1969/04/09に生まれて

1969年4月9日に生まれた人間の記録簿。例えば・・・・

おせちが無い問題 のつづき

2025-01-01 18:44:00 | 雑談の記録

さて、お正月はクソ時間があって、筆ならぬ指が勝手に進みがちであるので、「おせちが無い問題」をもう少し掘り下げてみることにする。


そもそも、群馬県の料理店におせちを注文したことを知ったときから、激しい違和感を感じていたのだった。


晩秋に、次女と妻は関西を一緒に旅をしていて、話しの様子からして、その時のノリで注文の方向性を決定したようなのだった。つまり、これは旅行アルアルで、修学旅行生の男子が旅先で木刀や日本刀のレプリカを購入する行為のソレとさして変わらない行為なのではないかと考えられるのである。事実、我が家には日本刀のレプリカがあったりするのである。


我々は旅先でのそのコーフンした状態において、しばしば思慮を欠く行動をとってしまいがちである教訓を、売店に置かれているレプリカの日本刀に見い出さなければならないのである。レプリカの日本刀や木刀は、ソレを教える為に土産店に置かれていると言っても過言ではない。


さりとて、旅先での思慮を欠く行動や醜態は、周囲に迷惑を掛けなければ、それはそれで後に楽しい思い出となり得るものであるから、それらを全面的に否定すべきでないことも心得ておかなければならない。


それらを踏まえたうえで、今般の問題について一家言申し上げるとするならば、おせちを熊本から900キロも離れた「群馬県」の料理店に注文するのは如何なる了見であるのかと問い糺すべき事項ではないかと、そう考えるのである。


決して、おせちが届かなかったことを問題にしているのではない。


我々は利便性というものを勘違いしてはいないか。


900キロといえば、およそ熊本から上海や平壌に匹敵する距離である。パリ(フランス)-ベルリン(ドイツ)の距離である。


そういった遠方で調理頂いたものを暮れの差し迫った大晦日に届けさせる行為とは、いかなる行為なのかと問いかけたいのである。

Amazonの物流センターに在庫としてあるものが機械的に届けられるのとはワケが違うのである。ゴルフ場にゴルフ道具を送るのとも違うのである。返礼品でもないのである。

届けられるものは、人の手で丹精込められて作られたはずの食品なのである。


恐らく、「群馬県」の料理店は、まさか熊本から依頼があるとは想定していなかったのではないだろうか。

たとえ、冷蔵発送だとしても、空輸だとしても、群馬県から熊本県への直行はあり得ない。大都市を経由しなければ届かない。物流の働き方改革で、以前のような短時間配送を望んではいけないご時世でもある。


タイパだ、コスパだと、それを望む声を上げることが、あたかも正しい消費者のように評価さる雰囲気が昨今の社会を覆っているように思えてならない。


お正月のお祝いに頂くありがたい食事が「おせち」なのである。


たとえ、それが注文品であったとしても、できれば地域の産物で、地域の顔が見える方々に作って頂いた「おせち」を頂きたいものである。


昨年までそうであったように。

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おせちが無い問題

2025-01-01 18:37:00 | 雑談の記録

明けましておめでとうございます。

さて、我が家では正月早々から注文していたおせちが届かない問題が勃発。

おせちの注文段取りは、妻と次女が相談して決めていたようだが、大晦日の午後9時を回っても到着しなかった。

現時点において、発送されたかどうかも実のところよくわからない。聞けば、発送元は群馬県の評判の料理店で次女が旅先で気に入ったお店だったそう。


ところで、ナゼ「新年、明けましておめでとう」なのだろうか。ナゼ、私たちは新年を祝うのだろうか。一方で、お正月感が薄れている昨今と言われて久しい。  

何かと忙しいご時世、お正月を単なる冬休みと捉えるのも一つの考え方で、遊ぶも良し、ゆっくり休むも良し、人それぞれの過ごし方があって良いと思う。


しかし、これは私なりの雑感の一つであるが、お正月をお祝いして気持ちを新たにするという行為は、無事に新しい一年を迎えることができたことに対する感謝の表徴ではないのかと思うワケである。

その上で、おせちとは、単なる欲を満たす食べ物でもなく、お正月感を出すガジェットではないと思うワケである。おせちの歴史は知らない。しかし、年をとって色々経験するなかで、おせちについて再考すれば、その原初は、神様に捧げる供物ではなかったのかという思いに至るのである。


おせちが無い❗️


つまりそれは、神様をお迎えする準備ができていないということ。家長として責任を取り反省しなければならない。早朝から近所の氏神様である沼山津神社を家族で参詣。


果たして、我が家は正しいお正月を迎えることができたのだろうか⁉️


低血糖で迎えた元旦の朝であった❗️

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出版物語 1. ヤブヘビが事のはじまり!?

