(2016年10月4日の記事に情報を追加しました)
古い本を読んでいると、その本自体よりも、何気なく挟まっているチラシや小冊子のほうに興味を持たされることがよくあります。
春秋社「世界音楽全集第18巻」には「音楽春秋第16号」(1931年6月号)が保存状態良く挟まっていました。
そこには古い雑誌等でお名前を時々見かける声楽家、関屋敏子さん(1904-1941)が書かれた民謡についての記事が「日本の民謡と其の作曲」という題で掲載されています。
関屋敏子(1904-1941)
関屋さんは民謡を「民衆全体の詩であり又芸術」として高く評価し、ご自身も「大正十四年十一月慶應大学ホールに於て自作品浜歌他数首を拙きながら独唱致しまして以来地方演奏旅行の時は必ず其郷土的民謡を調査して作曲致すので御座います」。
日本各地の民謡を深く研究なさっていたんですね!
記事によると、この時までに関屋さんが作曲(編曲?)した民謡は
1. 浜歌
2. 舟の船頭衆
3. うらの背戸屋
4. 潮来出島
5. 秋田おばこ
6. 庄内おばこ
7. 蛍来い
8. 傘
9. さんさ時雨
10. 大島民謡
11. 岐阜民謡
12. 大阪子守歌
13. 江戸子守歌
14. 紀州民謡
15. ヒナウタ
16. 野いばら
17. 琉球民謡等
以下略
このうち「野いばら」についてはYouTubeにアップしてくださったかたがおり、いま聴いています。なんか関屋さんの声を含めて深く懐かしい感じ。。
この記事の執筆から10年後に自ら命を絶った関屋敏子さん。彼女についてもっと調べたくなりました。
↑ 昭和8年(1933年)の雑誌広告。リボン枠内の字は敢えて左右反対にしているんですね
ところで、私は今だに藤原義江ファンで、あれから聴いた曲が更に増えました。癖がありすぎのはちょっと困りますが、笑、あのよく伸びる力強いテノールはいつ聴いてもいいなと感じます。現代のテノール歌手のヌッチさんはご存知ですか?自分の中ではどうにも評価が難しい歌手のひとりです。
コメントありがとうございます!いつも返信が遅れてすみません。
昭和16年に38歳で自ら命を絶った関屋敏子さんに関しては自分もいろいろ興味があります。YouTube見てみます。ゾルゲとの噂もミステリーです。
滝田菊江さんの声も聞いてみますね。漣さまさすがです!
この時代の声楽家は録音を聴く限り技術では今の時代からすると実際かなり劣るんだろうし時に笑っちゃうんですが、味わいや何より命を懸けた(?)真剣さでは無敵な感じがします。寝る前に聞くとパワーを頂きすぎて眠れなくなります(笑)
ヌッツォさんはテレビ番組以外ではあまり集中して聴いたことはないですが秋川雅史さんと比べた場合どうでしょう
藤原義江などは完全に我流なので、当たった曲と外れた曲とでは雲泥の差になってしまうのですが、当たった時には本当に素晴らしい歌声を聴かせてくれます。外れると違う意味でそりゃすごいですが、笑。
ヌッツオを始め、今の日本のテノール歌手は外国人の真似をする人が多くて(まあ当然と言えば当然なのですが)、外国の歌曲なら別に今さら日本人が歌わなくてもいいじゃないか、なんて思ってしまいます。日本人に向いた発声方法、例えば上手い時の瀧田菊江とか藤原義江のような歌手が、日本では評価されてもいいように思います。
秋川さんは、ごめんなさい私にとっては評価の対象外です、汗。(わ〜ひどいこと言ってスミマセン)
> 外国の歌曲なら別に今さら日本人が歌わなくてもいいじゃないか
この部分、心に突き刺さりました。自分もうすうす感じていたからだと思います。
自分なりに日本人が外国の歌曲を外国語で歌う意味を考えたんですが、日本人聴衆の原典好きが主な理由ではないかと。。
楽譜どおりに演奏していないと曲の価値が半減すると思い込んでる日本人が多いのでコンサートでも発音の上手い下手はともかく原語で歌わないと営業的にお客さんが集まらないとか?日本人歌手のほうがギャラも安いだろうし。
日本人キャストによるオペラはお客さんもほとんど日本人なのに字幕流すとか、ギャグに近いのかもしれません。
自分も合唱団で、例えばドイツ語で第九を歌うときお客さんに外国人がいたりすると発音を笑われないかと不安になります~
なので日本人であるか否かを関係なく評価されている藤村実穂子さんとかは突き抜けた存在なのではかと。
歌だけでなく日本人が西洋のクラシック音楽を演奏する意味を考えるとわからなくなりますが、とにかく楽しけりゃいいのかも?
