食の旅人

~ 食べることは生きること、生きることは旅すること、そうだ食べることは旅すること~
  野村洋文

12月23日

2009-12-23 07:55:08 | 日記
 猪瀬直樹氏が、メディアを通じて盛んに発せられている事柄に、


      12月23日


  その日、がある。 今日である、、、、、、


  今上天皇の誕生日であるが、当時、皇太子であられた時、


  巣鴨プリズンにおき、東条英機以下7名のA級戦犯が、東京裁判の名の下に絞首刑された日、である。


   GHQは、意図的に、その日とかち合わせることにより、「古い、封建的時代からの脱却」を日本国民に見せしめたかった、のだと同氏は述べられている。


 東京裁判自体が、起訴内容も不確かなまま、勝者が敗者を裁く、という出来レースであり、裁判の体を成していないものであったが、


  あえて管見を申し上げるなら、広田弘毅、以外の陸軍上層部6人の死刑は、その責任から至当であったと感じる。


  しかし、森を見て論ずるところから、一歩その中に入り込み、個々の木としてその人物像を調べてみると、意外な一面も窺えるのである。


 死刑受刑者の一人である板垣征四郎などは、日独協定を結んでいる真っ只中、ナチスからユダヤ人を救う為に粉骨砕身し、「東洋のシンドラー」と称えられていた人物である。


 また、武藤章という人間も、優秀かつ人望のある逸材であったが、東条という駄目な上司に仕えてしまったばかりに悲劇をみることとなる。


   さて、、、


 狂気の戦争が終焉してもなお、法廷内では、裏切り、偽りの密告、裁判官へのゴマすり、などの醜行が続演されており、A級戦犯における、終身刑と死刑とのボーダーは、実に曖昧模糊としたものであった。


 さらに、B級 C級戦犯においても、完全な濡れ衣を着せられ、命を落とされた方も多数いる。


   「私は貝になりたい」 は氷山の一角にすぎないのである。


  そして、、、、
  
 
 敗戦後、日本人は一丸となって働き、失った運動エネルギーを取り戻した。


 
 靖国神社には、今日、我々が享受している平和の礎を築いてくださった、数百万の英霊が眠っておられる。



    国民の無意識の感謝の現われが、靖国神社なのである。


  
 それに代わる、国立何とか施設、の設立などありえない。

   
          
       靖国神社、しかないのだ。