チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

大月フジ子(フジ子ヘミング)独奏会(1956)

2014-08-06 21:32:53 | 日本の音楽家

『音楽芸術』昭和32年(1957年)2月号で「大月フジ子」というピアニストの写真に気付きました。フジ子?Wikipediaによるとやはりあの、ヘミングさんでした。



以下、写真と同じ号に載っていた、独奏会を聴いた属啓成(さっかけいせい)氏と丹羽正明氏の対談です。

 このひと月間もずいぶん演奏会があったのですが、私が最初に聴いたのは大月ふじ子さんです。(1956年)11月26日、ヴィデオ・ホール(※)。私はちょうど風邪をひきかけていて、プログラムの三つまで聴いて帰っちゃったのですが、私の印象では何となく統一のないプログラムだった。最初にバッハの「プレリュードとフーガ」を弾いて、それでバッハについてまとまった印象を持てない中にべートーヴェンに入っている。そうしてショパンのソナタ、エチュード、バラード、ワルツとごちゃごちゃ弾いて、ハチャトリアンのトッカータに最後がラヴェルの一曲と、何か全財産はこれだけですというような印象がしたんです。これはロン・ティボー・コンクールに出ているプログラムを全部集めたからだということも聞きましたがね。

丹羽 確かにそれはあらぬか、危げなくちゃんと弾いておりました。終りまで。それに弾き方も、バッハに対する考え、ベートーヴェンに対する音楽的態度が、はっきりしてない為、整った演奏をしても何か心からうたれる感じがしなかった。まあそれに較べればショパンの方が格段と自分のものになっていたように思いました。でもショパンの中でも、全体の構成という点でソナタとかバラードは何か物足りない。そこへいくと練習曲なんかは、メカニックというかテクニックで聴かせたと思う。作品二五の一番などがよかったと思いました。

 この人は、前に聴いた時は割合にきれいな演奏をするなと思ったことがあるのですが、今度は感心しませんでしたね。バッハとベートーヴェンはずいぶん音も荒れているし、それに何となく我流ですね。ショパンがまあ一番纏まっていました。ただこの会、三十分位も遅く開演して一言の断りもなしにお客さんを待たせることはよくないと思いますね。

丹羽 会場の雰囲気から、ヴィデオ・ホールは音楽会に向かないような感じがする。

 しかし日比谷だって音楽会向きとは言えませんから(笑)

丹羽 ただ雰囲気が......

 そう一曲弾いたらその度に幕が閉まっちゃう。田舎の学芸会みたいで、こういうのは雰囲気をこわしてしまいますよね。



。。。ヘミングさん、30分遅刻とか、一曲ごとに幕閉まっちゃうとか、当時から「奇蹟のピアニスト」の片鱗を示されていますが、批評家のお二人はまさか40年後に大ブレイクすることなど夢にも思っていなかったことでしょうね。

※有楽町ビデオ・ホール(ビックカメラの場所にあったそうです)