしく、その時の弾痕が山門に残っているからビックリギョギョギョ!。
皆さん、御察しのとおり、その弾痕に指を突っ込んだのでみました。
おそらく、多くの人がこの弾痕をいじるのでしょう!
周辺はテカッており、穴は拡大中のようデス!。