最近、更新を怠って読者のみなさんには大変申し訳なく思っているところてんですが、ホントにナニかと忙しくって・・・・。
近況報告というか、近況記録。
長女のユーちゃんは今日まで期末試験で、来週から修学旅行、志賀高原でスキー合宿だそうです。
次女のホースケは、本日、修学旅行で関西方面から帰ってきます。
そして、愚息は怪我をしちゃいました。
ウ~ン、これが結構、重傷なんです。
水曜日の陸上のトレーニングが終わったあと、その日は温かかったからキャッチボールをしようということになって、近所の学校のグランドに出向いたのでした。週末は練習試合が組まれていて、登板も予想されたので調整の意味も含めてキャッチボールをするこにしたのでした。
前回の大会が終わってからは冬季練習だったし、本人も体幹トレーニングのつもりかわかんないけど、家では毎日、前方宙返りみたいなアクロバットなことをやって汗を流していて、学校ではドッジボール・・・・。
フォーム、きっと、崩れてるだろうなぁ~。
そんな思いもあって、アップのあと、いつも通り短い距離の軽いキャッチボールから始めたのでした。
15分くらいたって、距離を30mくらいにしてちょっと真面目なキャッチボールになったころ、言いました。
「お~い、肘下がってるぞ~」
愚息とのキャッチボールはずっと続けているけど、年に1、2回はこういう肘が下がった状態やボディスピンと肘の出てくるタイミングがズレてしまうことがあって、ちょっとこりゃヒドイなというときはキャッチボールを止めてしまうこともあった。(そういう状態のことはこのバカブログでは殆ど記録してないけど、実はナーバスにいつも調整していて・・・、そうでもない限り、うちの愚息が投手なんてつとまるはずがないと思っていたから・・・にもかかわらず・・・)
慢心と焦りが同居していた。
○ボクはその日、早く帰って自分の勉強がしたかった。
○今、思えば、アップがいつもより甘かった。
○今日、ここで修正しとかないと。
○いままで怪我をしたことがないというのがコイツの取り柄と言えば取り柄だし。
「ちょっと助走つけて、強く投げてみようっかぁ」
まだ、遠投をする時間ではなかったし、助走をつけることで腕を大きく振るようになり、自然に肘が上がってくればいいなと思った。
手順を変えた初めてのトライだった。でもこれは間違いだった。
確かに強いボールはきたけど、なんとなく微妙なかんじで、ボクとしては納得できなかったけど、そのまま何球か投げさせた。
そして5、6球目、ボールはボクの頭上超えていった。
ボクはグランドの奥に転がっていったボールを追いかけた。
ボールを拾って振り向くと、肩を押さえて愚息がこちらに歩いてきていた。
「どうした?」
「肩やった、痛い」
「今の一球で?」
「たぶん」
「それまで、なんともなかった?」
「なんともなかった」
「違和感も?」
「なかった、イタタタ・・・」
ボクらは家に戻った。
先に家に入った愚息は、肩に保冷剤の氷りを当てていた。
その処置がいいのか悪いのかよくわかんなかったけど、その保冷剤はちょっと大きすぎて圧迫が強うそうだったのと、安静のほうが大事かなと思って、その保冷剤を外させた。
ダイニングのイスに体を預けて黙って座っている愚息。
突然、泣き出した。
「・・・イタイ・・・」
その日の夕食は左手で摂った。
その日の夜、ボクは眠れなかった。
翌朝、7時過ぎに整形外科のGTO先生宅に電話を入れた。
そのときの状況と症状を話した。先生からの問診もあった。
高速を走り、その日の一番患者として診てもらった。
レントゲン、触診、問診から「鍵板炎」との診断。
1週間の「安静」と2週間の「ノースロー」が言い渡された。
2週間ほど経過した時点で痛みが取れない場合は、MRIで診ましょうとのことだった。
痛みが取れていれば、軽いキャッチボールからのリハビリでいいそうだ。
「プロ野球選手なんてしょっちゅうやってて、彼らは痛み止めの注射しながら投げてるんだから・・・、そんな必要はないでしょ・・・、たぶん、安静にしていたらじきに良くなるから・・・、これからはね、ちゃんとね、十分なアップをして、フォームに気をつけて投げてね・・・」
