洋楽レコード専門雑誌『DISQUES(ディスク)』1936年1月号からです。
ストラヴィンスキーのヴァイオリン協奏曲は1931年に作曲され、初演は同年10月23日、ベルリン・ラジオの放送で行われたそうです。
そのときのヴァイオリンはサミュエル・ドゥシュキン(Samuel Dushkin, 1891-1976)で指揮はストラヴィンスキー。オーケストラは当然ながらベルリン放送交響楽団。
これ以来、この協奏曲の演奏にはすべて同じ楽譜が使用され、なぜかストラヴィンスキーは表紙に演奏家のサインを要求したそうです。
演奏された都市名と日付、演奏者が記されています。
ストラヴィンスキー自身のサインのほか、クーセヴィツキー、ストコフスキー、ワルター、モントゥーらの名前が見えます。
そして右下の40回目にはまたストラヴィンスキーのサインがあり、Polydorとも書いてあります。これは初演時と同じコンビとラムルー管弦楽団が1935年10月28日と29日にパリで録音したときのもの。
41回目以降もサインは続いたんでしょうか?
↑ ストラヴィンスキーによるドゥシュキンへの献呈文