2024-12-31 12:23:00 | 自費出版の記録

令和6年12月20日が『地質屋が読み解く不動岩・景行天皇伝説と肥後熊本の神話』の記念すべき出版日となったわけだが、出版に至るまでのことを記録しておこうと思う。

 

本書(書籍)の冒頭にもあるように、キッカケは熊日日新聞の企画記事『ジオ・ドラマ』の執筆者の一人であったことだ。しかし、そもそもの『ジオ・ドラマ』がナゼ企画されたのか、そのあたりのことから記録しおく必要があるように思う。

 

ご存じのとおり、私は、地質調査を生業にした地元の中小零細企業に勤務している一技術者に過ぎないのだが、県内業者で組織された団体会員でもあるため、その団体が主催する催しものなどに駆り出されることがある。

 

今から遡ること4年ほど前、その団体の設立の40周年の記念事業で、当時の理事長の発案で記念冊子を作ることになり、その製作委員(執筆者)に選ばれてしまったのが運の尽き。今だから言えるのだが、「気分は、もう、めんどくせぇ~」だった。最初の会合は内容についての検討会だったように思うのだが、あまりの面白無ささについていけなく、内心、途方に暮れてしまったような記憶が残っている。

 

その席で意見を出すよう求められた。

「たぶん、フツーに熊本の地質を、文章や写真で紹介するだけじゃぁ面白くないっすよ」

(心の声:だって、そんなガイド本はどれも似たり寄ったりでツマンネェーだろ、大体が、地質屋が地質のことを語れば語るほど、鬱陶しがられて、周りは引いてしまうのがイッパンジョーシキってもんだろ)

「それでは、ナニか面白くなる考えでも?」

「エっ!?、、、、例えば、マンガとか、、、あ、そうですねー、県内で起こった災害をイラスト入りマップで紹介するとか、、、」


そういうワケで、イラストマップの担当になってしまい、さらにメンドーなことなってしまったのだった。



冒頭の画像が、記念誌に掲載されたイラストマップ。

結局、地元のデザイナーさんの指導を受けて著作権侵害にならによう報道機関が掲載した象徴的な災害写真を参考にしてイラストを自作したのだった。帰宅してからの製作期間は2ヶ月以上になったのではないだろうか。


その昔、精神衛生の向上を目的に色鉛筆画をやっていたのが役に立った。とは言え、出来映えについては全く納得できるものではなかった。しかし、委員会での評判は上々で、記念事業の担当理事からは大変感謝されたのだった。

そして、記念誌として仕上がったのが『火の国、水の国、くまもと』で、県内の自治体などに頒布された。

しかし、一抹のひっかかりは委員会で発せられた暴走気味の意見だった。

「記念誌を一般書籍化するのはどうだろう」

そう意見を発した人物には大変失礼なのだが、自分にとっては噴飯ものだった。

ただ、これはあくまで私見。書籍化はハードルが高く、そもそも記念誌レベルの薄っぺらいものをどう料理して書籍化するというのだろう。ズバリ、面倒はもうゴメンだと思った。なので、反対意見を次回の打ち合わせ時に発すべくその根拠を得るために私は一つのズルイ行動にでた。

プロに意見を求めることにしたのだった。


果たして、そのプロとは、本当に出版物に明るいプロと言い切れるか疑わしいかったのだが、文人としての専門性が高いと思われる新聞記者の友人S氏に冊子を送って感想を得ようと思い立ったのだった。ところが、冊子を送付しその友人Sからの返事よりも早く反応して連絡してきたのがS氏の後輩K記者で、ついては、この冊子の発刊経緯などについて取材したいとのことだった。自分の行動がヤブヘビ気味になりつつあると後悔しながら、そういう事情であれば、話は通すので、直接、理事長に取材を申し込んではどうかと返答したのだった。そして、その申し出のついでに相談を受けたのが、後の連載記事となる『ジオ・ドラマ、くまもとの大地を歩く』という企画案だった。


「最近ブラタモとか流行ってじゃないですか、そういうことに興味を持ってる人って結構多いと思っていまして、そんなブラタモ的なことを紙上でやってみようとか考えてるんですけどどう思いますか?、そのような場合ご協力頂けることはできるでしょうか?」


「、、ん、まぁ、、できるんじゃないでしょうか、、ん、まぁ、、それも理事長に相談してみればどうでしょうか」


指先が力無く通話をオフにした。


ヤな予感は見事的中。記念誌作りが終わって間も無く、次は『ジオ・ドラマ』の執筆者の一人に抜擢されてしまったのだった。そして、『ジオ・ドラマ』を通じての取材が、本書作成の端緒となったのである。つまり、本書はある意味においてヤブヘビがその発端であったのである。


思いもよらないことが起こることの喩えとして、瓢箪から駒なんていう諺があるが、今回の出来事は、さしずめ「藪蛇から本」というシン・諺がテキトーなのかもしれない。














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当ブログ読者の皆さまへ―感謝―

2024-12-23 21:04:00 | 自費出版の記録

さて、昨日の投稿では、自費出版についてアナウンスさせて頂いた。<o:p></o:p>

 

内容は、書籍の題名のとおり「景行天皇」が中心。<o:p></o:p>

本ブログで2022年秋から23年の年明けごろに連載していた『景行天皇伝説を巡る冒険』が本書主軸の第2章を構成している。<o:p></o:p>

 

出版にいたるまでの経緯は様々なのだが、当ブログでの『景行天皇』シリーズの反響(閲覧数)が少なからず影響していたことは間違いない。

 

『景行天皇』シリーズについては投稿が終了して既に2年が経過しようとしているが、不思議なことに現在も毎週100件以上のアクセスが続いている。<o:p></o:p>

 