「ハイ」
近況報告というか、近況記録。
長女のユーちゃんは今日まで期末試験で、来週から修学旅行、志賀高原でスキー合宿だそうです。
次女のホースケは、本日、修学旅行で関西方面から帰ってきます。
そして、愚息は怪我をしちゃいました。
ウ~ン、これが結構、重傷なんです。
水曜日の陸上のトレーニングが終わったあと、その日は温かかったからキャッチボールをしようということになって、近所の学校のグランドに出向いたのでした。週末は練習試合が組まれていて、登板も予想されたので調整の意味も含めてキャッチボールをするこにしたのでした。
前回の大会が終わってからは冬季練習だったし、本人も体幹トレーニングのつもりかわかんないけど、家では毎日、前方宙返りみたいなアクロバットなことをやって汗を流していて、学校ではドッジボール・・・・。
フォーム、きっと、崩れてるだろうなぁ~。
そんな思いもあって、アップのあと、いつも通り短い距離の軽いキャッチボールから始めたのでした。
15分くらいたって、距離を30mくらいにしてちょっと真面目なキャッチボールになったころ、言いました。
「お~い、肘下がってるぞ~」
愚息とのキャッチボールはずっと続けているけど、年に1、2回はこういう肘が下がった状態やボディスピンと肘の出てくるタイミングがズレてしまうことがあって、ちょっとこりゃヒドイなというときはキャッチボールを止めてしまうこともあった。(そういう状態のことはこのバカブログでは殆ど記録してないけど、実はナーバスにいつも調整していて・・・、そうでもない限り、うちの愚息が投手なんてつとまるはずがないと思っていたから・・・にもかかわらず・・・)
慢心と焦りが同居していた。
○ボクはその日、早く帰って自分の勉強がしたかった。
○今、思えば、アップがいつもより甘かった。
○今日、ここで修正しとかないと。
○いままで怪我をしたことがないというのがコイツの取り柄と言えば取り柄だし。
「ちょっと助走つけて、強く投げてみようっかぁ」
まだ、遠投をする時間ではなかったし、助走をつけることで腕を大きく振るようになり、自然に肘が上がってくればいいなと思った。
手順を変えた初めてのトライだった。でもこれは間違いだった。
確かに強いボールはきたけど、なんとなく微妙なかんじで、ボクとしては納得できなかったけど、そのまま何球か投げさせた。
そして5、6球目、ボールはボクの頭上超えていった。
ボクはグランドの奥に転がっていったボールを追いかけた。
ボールを拾って振り向くと、肩を押さえて愚息がこちらに歩いてきていた。
「どうした?」
「肩やった、痛い」
「今の一球で?」
「たぶん」
「それまで、なんともなかった?」
「なんともなかった」
「違和感も?」
「なかった、イタタタ・・・」
ボクらは家に戻った。
先に家に入った愚息は、肩に保冷剤の氷りを当てていた。
その処置がいいのか悪いのかよくわかんなかったけど、その保冷剤はちょっと大きすぎて圧迫が強うそうだったのと、安静のほうが大事かなと思って、その保冷剤を外させた。
ダイニングのイスに体を預けて黙って座っている愚息。
突然、泣き出した。
「・・・イタイ・・・」
その日の夕食は左手で摂った。
その日の夜、ボクは眠れなかった。
翌朝、7時過ぎに整形外科のGTO先生宅に電話を入れた。
そのときの状況と症状を話した。先生からの問診もあった。
高速を走り、その日の一番患者として診てもらった。
レントゲン、触診、問診から「鍵板炎」との診断。
1週間の「安静」と2週間の「ノースロー」が言い渡された。
2週間ほど経過した時点で痛みが取れない場合は、MRIで診ましょうとのことだった。
痛みが取れていれば、軽いキャッチボールからのリハビリでいいそうだ。
「プロ野球選手なんてしょっちゅうやってて、彼らは痛み止めの注射しながら投げてるんだから・・・、そんな必要はないでしょ・・・、たぶん、安静にしていたらじきに良くなるから・・・、これからはね、ちゃんとね、十分なアップをして、フォームに気をつけて投げてね・・・」
「ハイ」