チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

ジョン・ケージ初来日(1962)~鈴木大拙との会話&オノ・ヨーコ

2014-08-18 20:59:02 | 来日した作曲家

「芸術新潮」1991年9月号に、ジョン・ケージ(John Cage, 1912-1992)が初来日した時のことと写真が載っていました。

(↑ NHKスタジオで演奏するケージ。音符、でかっ)

 

ケージは1962年(昭和37年)10月に来日公演し、日本の前衛芸術家に大きな影響を与えたといいます。以下、その記事から面白いところを抜粋します。


【来日したジョン・ケージが鈴木大拙(※1)と交わした珍問答】

この秋、作曲家ジョン・ケージがデイヴィッド・チューダー(※2)とともに来日。2人は鎌倉の東慶寺に敬愛する鈴木大拙を訪ねた。以下は東慶寺山上の松ヶ岡文庫で交わされた対談から。


ケージ コロンビア大学時代(中略)先生の講義の中で、忘れられない言葉は、「山は山である。春は春である」という、あの名句です。私は、そのとき、「音は音である」と霊感のように思ったんです。(中略)

鈴木 私はケージさんたちの現代音楽というものは、よくわからないのだけれど、現代音楽というものは、非常に知的なものだということをいう人があるが―。

ケージ 現代音楽の中には、たしかに、そういうものもあります。

鈴木 ものもありますというと、そうじゃないものもあるわけですか。

ケージ 僕なんかは、それがあんまり、知的なものにならないように、一生懸命努力しているのです。知的なものじゃつまらない。

鈴木 なるほど。

ケージ 僕たちは、音は、ただ音であるようにしたいと思っています。

(「前衛音楽の発想と展開」11月号←を、芸術新潮が引用)



。。。小難しい知性は邪魔なんですね!なんかケージの音楽って知性の塊なのかと思っていましたが、これを読んでちょっと本気で聴きたくなりました。

※1 鈴木大拙(1870-1966) 禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広く知らしめた仏教学者。

※2 David Tudor(1926-1996) アメリカの現代音楽のピアニスト、作曲家。
(※1,2 Wikipediaより)

 



↑ 1962年10月9日東京文化会館小ホールにて。男性は左からチューダー、ケージ、黛敏郎(何か食べてる?)。

ピアノの上で寝ている女性はオノ・ヨーコさん。お行儀悪い。背中に振動を感じるたび「ア~」とか「ウ~」とか例のキテレツな声を発していたことは想像に難くありません。ジョン・レノンとの出会いはちょうどこの4年後、1966年11月9日だということです。ジョンつながり?

ちなみにケージはマンハッタンのバンク・ストリートでジョン&ヨーコの家の隣に住んでいたことがあるそうです。