本ブログの聡明な読者諸兄にだけ内内に披露するが、本書の『地質屋が読み解く不動岩・景行天皇伝説と肥後熊本の神話』を書きあげた理由の一つは、景行天皇に興味のある方々(アクセス者様)から「景行天皇伝説についてもっと知りたい」という聞こえざる声に応えたいという思いがあったに他ならない。(思い込みに過ぎないが)<o:p></o:p>

そういうワケで、本書が完成に至った背景にはアクセスして頂いた方々の存在があったのである。<o:p></o:p>

 

この場を借りて厚く感謝申し上げる。<o:p></o:p>

 

本当にありがとうございました。


ちなみに、現在Amazonでは「一時在庫切れ」となっていますが、出版社に問い合わせところ早急に対応するということなので、注文に問題はありません。ただ、年末休暇に入るため普段より配送に遅延が生じるとのことです。


https://amzn.asia/d/7WTGo7U


https://www.amazon.co.jp/%E5%9C%B0%E8%B3%AA%E5%B1%8B%E3%81%8C%E8%AA%AD%E3%81%BF%E8%A7%A3%E3%81%8F%E4%B8%8D%E5%8B%95%E5%B2%A9%E3%83%BB%E6%99%AF%E8%A1%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E3%81%A8%E8%82%A5%E5%BE%8C%E7%86%8A%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%A5%9E%E8%A9%B1-%E8%A5%BF-%E8%8B%B1%E5%85%B8/dp/4906897886/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=29759FJMWJK46&dib=eyJ2IjoiMSJ9.vfu2dzIhnQFCPvZT-AcfpzSFHU-I2k1EC2o_H6LZ3tZbxfONAjARr5WusmACqmyvv1yvshXLHdFr4r37iy0c85LJyEMqniDPbXBDq4M78fz4eGj_WNzqohDOdLn9VKTT0Dk3NQT_kzT_RqAJDaS0mqiCn8njrid-7VZ03awLTBPqofHJbrMaS___7So_dBO6EU1GkrcrE0PaFdbT_GAKBo8AfL-p8y0b2bpEGeQEYfFygWlqI-9fLGwYYTwgcZBcUobuXi_zxFX2g-lOJdPfyclr6T3JXvD7MvNLfbVMX0AHJASw88juZNGliCHzKrB9KhOvke0_Z43TomdsoqYmAiPlexlXXjs629k5HUtlOoA.7j5ohYUiJZWiH7AvDJRyTQJ2Wp22uIaqip-RJ3hrSRI&dib_tag=se&keywords=%E4%B8%8D%E5%8B%95%E5%B2%A9&qid=1734955285&s=books&sprefix=%E4%B8%8D%E5%8B%95%E5%B2%A9%2Cstripbooks%2C251&sr=1-1

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自費出版しました

2024-12-22 21:19:00 | 自費出版の記録

ここに、謹んでお知らせしなけらばならない事がある。


書籍を出版した。一冊2200円(税込)である。

342頁である。地方古代史サイエンスエンタメ本であり、シン・ジャンルである。新しい地平を切り拓いたのである。


https://amzn.asia/d/8E3jcdM


そして、出版に際して真剣に学んだことが有る。


その一冊の書物には筆者の思いだけではなく、それに関わった様々な人々の思いが込められているということ。


流通出版に関わった方々、本書に登場する方々、引用文献の各執筆者(研究者)の方々、これらの方々の思いを代表して、声高らかに主張したいことがある。


「皆さんには、ぜひ、本書の購入をご検討を頂きたい!」


なお、本書は初版1000部、全国流通となっている。自費出版である。金欠とあいなったのである。


重ねて申し上げる。


「ぜひ、ご購入を!」


これといった特典は無い。

しかし、帯にもあるように推薦者は、かの幣立神宮の宮司である。

世界平和の御利益が期待できる。


#幣立神宮 #不動岩 #景行天皇 #神話 #日本神話 #阿蘇神社 #阿蘇 #古代 #肥後国 #火の国 #山鹿  #菊池 #鯰 #神社 #球磨人吉 #球磨川 #大王神社 #相良家 #自費出版 #ブリタニースパニエル #犬 #日本古代史 #地方古代史  #日本史

#古代史サイエンス














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気がつけば

2024-12-16 21:22:00 | 読書の記録
気がつけば、最後に投稿してから5ヶ月が過ぎている。
感想文など。


既に故人となっているが、熊本にこんなスゴイ思想家がいただなんて。熊本の文芸界隈については全くムチムチであった。


ところで本書は、とにかく、良書であった。

江戸末期から明治初期に来日した異邦人が記した膨大な資料を渉猟し、その異邦人の目を通して、当時の人々の生活、習俗、心情を活写しながら、それらが既に失われた一つの「文明」であったこと明示した傑作!


この失われた「文明」は、西欧近代化してしまった現代の我々日本人には全く受け入れられないだろう。しかし、その「文明」に懐かしさを禁じえないのは、その「文明」を育んだ永い歴史の中で私たちに刻印されたDNAのようなナニかがあるからなのかもしれない。

また、その「文明」下に生まれたとして私はこの年齢まで生きることは困難であっただろうと思うのだけれど、そういう思考と、当時の人々が抱いていた底抜けの明るさを有した不思議な諦観とも言うべき想念に否応なく共鳴してしまったのだから仕方がない。

そして、いわゆる現代社会というやっかいな環境から独立した完全な人権を有した一個人という観念を放棄して、むしろ自然の摂理の一部として、この世に溶け込むような生きかたを選択することのほうが、私のような不遜な人間の身の丈にあっているのではないかと思うに至った。


つまり、ごくごく簡単に言ってしまえば、愛犬のサラちゃんと私と命に特別な差は無く、どちらも等しく大事であり愛おしい存在であるということを存分に感じながら日々を過ごすという生き方がラクチンなのである、というこである。


サラちゃん、大好きだよ。


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ラーメン屋

2024-07-05 21:51:00 | 雑談の記録
近所にまたラーメン屋の出店が!
にぼらや
昔からの大ファン!
やったー!




