「芸術新潮」1991年9月号に、ジョン・ケージ(John Cage, 1912-1992)が初来日した時のことと写真が載っていました。
(↑ NHKスタジオで演奏するケージ。音符、でかっ)
ケージは1962年(昭和37年)10月に来日公演し、日本の前衛芸術家に大きな影響を与えたといいます。以下、その記事から面白いところを抜粋します。
【来日したジョン・ケージが鈴木大拙(※1)と交わした珍問答】
この秋、作曲家ジョン・ケージがデイヴィッド・チューダー(※2)とともに来日。2人は鎌倉の東慶寺に敬愛する鈴木大拙を訪ねた。以下は東慶寺山上の松ヶ岡文庫で交わされた対談から。
ケージ コロンビア大学時代(中略)先生の講義の中で、忘れられない言葉は、「山は山である。春は春である」という、あの名句です。私は、そのとき、「音は音である」と霊感のように思ったんです。(中略)
鈴木 私はケージさんたちの現代音楽というものは、よくわからないのだけれど、現代音楽というものは、非常に知的なものだということをいう人があるが―。
ケージ 現代音楽の中には、たしかに、そういうものもあります。
鈴木 ものもありますというと、そうじゃないものもあるわけですか。
ケージ 僕なんかは、それがあんまり、知的なものにならないように、一生懸命努力しているのです。知的なものじゃつまらない。
鈴木 なるほど。
ケージ 僕たちは、音は、ただ音であるようにしたいと思っています。
(「前衛音楽の発想と展開」11月号←を、芸術新潮が引用)
。。。小難しい知性は邪魔なんですね!なんかケージの音楽って知性の塊なのかと思っていましたが、これを読んでちょっと本気で聴きたくなりました。
※1 鈴木大拙(1870-1966) 禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広く知らしめた仏教学者。
※2 David Tudor(1926-1996) アメリカの現代音楽のピアニスト、作曲家。
(※1,2 Wikipediaより)
↑ 1962年10月9日東京文化会館小ホールにて。男性は左からチューダー、ケージ、黛敏郎(何か食べてる?)。
ピアノの上で寝ている女性はオノ・ヨーコさん。お行儀悪い。背中に振動を感じるたび「ア~」とか「ウ~」とか例のキテレツな声を発していたことは想像に難くありません。ジョン・レノンとの出会いはちょうどこの4年後、1966年11月9日だということです。ジョンつながり?
ちなみにケージはマンハッタンのバンク・ストリートでジョン&ヨーコの家の隣に住んでいたことがあるそうです。