自身がまだ学生だったころ、高山本線には急行のりくら号が走っていました。
国鉄型急行気動車キハ58系を使用し、運用区間は名古屋~高山・富山。
3往復6便のうち2,5号が高山まで、その他は富山まで走っていました。
ただ晩年はモータリゼーションが進行し、末期の急行のりくらは平日4両、土日祝・多客期6~8両…そこはキハ82系の特急ひだ号と違って増解結が容易なキハ58系の機動性が発揮されています。
往年の8~10両と比べれば短くとも決して惨めではなく、フレキシブルな運用体制に支えられていました。
昭和中期製造ということもあり装備面では見劣りがしましたが、当時はそれが当たり前と思われ気にする人も少なかったです。
車内のシートは普通車なら4人1区画のボックスシート。リクライニングシートのグリーン車は流石に高嶺の花でした(爆)。
※美濃太田機関区の一般公開時に控え室となったキロ28に腰掛けたことはありますが稼動しているグリーン車に乗ったことがないです。
時は1990年3月。急行のくりらが特急ワイドビューひだ号へ移行する直前に乗りに行きました。
特急列車全盛に傾きかけた頃でしたが、まだ東海北陸自動車道は郡上八幡まで達しておらず、当時飛騨方面への旅行は高山本線がメイン。
名古屋駅のホームで観察…先発の特急ひだ号は5両でしたが後発の急行のくりら3号はそれを上回る6両編成!ある意味急行のほうが上手でした。
利用客からすれば早くて楽でも料金ぼったくりの特急よりシートが貧弱でも安く早く移動できる急行のほうがリーズナブル。
コストパフォーマンス高かったです…だから当時「別に特急にしなくとも急行のままでええやん」と思った次第。
編成は岐阜側から順番にキハ28+キハ58+キハ65+キロ28+キハ28+キハ58。
※キハ58系オールスターキャスト、キハ65は編成パワー増強用です。
自身は最後部のキハ58に乗り早速一区画をキープ…しかし人気列車か!?始発地点で区画は随分埋まっていました。
旅慣れていない女子大生3人組が席を取りそびれて慌てていました…自区画に収まるので声をかけて相席に。
※昭和の旅人は相席にして客同士の交流を楽しむ風習があり、自分も倣いましたが…ここでつまずいて旅の思い出が苦行になるよりはマシ。多分彼女たちは高山への卒業記念旅行でしょう。
幸い自身の着衣はスーツ、怪しまれはしませんでした。
列車は名古屋を出て尾張一宮・岐阜へと進む。
自身催したので便所へ向かう…当時の列車便所は和式でしたが、紙もなければ汚物は線路垂れ流し!!(爆)都市部では使いたくありません。
※男子は小用なら紙は使いませんが、女子だと紙携帯必須。
この列車には車内販売があり、駅弁業者と思しき販売員が各地の駅弁を口頭で紹介しつつ乗客のリクエストを聞きながら駅弁を仕入れて客に届けるサービスがありました。今では見られない実に人情味あふれる光景
昼一番の優等列車だけあって弁当はそこそこ売れ、同席の女子大生も弁当を買おうとしていました…それを逃さず販売員がやってきました。
※彼女たちはスカートをはいていたので駅弁を買いに走るにも一苦労したはず。ちゃんと足元を見ています(笑)
駅弁業者のプロ根性を見せつけられたのも収穫だったかも。
岐阜で進行方向が変わり、後ろ向きに座っていた我輩は岐阜からは前向きに。
前向きが好きな人にボックスシートは不向きですが、知っている人は事前に名古屋で後ろ向きに座るから問題なし。
高山本線に入り立ち客も出ました…高山本線優等列車らしくディーゼルエンジンは出力全開!気動車急行の本懐をしっかり味わえました。
変速ショックも相当なものでしたが、当時マニュアル変速車に乗っていた自分は苦になりませんでした。
このあと各務原を抜けて鵜沼からは木曽川沿いに走る。日本ラインの風景は今も好きです。
自身は美濃太田で降りましたが、日本ライン下り目当ての降客は少なかったです。もう斜陽化してた
先ほどの女子大生たちに声をかけて降りました…彼女たちにとって自分は恩人だったかは判りませんが、きっといい思い出になったでしょう。
フィルムに余裕があれば一緒に記念撮影して文通していたかもしれませんが…当時の自分にそんな余裕はなく、惜しいことをしたと思います。
当時撮った鉄道写真、今は行方不明ですが…出てきたらスキャナーにかけてパソコンに永久保存します。
※今回の画像は2000年美濃太田運輸区一般公開時の国鉄急行型気動車キハ28。
今思えば、一時間程度とはいえ人情味あふれる旅行だったと思います。
車両が昭和中期のキハ58系(ボックスシート)だから成せる業でしたが流石に諸般の理由で廃車になり(アスベストやPCBなど有害物質アリ)こんな列車旅を再現するのは無理があります。
JR東海の現有車両でこれに近い旅情を出せるのはキハ75形近郊型車両。急行かすがにも使われた車両なので車内販売を付け加えれば往年の急行列車としてイベント走行させるのも難しくないと思います。
ワイドビューひだ号の車内販売が終了した今となっては難しいかもしれませんが、もし今車内販売をするならスマホ・タブレットなど端末を使うことになるでしょう。人情味は薄れますが商売上必要と考えます。
幸い高山本線は美濃太田の駅弁が生き残っているから、うまく使えばできるはずです。
ただ平日だと苦しいから土日祝や多客期限定で試行する他ありません。