それから「外国の歌曲なら別に今さら日本人が歌わなくてもいいじゃないか」というのはもう古い考えで、むしろ果敢に挑戦した昔の歌手の方が考え方は進んでいます。芸術は国や民族によって分けられるべきものではありません。じゃあオーストリア以外の国のオーケストラはヨハン・シュトラウスのワルツを演奏しちゃだめなのか? アメリカ以外ではジャズを演奏したり歌ったりしちゃだめなのか? 芸術は均しく平等であるべきで、昔の日本人も真の芸術を目指して外国の歌をまじめに勉強し歌ったのです。安易に下手とか言ってほしくないです。
それはともかく毎回の更新、楽しみにしています。チュエボーさんの解説やコメントのお返しに優しさを感じます。なのに厳しい感想?でごめんなさい。昔の音楽家の努力は正当に報いられるべき、と思いましたので……。
どうか良いお年をお過ごしくださいね。
初めまして、漣と申します。
「外国の歌曲なら別に今さら日本人が歌わなくてもいいじゃないか」という文章を書いたのは私なので補足いたしますが、誤解を受ける書き方をしてしまい大変失礼しました。「外国の曲は外国人に任せて、日本人は日本語を母国語とする日本人にしか歌えない日本の歌をもっと歌うべき」というべきでした。私はテノール歌手のF.Wunderlichが好きなのですが、どれだけ聴いてもドイツ語が母国語でない私には、どうしても彼の歌の深い精神性まではわかりませんし、また、彼は私が理解できる日本の歌曲を全く歌ってくれませんでした(当然ですが笑)。「器楽曲」は別でしょうが、言語の違いがある「歌曲」については、クラシック以外のどのジャンルでも、やはり外国人が歌うにはどうやっても超えることのできない壁があるように感じています。
私は、本物の芸術は時代によって淘汰されると思っていますので、現代には通用しない歌については、資料的価値はあれども過度に持ち上げる必要はないと思っています。「当時の事情を考えると安易に下手と言ってほしくない」というお気持ちは痛いほどよくわかりますが、「自分は本当にこの歌を上手いと思うのか」と問い詰めると、私の好きな藤原義江の歌も音程などが酷いものは強烈に酷いですし、また今まで聞いた限りでの三浦環の歌は、私個人としてはやっぱり評価できない(要は自分から他人にオススメできない)、ということです。もちろんその歌の上手い下手と好き嫌いは別の次元の話です。
長文になり失礼しました。見習い歌手さまもチュエボーさまも、どうぞよいお年をお迎えください。また来年もよろしくお願い申し上げます。
いつも返信が遅れてすみません。というか今回はすぐ返信しようと試みたのですが好きな話題とはいえ軽はずみに返信できるもんではないと何度か思いとどまりました。
だけど結局は軽率なコメントになっていることをお詫びします。
まずは「下手」と書いてしまい見習い歌手さまに嫌な思いをさせてしまいすみませんでした!
つぎに自分が返信すべきところを擁護していただいた漣さまのやさしさに感謝です!
再び見習い歌手さまには叱られてしまうかもしれませんが正直、自分も例えば昔の藤原義江や三浦環の録音を聞いて「上手い」とは思いません。
でもそれは今の基準からして上手く(技術的に高度に)聞こえないだけで、昔はめちゃめちゃ上手いと受け取られたんだな、と脳で変換した上では感じます。
いまの時代上手いと思われてる演奏も100年後にはおそらく上手いとは思われないでしょうね。(クラシックという分野が残っているとしたらですが)
三浦環さんが活躍された時代に西洋の音楽を歌うというのはとてつもない勇気が必要だったろうし、今の音楽家の何倍も努力されたことが録音を聞くとビンビン伝わります。
そのスピリッツこそが自分が漣さまのように(違っていたらすみません)昔の録音に惹かれる理由だと思います。
上手くないとか思いつつ、つい聴いてしまう魅力。やはり技術より心意気なんでしょうか。
そもそも自分のこのつまらないブログは日本にクラシックを根付かせていただいた音楽家に感謝することが目的でした。
「外国の歌曲なら別に今さら日本人が歌わなくてもいいじゃないか」の件は自分がいくつかの合唱団で外国語の曲ばかり歌っているからこそズシンと響きます。
日本人の年末第九のYouTube動画にドイツ人が「ゾー・グロテスク!」とコメントしていたのはトラウマです。
やっぱり日本人は世界で一番日本語がうまいのでもっと日本語の歌を歌うべきだと思いますがみんな有名な外国語の曲を歌いたがりますよね。。自分も
外人が歌う日本の歌がときに日本人歌手よりも心に響くことがヒントなのか。。
それでは、漣さま、見習い歌手さま。今年もよろしくよろしくお付き合いください。