なんとなく、ブルックナーの版・稿の問題に関してはボクのような洗脳され放題アタマにとっては何しろハース版、ノヴァーク版が最高で、シャルク版とかレーヴェ版とかは弟子が改悪しちゃったパチモン・バージョンだという強いイメージがあります。
しかし、『音楽芸術』1998年3月号の記事「ジョゼフ・ブラウンスタイン:ブルックナーを良く知る人の過去からの証言」(訳・構成:望月広愛氏)を読んでちょっと考えを改めました。
ハースってそんなに偉かったのか?レーヴェ、シャルクって本当にブルックナーに無断で作品を改竄してしまった「悪人」だったのか?
この記事はウィーン生まれのジョセフ・ブラウンスタイン(Joseph Braunstein, 1892~1996)という、実際にハースと議論したり、シャルクやレーヴェの下で演奏したこともある音楽家への、亡くなる直前(103歳!)のインタビューです。生き証人!
長い記事なので要約してしまうと
・ブラウンスタインはブルックナーの死後に出版された第9番の稿(1903年)に関してレーヴェがまがいものを出版してしまったという誤解を解くため、校訂者がブルックナー本人であることを明確に確認できるということを、スコアへ記されたレーヴェ自身による序文から推測し、手際よい分析を行っている。
・ハース(Robert Haas, 1886-1960)はドレスデンからウィーンに来たときはすでに、音楽家としての将来に見切りをつけていた。そして学者として生きていくことを選択した。彼は指揮者ではなく、合唱のトレーニング・コーチだった。そして後に教授の職を得た。それができたのは彼がナチズムの信奉者だったから。
・ハースにとってシャルク(Franz Schalk, 1863-1931)は敵であった。ハースはブラウンスタインに、シャルクがブルックナーの原典を校訂するきっかけとなったのだと漏らした。シャルクも原典に近づこうとしていた(ライバルだった)のである。彼は国立歌劇場の指揮者だったのだから当然の行動である。
・シャルクが第5交響曲を指揮したとき、新聞は彼がスコアを適当に変えてしまったのだというふうにそれとなく書いたが、この時、「シャルクはこの交響曲をブルックナーによって記された楽譜どおりに指揮したのだ」という声明がシャルクの妻により発表された。
・ハースは、シャルクらブルックナー信奉者たちによる原典スコアの改竄について話をするために、興味を持つ人々を国立図書館に招集した。彼は「ブルックナーは回りの人間たちから制裁を受けたのだ」と話した。ハースは策士であり、学者としての倫理と不当な行動とをごっちゃにしていた。ブラウンスタインはハースのシャルクに対する発言を信用していない。
・ナチ政権が崩壊すると、ハースは必然的に地位を失い、彼の継承者がレオポルド・ノヴァーク(Leopold Nowak, 1904-1991)となった。ブラウンスタインはノヴァークが立派な人物だと信じている。
・ブラウンスタインはレーヴェ(Ferdinand Löwe, 1865-1925)のもとで何十回もブルックナーの交響曲を演奏した。レーヴェはウィーン楽友協会の音楽監督だった。第9交響曲の初版はレーヴェに託されたが、ブラウンスタインは彼がスコアを改竄したとは思っておらず、原典として書かれた通りにしようと試みたということを信じている。
・レーヴェやシャルク版と呼ばれる版は実はブルックナーが校訂し、出版のために準備された彼自身の版だという意見にブラウンスタインは同意している。
。。。ブラウンスタインという名前からしてユダヤ人でしょうからナチズムの信奉者ハースを嫌うってことだろうけど、この記事を読んで自分の中ではシャルクとレーヴェへの評価がちょっと上がりました。クナッパーツブッシュの5番なんて、シャルク版ってだけでゲテモノ扱いしてましたけど。
結局ブルックナーに関してはいろんな版があるからこそ何倍か余計に楽しめるんですよね。
参考↓ シャルクがウィーン・フィルを指揮したベートーヴェンのレコードがあるんですね。ビクターレコード総目録昭和7年(1932年)より。
Franz Schalk (1863-1931)
Ferdinand Löwe (1865-1925)