1973年。。。
九段下のホテルグランドパレスを舞台に、金大中事件が起きた年。
村上春樹の2作目「1973年のピンボール」で主人公「僕」が、「僕」探しの旅に出発した年。
僕が、ある疾患の完治のため、世田谷太子堂の国立小児病院に入院した年。
当時、新宿、渋谷も今から比べると、平面的で殺風景な街観だったような気がする。夜、病室の窓越しに外を眺めやると、京王プラザホテルと建設途中の高層ビルが、空虚な輝きを放っているくらいで、周囲は冷え冷えとした光景だったように記憶している。
今でも、夜景をみると寂寥感にさいなまれるのは、当時の残像がフラッシュバックするからだろうか。。。
退院後も定期的に通院していた。病院前のバス停で、帰りのバス待ち時間に近くの駄菓子屋で、フルーツ牛乳を買ってもらい飲むのが楽しみだった。
もう訪れることはないがあの小さな駄菓子屋は、間違いなく、なくなってると思う。
現在、牛乳と商品表示できるのは、100%生乳を原料としている場合のみである。昔あったフルーツ牛乳、コーヒー牛乳という呼称は現在つかえない。
乳飲料あつかいの為、フルーツミルク、コーヒーミルクとなる。
僕の記憶装置の片隅にあるのは、今でもフルーツミルクではなく、フルーツ牛乳だ。
九段下のホテルグランドパレスを舞台に、金大中事件が起きた年。
村上春樹の2作目「1973年のピンボール」で主人公「僕」が、「僕」探しの旅に出発した年。
僕が、ある疾患の完治のため、世田谷太子堂の国立小児病院に入院した年。
当時、新宿、渋谷も今から比べると、平面的で殺風景な街観だったような気がする。夜、病室の窓越しに外を眺めやると、京王プラザホテルと建設途中の高層ビルが、空虚な輝きを放っているくらいで、周囲は冷え冷えとした光景だったように記憶している。
今でも、夜景をみると寂寥感にさいなまれるのは、当時の残像がフラッシュバックするからだろうか。。。
退院後も定期的に通院していた。病院前のバス停で、帰りのバス待ち時間に近くの駄菓子屋で、フルーツ牛乳を買ってもらい飲むのが楽しみだった。
もう訪れることはないがあの小さな駄菓子屋は、間違いなく、なくなってると思う。
現在、牛乳と商品表示できるのは、100%生乳を原料としている場合のみである。昔あったフルーツ牛乳、コーヒー牛乳という呼称は現在つかえない。
乳飲料あつかいの為、フルーツミルク、コーヒーミルクとなる。
僕の記憶装置の片隅にあるのは、今でもフルーツミルクではなく、フルーツ牛乳だ。