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父の日プレゼント

2023-06-17 20:25:00 | 短歌の記録
#父の日短歌 #短歌


父の日に 頂いたのは 缶ビール

メールクーポン セブンで引き換え

😆




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野球短歌

2023-06-15 18:50:00 | 短歌の記録
#野球短歌

さら丸と戯れる孫 藤崎台
選手として見む いつの日にか




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『景行天皇伝説を巡る冒険』32. 最終回 景行天皇の御陵の前で

2023-01-10 21:30:00 | 景行天皇の記録
【景行天皇の御陵の前で】
ヤマト政権が樹立して間もないころに造立されたとされる箸墓古墳を背にして、付近の水路でオレンジ色に輝く鉄バイオマットを見つけたとき、脳内に火花が散りました。

景行天皇のこと、古代史のこと、これまでほぼ1年を費やして学んできた知識が一気につながった瞬間でした。

古い記憶も蘇ってきました。私に見えた古代の歴史像は間違っているかもしれません。ですが、十分に満足できる結果を得たような気分でした。

水路でオレンジ色の鉄バイオマットを見つけてあと景行天皇の御陵にたどり着くまでの間のことはよく覚えていません。泣いたり笑ったり納得したりやっぱり悩んでみたり。

そして最後に湧いてきた感情がありました。

景行天皇の御陵の前に立ち、静かに手を合わせました。



景行天皇の御陵


「本当にありがとうございました」


正直な気持ちをお伝えしました。



終わり。


【謝辞及び予告】

これで『景行天皇伝説を巡る冒険』は終わりますが、前編の『三玉山霊仙寺を巡る冒険』の連載中からリアクションで応援して頂いた皆様には厚くお礼申し上げます。連載の励みになりました。


kanumasさん

ff10yunaさん

daitou8さん

mamazonesさん

takeidentalさん

micawberさん

shiawase-beatさん

mi-yu66_1966さん

masahiroshige777さん

manbo_tourさん

janko312さん

ocean8さん

marusan_slateさん

momo2303さん

azisaiki2015さん

sakuranoyamiさん


本当にありがとうございました。また、多くの方にも閲覧頂き本当にありがとうございました。


さて、次作は『阿蘇神話伝説を巡る冒険』と題して現在、鋭意、製作中です。自作では民俗学に加えて、最新の考古学や地質学の知見を踏まえて、熊本県の阿蘇地域に残る神話伝説を解き明かすという意欲的な内容を目指しています。驚きの結末もあるかもしれません。ご期待下さい!


連載は一ヶ月後くらいから始まると思います。


『景行天皇伝説を巡る冒険』《参考文献・引用文献》


『日本書紀()()』井上光貞 監訳 中公文庫 2020

『新版 古事記 現代語訳付き』中村啓信=訳注 平成21年

『図解 古事記・日本書紀』多田元監修 西東社 2014

真弓常忠『古代の鉄と神々』筑摩書房 2018

谷川健一『魔の系譜』講談社 1984

谷川健一『日本の神々』岩波書店 1999

舘充 「わが国における製鉄技術の歴史―主としてたたらによる砂鉄製錬について」『鉄と鋼』Vol. 91 No. 1、日本鉄鋼協会 p.2-10 2005

吉田敏明「鉄から見た我が国の古代史」『火力原子力発電』Vol.66 No.9 p.515-528 2015

永田和宏『人はどのように鉄を作ってきたか』講談社 2017

田中和明 『よくわかる最新「鉄」の基本と仕組み』秀和システム 2009

浅井壮一郎 『古代製鉄物語「葦原中津国」の謎』彩流社 2008

山内裕子「古代製鉄原料としての可能性〜パイプ状ベンガラに関する一考察〜」『古文化談叢』第70集 p.243-252 2013

佐々木稔・赤沼英男・伊藤薫・清水欣吾・星秀夫「阿蘇谷狩尾遺跡群出土の小鉄片と鉄滓様遺物の金属学的解析」『古文化談叢』第44集 p.39-51 2000

藤尾慎一郎「弥生鉄史観の見直し」『国立歴史民俗博物館研究報告』第185 p.155-182 2014

西岡芳晴・尾崎正紀・寒川旭・山本孝広・宮地良典『桜井地域の地質』地域地質研究報告 5万分の1地質図幅 京都(11)64号 地質調査所 平成13

大塚初重監修『古代史散策ガイド巨大古墳の歩き方』宝島社 2019

『小野原遺跡群 黒川広域基幹河川改修事業に伴う埋蔵文化財調査報告』熊本県文化財調査報告 第257集 熊本県教育文化課編 2010

安本美典「邪馬台国学」『遺跡からのメッセージ古代上編 熊本歴史叢書1』熊日出版 平成15

中橋孝博「戦う弥生人 倭国大乱の時代」『遺跡からのメッセージ古代上編 熊本歴史叢書1』熊日出版 平成15

河野浩一『熊本のトリセツ』昭文社 2021

川越哲史編『弥生時代鉄器総覧』広島大学文学部考古学研究室 2000

大神神社ホームページ http://oomiwa.or.jp/

磯山功・斎藤英二・渡邊和明・橋本知昌・山田直利「100万分の1日本地質図(2)から求めた各種岩石・地層の分布面積」地質調査月報、第35巻第1号、p.25-47, 1984