国鉄型急行気動車キハ58系を使用し、運用区間は名古屋~高山・富山。
3往復6便のうち2,5号が高山まで、その他は富山まで走っていました。
ただ晩年はモータリゼーションが進行し、末期の急行のりくらは平日4両、土日祝・多客期6~8両…そこはキハ82系の特急ひだ号と違って増解結が容易なキハ58系の機動性が発揮されています。
往年の8~10両と比べれば短くとも決して惨めではなく、フレキシブルな運用体制に支えられていました。
昭和中期製造ということもあり装備面では見劣りがしましたが、当時はそれが当たり前と思われ気にする人も少なかったです。
車内のシートは普通車なら4人1区画のボックスシート。リクライニングシートのグリーン車は流石に高嶺の花でした(爆)。
※美濃太田機関区の一般公開時に控え室となったキロ28に腰掛けたことはありますが稼動しているグリーン車に乗ったことがないです。
時は1990年3月。急行のくりらが特急ワイドビューひだ号へ移行する直前に乗りに行きました。
特急列車全盛に傾きかけた頃でしたが、まだ東海北陸自動車道は郡上八幡まで達しておらず、当時飛騨方面への旅行は高山本線がメイン。
名古屋駅のホームで観察…先発の特急ひだ号は5両でしたが後発の急行のくりら3号はそれを上回る6両編成!ある意味急行のほうが上手でした。
利用客からすれば早くて楽でも料金ぼったくりの特急よりシートが貧弱でも安く早く移動できる急行のほうがリーズナブル。
コストパフォーマンス高かったです…だから当時「別に特急にしなくとも急行のままでええやん」と思った次第。
編成は岐阜側から順番にキハ28+キハ58+キハ65+キロ28+キハ28+キハ58。
※キハ58系オールスターキャスト、キハ65は編成パワー増強用です。
自身は最後部のキハ58に乗り早速一区画をキープ…しかし人気列車か!?始発地点で区画は随分埋まっていました。
旅慣れていない女子大生3人組が席を取りそびれて慌てていました…自区画に収まるので声をかけて相席に。
※昭和の旅人は相席にして客同士の交流を楽しむ風習があり、自分も倣いましたが…ここでつまずいて旅の思い出が苦行になるよりはマシ。多分彼女たちは高山への卒業記念旅行でしょう。
幸い自身の着衣はスーツ、怪しまれはしませんでした。
列車は名古屋を出て尾張一宮・岐阜へと進む。
自身催したので便所へ向かう…当時の列車便所は和式でしたが、紙もなければ汚物は線路垂れ流し!!(爆)都市部では使いたくありません。
※男子は小用なら紙は使いませんが、女子だと紙携帯必須。
この列車には車内販売があり、駅弁業者と思しき販売員が各地の駅弁を口頭で紹介しつつ乗客のリクエストを聞きながら駅弁を仕入れて客に届けるサービスがありました。今では見られない実に人情味あふれる光景
昼一番の優等列車だけあって弁当はそこそこ売れ、同席の女子大生も弁当を買おうとしていました…それを逃さず販売員がやってきました。
※彼女たちはスカートをはいていたので駅弁を買いに走るにも一苦労したはず。ちゃんと足元を見ています(笑)
駅弁業者のプロ根性を見せつけられたのも収穫だったかも。
岐阜で進行方向が変わり、後ろ向きに座っていた我輩は岐阜からは前向きに。
前向きが好きな人にボックスシートは不向きですが、知っている人は事前に名古屋で後ろ向きに座るから問題なし。
高山本線に入り立ち客も出ました…高山本線優等列車らしくディーゼルエンジンは出力全開!気動車急行の本懐をしっかり味わえました。
変速ショックも相当なものでしたが、当時マニュアル変速車に乗っていた自分は苦になりませんでした。
このあと各務原を抜けて鵜沼からは木曽川沿いに走る。日本ラインの風景は今も好きです。
自身は美濃太田で降りましたが、日本ライン下り目当ての降客は少なかったです。もう斜陽化してた
先ほどの女子大生たちに声をかけて降りました…彼女たちにとって自分は恩人だったかは判りませんが、きっといい思い出になったでしょう。
フィルムに余裕があれば一緒に記念撮影して文通していたかもしれませんが…当時の自分にそんな余裕はなく、惜しいことをしたと思います。
当時撮った鉄道写真、今は行方不明ですが…出てきたらスキャナーにかけてパソコンに永久保存します。
※今回の画像は2000年美濃太田運輸区一般公開時の国鉄急行型気動車キハ28。
今思えば、一時間程度とはいえ人情味あふれる旅行だったと思います。
車両が昭和中期のキハ58系(ボックスシート)だから成せる業でしたが流石に諸般の理由で廃車になり(アスベストやPCBなど有害物質アリ)こんな列車旅を再現するのは無理があります。
JR東海の現有車両でこれに近い旅情を出せるのはキハ75形近郊型車両。急行かすがにも使われた車両なので車内販売を付け加えれば往年の急行列車としてイベント走行させるのも難しくないと思います。
ワイドビューひだ号の車内販売が終了した今となっては難しいかもしれませんが、もし今車内販売をするならスマホ・タブレットなど端末を使うことになるでしょう。人情味は薄れますが商売上必要と考えます。
幸い高山本線は美濃太田の駅弁が生き残っているから、うまく使えばできるはずです。
ただ平日だと苦しいから土日祝や多客期限定で試行する他ありません。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます