許されることの有り難さを初めて知ることができた。
「それは、オマエの楽観に過ぎない」という批判があったとしても、己の不徳と恥じと罪について耳を傾けてくれた方に、心から感謝の意が湧いてきたことはまぎれもない事実だ。
ボクはこれまで多くの人々を傷つけてきたに違いない。
心の闇が引き起こす行為について、はたしてどれだけの人々を傷つけてきただろうか。
しかも、それは無自覚であるがゆえに、果てしなく罪深い。
ボクはそれを恥ずかしく思う。
翻り思った。
ボクは、ボクを傷つけてきた人々を許すことができるのだろうかと。
己の寛容の無さに、忸怩たる思いが溢れ、それは涙を形成した。
許すことのできなかった人々(ボクの被害妄想かもしれない)を、許さないことで彼らを深く傷つけてきたように思う。それは罪に罪を塗りつけているようなものだ。
そんなボクは許されるのだろうか。
悪童とレッテルを貼られ管理教育と闘争した中学時代。
高校合格の日に家を出て行った実父に対する怒りと憎しみ、悲嘆する実母をあざ笑い、肉欲におぼれ仮面をかぶって過ごした高校時代。
実父母や社会に対する憎しみと反発を、夢と希望の言葉にすりかえ勉学に励んだ大学時代。
確かに、友人や知識がボクに光りを与えてくれたこともあったけど、底流していたものは怒りと憎しみの感情だった。
救ってくれたのは妻だった。寄り添い、本当の人肌の温もりを教えてくれた。
最初に見た世界は、水銀が漂う子女強制労働現場と、その国の植民地解放のためイギリスとの戦いに散った日本人魂の現場。何も変わらないその国の戦後50年という歴史状況とその半分の時間にあたる自分の人生を対比し、・・・何も見出すことができなかった。
資源獲得の御旗のもと、「欲望」を「ロマン」にすりかえ調査に従事する日々。資金は血税(補助金)を利用し、社内の派閥抗争と子会社を食わせるため、無意味な調査計画立案と現場での指揮。加えてリストラに伴った人員不足による現場事故の多発。
もともとボクには揺るぎない大義などなく、今思えば、そこに立脚していたのはただの反発と顕示欲。
自分の行為を欺瞞とも思っていなかった。
しかし、気が付けば自死を考えていた。
妻には迷惑を掛けた。
手を差しのべてくれたのは実家に戻っていた実父で、「帰ってこい」という受話器の向こう側の声に、ボクは泣き崩れた。
ボクは幸せなのかもしれない。
先輩、親戚の自死、事故死した親友たち、病死した友人たち、現場事故死した上司。
ボクはのうのうと生きている。それすら罪に思えることがある。
熊本に戻り、10年という月日が過ぎた。そして実父母と一つ屋根の下に住むようになって5年が経過した。様々な葛藤があり、そのうち1年は全く口を閉ざした時期もあった。
人を傷つけ悪行甚だしく、その一方でキレイ事をこのブログに散りばめている。
欺瞞に満ちている。
キレイ事を言う資格はないのかもしれない。
だけど、これだけは確かに言える。
全てに感謝しています、本当に。
ありがとうございます。
「それは、オマエの楽観に過ぎない」という批判があったとしても、己の不徳と恥じと罪について耳を傾けてくれた方に、心から感謝の意が湧いてきたことはまぎれもない事実だ。
ボクはこれまで多くの人々を傷つけてきたに違いない。
心の闇が引き起こす行為について、はたしてどれだけの人々を傷つけてきただろうか。
しかも、それは無自覚であるがゆえに、果てしなく罪深い。
ボクはそれを恥ずかしく思う。
翻り思った。
ボクは、ボクを傷つけてきた人々を許すことができるのだろうかと。
己の寛容の無さに、忸怩たる思いが溢れ、それは涙を形成した。
許すことのできなかった人々(ボクの被害妄想かもしれない)を、許さないことで彼らを深く傷つけてきたように思う。それは罪に罪を塗りつけているようなものだ。
そんなボクは許されるのだろうか。
悪童とレッテルを貼られ管理教育と闘争した中学時代。
高校合格の日に家を出て行った実父に対する怒りと憎しみ、悲嘆する実母をあざ笑い、肉欲におぼれ仮面をかぶって過ごした高校時代。
実父母や社会に対する憎しみと反発を、夢と希望の言葉にすりかえ勉学に励んだ大学時代。
確かに、友人や知識がボクに光りを与えてくれたこともあったけど、底流していたものは怒りと憎しみの感情だった。
救ってくれたのは妻だった。寄り添い、本当の人肌の温もりを教えてくれた。
最初に見た世界は、水銀が漂う子女強制労働現場と、その国の植民地解放のためイギリスとの戦いに散った日本人魂の現場。何も変わらないその国の戦後50年という歴史状況とその半分の時間にあたる自分の人生を対比し、・・・何も見出すことができなかった。
資源獲得の御旗のもと、「欲望」を「ロマン」にすりかえ調査に従事する日々。資金は血税(補助金)を利用し、社内の派閥抗争と子会社を食わせるため、無意味な調査計画立案と現場での指揮。加えてリストラに伴った人員不足による現場事故の多発。
もともとボクには揺るぎない大義などなく、今思えば、そこに立脚していたのはただの反発と顕示欲。
自分の行為を欺瞞とも思っていなかった。
しかし、気が付けば自死を考えていた。
妻には迷惑を掛けた。
手を差しのべてくれたのは実家に戻っていた実父で、「帰ってこい」という受話器の向こう側の声に、ボクは泣き崩れた。
ボクは幸せなのかもしれない。
先輩、親戚の自死、事故死した親友たち、病死した友人たち、現場事故死した上司。
ボクはのうのうと生きている。それすら罪に思えることがある。
熊本に戻り、10年という月日が過ぎた。そして実父母と一つ屋根の下に住むようになって5年が経過した。様々な葛藤があり、そのうち1年は全く口を閉ざした時期もあった。
人を傷つけ悪行甚だしく、その一方でキレイ事をこのブログに散りばめている。
欺瞞に満ちている。
キレイ事を言う資格はないのかもしれない。
だけど、これだけは確かに言える。
全てに感謝しています、本当に。
ありがとうございます。
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