井澤英二『よみがえる黄金のジパング』岩波書店 1993

高橋哲一「花崗岩系列の成立と展開 石原舜三博士の偉業を振り返って」『GSJ地質ニュース』Vol.9 No.10 p.289-297 2020

Shunso Ishihara (1977): The Magnetite-series and Ilmenite-series Granitic Rocks: Mining Geology, 27, 293-305

井上智勝『吉田神道の四百年 神と葵の近世史』講談社 2013

熊本文化研究叢書6『肥後和学者 上妻博之 郷土史論集1』熊本県立大学日本語文学研究室編 平成21

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『景行天皇伝説を巡る冒険』31. ヤマト前身勢力と葦原中国勢力の談合!?と『三国志』制作の舞台裏!?

2023-01-08 17:40:00 | 景行天皇の記録
【ヤマト前身勢力と葦原中国勢力の談合!?】
葦原中国勢力の代表者
「あのさぁ〜、そのプランは魅力的に思うわけよ〜、ホント。だけどさぁ、その新しいヤマトまでの交通手段はどうすんのよ、一人でのんびり行くわけじゃあるまいし、連れてくのは兵団ですよ、兵団。一気に攻め落とさなくちゃいけないわけだしぃ〜、一気にぃ、問題はそこでしょ。それができなきゃ絵に描いたモチじゃぁんっ!?」

ヤマト前身勢力の代表者
「まぁ、まぁ、まぁ、まぁ、落ち着いて、落ち着いて。考えてもみてくださいな、葦原の旦那ぁ、私たちが手を組めばぁ狗奴国の連中はグウの音もでませんって。」

葦原中国勢力の代表者
「それが何だってんだいっ?」

ヤマト前身勢力の代表者
「えっ!?、連中は元海神族ってのをお忘れなんですか?、連中に舟を作らせるんですよぉ、舟だってバンバンとばせますょ。」

葦原中国勢力の代表者
「ほうっ、なるほど。しかし材料はどうすんのよ。お互い鉄器作りで海っぺたの木は殆ど使いきってんじゃっ!?、狗奴国だって同じっしょっ!」

ヤマト前身勢力の代表者
「へっ、葦原の旦那、まぁ聞いて下さい。狗奴国の向こうっかわの日向の国には、まぁだ、たんまりと木が残ってるってぇ話しですよ。」

葦原中国勢力の代表者
「ぬぬぬっ、イケルかもっ、そのプラン!。ところでさぁ、最近、オタクら大陸の政権に対してはどうなってんのよ。」

ヤマト前身勢力の代表者
「へっ、心配にゃおよびませんって。ちゃぁんと、たんまり、貢ぎもしてるんでそこは。こないだ遣いのもんが行って説明してきたらしいんですけど、新しい攻略プランを披露したら、景気付けに銅鏡やらなんやらどえらい土産を貰ってきたってぇ話しです。」

葦原中国勢力の代表者
「マァジかっ!、それで、今回の作戦名はっ?。まさか、シン・ヤマト作戦っ!?」

ヤマト前身勢力の代表者
「へっ、旦那、ソレ、つまんね〜っす。」

という会話がなされたのは全くの空想ですが、ヤマト前身勢力が考えた西日本統一の作戦は、葦原中国を懐柔しながらその威力で狗奴国を服従させ、新しい技術で作った武具と航海術で近畿地方(ヤマト)を一気に征服するという短期決戦を目論んだ作戦ではなかったのでしょうか。

【『三国志』制作の舞台裏!?】
一方、そのころ大陸の政権では、魏志倭人伝が記述された歴史書『三国志』の編纂が行われていました。
想像力、マックスです。

極東アジア編纂課、担当課員
「ちっ、参ったぜ、ッたくよぉ、倭国どうなってんだよぉ、聞かされた話しだけじゃぁ、そのぉなんだぁヤマトってかぁ、このクニはどこにあるって書きゃいいんだ、新しいヤマトになったって連絡はまだ来ねぇし、かといって聞かされたプラン通りにいくとも限らんしぃ、ん〜〜、課長!、この件、どうしますぅ?」

極東アジア編纂課長
「え〜っ、オレに聞く〜っ?、ホント困るよなこの件は。ところで、この原稿の締め切りはいつだっけ?。え〜、明日なの〜、ちょっとちょっと、もっと早く相談してよ〜キミ〜。あ〜しょうがねぇ、部長に相談しよっ!」

編纂部長(陳寿)
「まぁた君か、今度は何だね。、、、そりゃ確かに困りましたね〜、、両論併記というわけにもいきませんしぃ、、それじゃあこうしましょうか。どちらにも受けとれる表記ってのはどうでしょう。例えばぁ、位置関係で説明すれば従来のヤマト、距離で説明すれば今後期待される新しいヤマト、たぶん新しいヤマトが近いうちに成立すると思いますよ。あとの細かいところは宜しく頼みます。責任は私がとります。今のところ倭国が脅威となる可能性は低そうですしね、じゃ、この件はそいうことで、いいかな。」

