『婦人公論』1951年(昭和26年)4月号から、当時第一線の女性楽器奏者、声楽家たちが一堂に会した二つの画像です。
1.日本ビクター吹込所にて
左手前から時計まわりで
阿部よしゑ(ハープ、1904-1969)
関種子(ソプラノ、1907-1990)
柳兼子(アルト、1892-1984)
鈴木共子(ヴァイオリン、1920-2002)
安川加壽子(ピアノ、1922-1996)
諏訪晶子(ヴァイオリン、1928年生まれ。)
朝倉靖子(ピアノ、1921-2015 中山悌一夫人)
植野豊子(ヴァイオリン、1926年生まれ。旧姓服部)
↑ 柳兼子さんの弁。この時代から女性のほうが音楽の勉強をしやすかったんですね
↑ 諏訪根自子さんの妹、諏訪晶子さん(昭和3年6月5日生まれ)の画像は数少ないと思うので拡大しておきます。
2.1951年2月10日、日比谷公会堂にてオペラ・シンガーズ
前列着席3名左から
佐藤美子(1903-1982)
長門美保(1911-1994)
原信子(1893-1979)
後列左から
栗本尊子(1920-2019)
砂原美智子(1923-1987)
笹田和子(1921-2007)
大熊文子(1918-2003)
川崎静子(1919-1982)
辻輝子(山田耕筰夫人、1907-1973)
大谷洌子(1919-2012)
荒牧規子(1924年3月20日東京生まれ)
↑ 原信子さんのコメント。歌い手と聴き手ですがこれだけ大物が集まるのは珍しいことだったんですね
。。。情報を加えていきます
'52年のアルフレッド・コルトー(孤留島なる無人島をプレゼントされたとやら)の来日時の録音もそこで挙行されたと。'80年代まで建物は残っていてその後駐車場になっていましたが、つい先年聖路加国際病院の施設が建ちました。聞けば目の前の某スポーツ新聞社が喉から手が出るほど欲しがったらしいのですが、遂に聖路加の手に落ちたとか。
などとのほほんと語っていますが、実は三年前に続きその聖路加に入院中なのです。退院自体はそう遠くないようですがかなりの生活の見直しが必要になるかも。愛して止まないマーラー9番の冒頭がずっと聴こえているようなもので。
つまらない繰り事失礼しました。また更新、愉しみにしています…。
「日本ビクター吹込所」が築地にあったこと、そこでコルトーが録音したこと、全く分かっていませんでした。貴重な情報。一枚目の画像をあらためて見つめてしまいました。
〇刊スポーツは残念でしたけど聖路加の新施設を撮影してここに載せようかな?
ご生活の見直し、より音楽を聴く時間が長く取れるようになるといいですね。
それとEdipo Reさま築地方面のお生まれなのですね。
自分も聖路加生まれです。だからというわけではありませんがこれからもよろしくお願いいたします!
当方の生家はその並びで聖路加旧館の真ん前にありました。現在は調剤薬局が建ち並んでいる一角です。やはり聖路加産まれと言いたいところですが前年まで接収されていたこともあり、実際は生家の二階で産婆=助産師さんに取り上げられました。まだそんな時代で。年少の親類は大半が聖路加産まれですが。
病棟のナース達に
「産まれも育ちも、そして最期も明石町」
などと口走って叱られております。半ば本音なのですが…。
Edipo Reさまは完全なる築地っ子でいらっしゃるんですね。聖路加旧館前にお家があったなんてすごい。
> ビクタースタジオの跡地は「大村進・美枝子記念 聖路加臨床学術センター」が正式名称で、築地駅から聖路加に向かって○刊スポーツの真ん前です。
そこのタリーズコーヒーでコーヒーを飲んだことがあります!
『TOMAのSAX日記』というサイトで画像を見ましたが良い意味でスタジオっぽくないですね。普通の家みたい。1969年に千駄ヶ谷に移転したとか。
このブログは更新をサボっているのでアクセス数も右肩下がりですがちょっとずつ書いていくいくつもりですので今後ともどうぞよろしくお願いいたします!