食の旅人

~ 食べることは生きること、生きることは旅すること、そうだ食べることは旅すること~
  野村洋文

駅伝

2009-12-25 09:45:10 | 日記
 お正月、新春の風物詩「箱根駅伝」、、、、、


 青春をタスキに託して。   筋書きのないドラマ。


 区間を全力で疾走した若者が精根尽き果てて倒れ落ちる様は、アマチュアスポー

ツという無償の行為を超え、ある種、組織への自己犠牲と言った思想的な恍惚さえ

感じられる。



 途中、給水は「真水のみ可」。  スポーツ、エネルギー補給飲料類の一切を禁

じている。ところも、古き良き体育会系の鼓動を頑なに引き継いでいる。


 
 瀬古も、谷口も、「箱根駅伝」のスター、から彼らのマラソン人生が始まった。



 『箱根駅伝』


 何を隠そう、平均視聴率が常に30%台という、日テレのドル箱スターなのである。


 ご多分にもれず、実家の父も筋金入りのファンであり、1月2日、3日は、必ずこの番組がついている。


 
 
   そもそも『駅伝』とは、、、、、、


 古代中国において発達した、交通情報通信システムのことをいう。


 首都から地方にのびる道路網、一定の距離ごとに中継所となる「駅」をつくった


 この「駅」と「駅」とをつなぐ形で築かれたシステムを「駅伝制」と呼んだ。


 この「駅伝制」、中国のみならず、古代メソポタミア、ローマにも存在している



   さて、、、、、


 我が国最初の「駅伝マラソン」は、


 大正6年に、東京上野の不忍池と、京都三条大橋との間を、20区間ほどに分け、

襷わたしをしながら走破した「東海道駅伝競走」とされている。


  現在でも、不忍池、三条大橋には瓜二つの記念碑が立っている。


 この「東海道駅伝競走」は大成功のうちに終わり、その数年後に


 距離を縮めた「箱根駅伝」が誕生するのである。。。。。



 
   その昔、僕がまだブクブクに太る前、アスリートだった頃、


  
 県の駅伝大会に第一走者として出場し、後ろから 3番目で襷をわたした、こと

を思い出した。


    チームへの自己犠牲は出来たと思う。。。。。