極東アジア編纂課長
「はい、わかりました、ありがとうございました(さすが部長、カッケー)。」

歴史書の編纂部長(陳寿)様には是非責任を取ってもらたいものです。おかげで歴史書が編纂されて1720年が経過した現在も、「邪馬台国」の件に関しては決着がつかないというあり様です。

というのは全くの空想ですが、以上のように、とぼけた地質技術者の目線で古代史を紐解くと、上述してきたような歴史像が見えてくるのです。

古代史については確かな文献資料が少ないことや、かといって考古資料に頼っただけでは歴史の全体像の把握は難しいとされています。しかし、分析技術は日進月歩です。新たな文献や考古資料が発見される可能性は十分あると思います。古代史には百人百様の見方があると言われています。人間の想像力は無限大です。
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『景行天皇伝説を巡る冒険』30.ヤマト前身勢力の戦略

2023-01-06 22:04:00 | 景行天皇の記録
【ヤマト前身勢力の戦略】
ヤマト前身勢力は、農具、武具の鉄資源を自前で準備する技術を持ち合わせていませんでした。大陸からの鉄鋌の供給が途絶えれば窮地に追い込まれます。国力をつけ始めた葦原中国と南の狗奴国、海を隔ているとはいえ背後の大陸勢力がいつ攻勢に出てくるかわかりません。三方ふさがった状態を打開するためにとった行動が、先ず、葦原中国の国譲りの交渉です。葦原中国には良質な鉄資源と技術がありました。全面戦争になれば双方が大打撃を受け、北は大陸、南は狗奴国に隙を与える結果となります。

そこで、ヤマト前身勢力が葦原中国に対して持ち出したのが交換条件と新しいクニ作りのビッグプランです。当初は多少の示威行為もあったと思われます。しかし、葦原中国の神にとって、出雲大社の高層神殿の建設とヤマトという新しい土地に神として祀られるのは、何とも魅力的な話しでした。

出雲大社の高層神殿
https://www.streetmuseum.jp/historic-site/kodai/2023/01/06/273/

新しいクニは大陸からも離れていて征服されるリスクは格段に下り、盆地を取り巻く山々は天然の砦となるだけでなく、その山々は花崗岩やはんれい岩で鉄資源もあります。しかも豊富な水も期待でき、新しいクニ作りの場としては全く申し分ありませんでした。ただし、ヤマト前身勢力には譲れない一点がありました。それは、新しいクニ作りに際して、ふるさとの地名を採用するというものでした(図参照)。ひょっとすると、説明用のマスタープランには、既に「地名」があったのかもしれません。それは大陸の勢力に対して説明の簡略化を意図したものだったのかもしれません。
しかし、このプランを遂行するにあたって、ヤマト前身勢力と葦原中国の2つの勢力は決定的に不足していた技術がありました。

北部九州の地名と大和の地名の不思議な一致(北部九州)

北部九州の地名と大和の地名の不思議な一致(大和)
安本美典「邪馬台国学」『熊本歴史叢書1 遺跡からのメッセージ』熊日日新聞社 平成15年


さて、ここから、想像力をフル回転させます。読者のみなさん、ついてきて下さい。
つづく。

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『景行天皇伝説を巡る冒険』29.争いの火種はやっぱり「金」だった!?

2023-01-04 21:47:00 | 景行天皇の記録
【争いの火種はやっぱり「金」だった!?】
熊本県と福岡県の県境にまたがる筑肥山地の山中にはかつて星野鉱山と呼ばれる金鉱山がありました。一説によれば、鎌倉時代の弘安2年(1279年)に星野胤実が信託によって金鉱を発見したことが鉱山開発の始まりとされ、その歴史の古さから日本の金山発祥の地ともいわれています。
はたして、金鉱石の最初の発見は鎌倉時代だったのでしょうか。
地質技術者の目線で想像力を膨らませてみます。
 
太古の星野川の河原で、弥生人が交わす会話の録音に見事成功しました!。
 
弥生人A
「っち、最近、マジやべぇ、もう全然採れなくなってしまったゼ!」
弥生人B
「しょうがないよ、だってこの砂金採りはもう何十年、いやひょっとすると何百年も前からここでやってるんだよ、じいちゃんの時代より古いって話しだよ。」
弥生人A
「っくっそーっ!、なんでオレたちの代で採れなくなんだよっ!先代だけが甘い汁吸ってたってわけか!少しは残しとけってのっ」
弥生人B
「そう言ったところでしょうがないよ、祖先だってこの地を得るために、相当の犠牲を払ったらしいよ、血で血を洗うような、そりゃぁもう悲惨な、、、」
弥生人A
「ふるい話しはもういいって!、っあ~、ってか、ヒミコのアネゴにまぁた怒られっぞ、砂金がなきゃ鉄器は大陸からもらえねぇっしっ、祈祷しったって、もうムリ~~っ」
弥生人B
「でもさぁ、この砂金のもとって、本当はこの山の奥lにある、あの白っぽい脈みたいな石の中に入ってんじゃないのかなぁって思うんだよね、だって、あの白い石より上流じゃ砂金はとれないって昔からいわれてるしさ」
弥生人A
「バカかオマエはっ、入ってるワケねぇだろうが、あの石の中にピカリンって光る金の粒を見たことあんのかいっ!?、あったってちっちゃすぎてどうにもならんだろうがよ、しかもあの白い石はなぁ、いろんな石の中でも硬さについちゃベストファイブには入るしろんもんだぜ、ちょー硬ぇんだよ、だから掘るにも割るにもそれより硬い道具ってもんがいるんだよ、道具が。オマエ生意気言ってねぇで手ぇ動かせ。それとな、取り出すにはまた別の呪術がいるってぇ話しだぜ、その呪術があればなぁ~、あ~呪術が欲しいのぉ~、砂金が欲しいのぉ~、もっと丈夫な鉄が欲しいのぉ~」
弥生人B
「そのオヤジギャグもう聞き飽きたよ、今日は帰ろう、お父さん」
 
