「音楽之友」昭和31年7月号に、ウィーン・フィル公演の主催者である朝日新聞社の記者による記事が掲載されています。
1956年ウィーン・フィル初来日時の九州公演(4月16日)のときのこと。会場は八幡市の八幡製鉄体育館。
八幡製鉄の体育館だけあって収容人数が6,000人とすごく大きいし、当日のプログラムの中にモーツァルトのファゴット協奏曲が入っていることからファゴットのエールベルガー(Karl Öhlberger, 1912-2001)、そして指揮者ヒンデミットも本番前は音響効果をしきりに気にしていたそうです。
ところがいざ本番が始まると、団員たちは不思議そうな顔をお互いに見合わせていたが、休憩になるとあちこちで議論が始まったらしいのです。
リーダー格のトランペット奏者ウォービッシュ(Helmut Wobisch, 1912-1980)がやってきて朝日記者に言いました。
「一つ頼みがある。このホールの正確な設計図面を舞台の音響板を含めて、急遽作って貰えないだろうか。信じられないことだが、素晴らしい音響効果だ。特に音響板の角度、寸法、材料等を詳しく知りたい。宝塚大劇場以上だ。日比谷公会堂よりむろんいい。」
ウィーン・フィルが太鼓判を押したということで舞台裏は大騒ぎになったそうですが、検討された結果、朝日新聞社の鬼塚企画部長の設計で、体育館に2つの条件変更が加えられていることが判明したんだそうです。
1.音響板を大きく引き出し、紙張りに特殊な加工がしてある。
2.客席の床が後ろへ高く臨時に傾斜させてある。
。。。この設計変更は臨時措置であることから、朝日新聞上では報道されなかったそうです。
何となく、朝日の自画自賛のような気もしますが、少なくとも音響が悪くなかったのは本当だったんでしょう。
もう58年も前のことだから体育館はさすがに当時のままでは残っていないでしょうね?
追記:この体育館は都市高速5号線の建設に伴い、残念ながら1999年に解体撤去されてしまったそうです。(ネットで情報をくださった方ありがとうございます)