そして、この録音に成功した数ヵ月後、九州北部を未曾有の豪雨が襲いました。平地は洪水に巻き込まれました。そして筑肥山地では大規模な地すべりや崖崩れが発生し、B君が期待していた金鉱脈は土に埋もれてしまいました。そして、星野の金鉱床はその次の発見まで1000年の時を待たなければなりませんでした。事実、平成24年の九州北部豪雨では星野川流域では地すべりや崖崩れ、土石流災害が発生しています。古代からこのような災害が起こっていても不思議ではありません。
 
とういうのは、とぼけた地質技術者の空想に過ぎませんが、鉄器材料の交換品である九州特産の金の枯渇も背景にあったと考えるのはどうでしょうか。邪馬台国と狗奴国間の対立関係は、ひょっとすると星野鉱床の砂金を巡る壮絶な戦いの禍根が原因ではなかったのかと思えてきます。


金鉱脈と砂金の関係

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『景行天皇伝説を巡る冒険』28.たたら製鉄の背景と原子力資源探査

2023-01-02 11:59:00 | 景行天皇の記録
【たたら製鉄の背景と原子力資源探査】
火山国である日本の土や岩石、特に火山活動に関連してできた岩石には鉄分が含まれることは、これまで指摘してきた通りです。そして、その代表格であるマグマが地中でゆっくり冷えて固まった花崗岩は日本の各地に分布しています。しかし、一見同じに見える花崗岩であっても、たたら製鉄の原料の砂鉄のもとなる磁鉄鉱の含有量につていは地域性があるのです。

これを見い出したのは、広島大学で鉱床学を専攻して工業技術院地質調査所(現 産業総合研究所地質情報センター)に勤務していた当時40歳代の故石原舜三博士でした。
博士については個人的な思い出があります。大学院の学生だったころ、中国で鉱床学の国際学会が開かれました。学会が主催する中国国内の地質巡検で石原博士とご一緒する機会がありました。既に博士は花崗岩研究の国際的権威になられていて、お会いした当時は北海道大学の教授でいらっしゃいました。博士の研究は若い頃の素朴な疑問からスタートし、その疑問を追い求めていく過程でアメリカ学派を論破するなどの業績を残していて、鉱床学を専門とする学生にとっては、既に伝説的な人物となっていました。ところがお会いすると自分が思っていたイメージとは全く異なり、落語家の鶴瓶師匠を彷彿とするような風貌。気さくな人柄で、どこに行っても現地の子供に囲まれて人気者になるのでした。私もその子供たちの一人と思われていたかもしれません。「疑問はね〜、大事だよ〜」そんな言葉をかけて頂いた記憶があります。

さて、時は1960年代、我が国は高度経済成長期にありました。発展を続ける経済を支えるため原子力は新しいエネルギーと期待されていた時期です。国は政策として原子力発電用の燃料となるウランの調査を国内で実施していました。博士はそのウラン探査プロジェクトで、全国の花崗岩地帯の鉱床の放射能調査とウラン鉱物の発見を担当していました。そしてウラン鉱物を含むモリブデン/タングステン鉱床の探査とその成因研究の中で、花崗岩は2つの系列に分けられることを発見しました。一つは磁鉄鉱が多く含まれる磁鉄鉱系列、もう一方は磁鉄鉱が少なくかわりにチタン鉄鉱が含まれるチタン鉄鉱系列です。その系列は日本だけでなく、環太平洋地域やアナトリア地域の造山帯に分布する花崗岩にも当てはまりました。その後、この博士の発見は国内外の花崗岩の研究や鉱床探査の分野に大きなインパクトを与えることとなり、海外でも非常に高い評価を受けました。そして、その発見のルーツとなったのが島根県の花崗岩に伴うウラン鉱物を含んだモリブデン鉱床だったのです。そうなのです、磁鉄鉱が多く含まれる磁鉄鉱系列の花崗岩が出雲にはあるのです。図に示すように磁鉄鉱系列の花崗岩は山陰の出雲地方に集中して分布しています。
なんと、古代の最先端技術の源泉となる磁鉄鉱資源と現代のエネルギーや軍事技術に転用可能となる原子力のウラン資源が同一地域に存在していたのでした。

たたら製鉄は日本独自のユニークな方法とされています。多くを語る必要はないと思います。出雲地方においてたたら製鉄が発展した背景は、原料の砂鉄のもととなる磁鉄鉱を多く含んだ花崗岩が、出雲地方、つまり葦原中国に広がっていたからです。


日本列島における磁鉄鉱系列花崗岩類とチタン鉄鉱系花崗岩類の分布(高木哲一2020)


さて、もう一つ地質技術者の目線で指摘しておきたいことがあります。ヤマト前身政権の鉄に関する技術は、先に述べたように、鉄挺(てってい)と呼ばれる鉄素材を朝鮮半島から持ち込んでそれを鍛治・加工する技術でした。しかし、鉄挺を得るに当たって、その対価として大陸の王朝等には何を献上していたのでしょうか。
 
その一つとして「金」が考えられます。
 
ベネチアの商人マルコ・ポーロが獄中で口述した『東方見聞録』に「黄金の国ジパング」が記録されました。そして、この数行の文章が、のちの大航海時代のコロンブスをはじめとする冒険者に大きな影響をあたえたといわれています。学生時代に鉱床学を専攻して、なかでも「金鉱床」を研究対象にしたのは、コロンブスとさして変わらない動機からでした。なぜなら、当時、日本では金鉱床が相次いで発見されている時期でした。しかも世はバブル。このような浮かれた時勢に身をおく一人の若者が、その研究成果で「一攫千金」の夢を見ても不思議ではありません。
そして研究を進めるなかで、その若者は日本、特に九州に多くの金鉱床があるのを知ったのでした。
図には日本の主な金鉱床を示します。見てのとおり九州には金鉱床が多く存在します。恩師井澤英二著『よみがえる黄金のジパング』には九州の金鉱床の産金量として馬上(13t)、鯛生(36t)、串木野(56t)、大口(22t)、菱刈(50t当時、現在も住友金属鉱山(株)が操業中)、山ヶ野(28t)、南薩型金鉱床と呼ばれる春日、岩戸、赤石(あけし)は合せて(約20t)と書かれています。また図には金鉱脈と砂金鉱床の関係を示します。



日本の主な金鉱床(『よみがえる黄金のジパング』1993年 井澤)


金鉱床と砂金鉱床の関係(『よみがえる黄金のジパング』1993年 井澤)


 しかし、古代には産金があったという記録や考古資料は存在しません。唯一『日本書紀』に第14第仲哀天皇が政権に背いた九州の熊襲を征伐しようと皆で協議したとき、神の信託で、新羅こそ黄金、白銀を多く産する国であると告げられたことが書かれてあります。そして、このお告げが神功皇后の新羅遠征の伏線となっています。この記述は、4世紀末から5世紀初頭の度々政権に対抗する九州(熊襲)と朝鮮半島の緊張関係が投影されていて、そこには国と国の関係の一部として金銀などの鉱物資源の産地をめぐる争いが暗示されているようだと井澤氏は述べています。
では、ヤマト前身勢力が東征を始める前の弥生時代後期に、はたして国内には鉱物資源を巡る争いはあったのでしょうか。
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『景行天皇伝説を巡る冒険』27.鉄技術の違いが神武東征の真実!?

2022-12-31 11:08:00 | 景行天皇の記録
【鉄技術の違いが神武東征の真実!?】
『古事記』では、ヤマト入りを果たし橿原宮(かしはらのみや)で即位した神武天皇は、皇后として伊須気余里比売(いすけよりひめ)を迎えたと伝えられています。この皇后の父は大物主神(おおものぬしのかみ)、言わずとしれた葦原中国の神です。そして、その妻は勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)です。また、『日本書紀』では、皇后として媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)と書かれています。名前に含まれる「たたら」からは出雲で盛んであった製鉄、”たたら製鉄”を思い起こさずにはいられません。

鉄は、紀元前3世紀ごろに青銅とほぼ同時期に大陸から伝わってきたと考えられています。伝来ルートは少なくとも3つあったといわれます。
①朝鮮半島から九州北部に伝わったルート、
②中国沿岸から熊本地方に伝わったルート、
③朝鮮半島から山陰地方に伝わったルート、
そして、それぞれの鉄についての技術は、
①鉄鋌(てってい)と呼ばれる鉄素材を朝鮮半島から持ち込んでそれを鍛治・加工する技術。
②中国の江南地方で王朝の目を盗んで比較的低温でも製鉄可能な褐鉄鉱を原料とした技術、ただし腐食が早く良質な製品は望めない。
③砂鉄を原料としたいわゆる「たたら製鉄」の前身的な製鉄技術、高品質な鉄製品を作ることができる技術の3つのです。

この鉄技術の伝播が正しいと仮定すれば、景行天皇の伝説、『古事記』、『日本書紀』、『魏志』「倭人伝」で語られた西日本の古代勢力は、それらが保有する技術によって以下のように整理できます。

①高天原のヤマト前身勢力(鉄鋌加工技術)、
②茂賀の浦の狗奴国勢力(褐鉄鉱技術)、
③葦原中国の出雲勢力(砂鉄技術)

そして、これらの勢力が持つ技術力の違いが、ヤマト前身勢力、すなわち神武軍の東征を駆り立てたと思うのです。

さて、そのわけを説明する前に、なぜ出雲勢力が「たたら製鉄」の技術を生んだのか、その背景はなんだったのか、地質技術者の目線で考えてみたいと思います。
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