食の旅人

~ 食べることは生きること、生きることは旅すること、そうだ食べることは旅すること~
  野村洋文

ケニア

2009-08-13 08:08:46 | 日記
 中学生のころ。 イカンガーというケニア出身のマラソンランナーがいた。


 ゴール200m手前までトップをキープし、最後、瀬古選手に月桂樹をプレゼントしてしまう。


 このお決まりのデッドヒートを観るたびに、水戸黄門のどんでん返し同様、すかっとしたものだ。


 不謹慎な言い方だが、瀬古のペースメーカー的役割。  日本陸連のリベート込の、三文オペラではないかと思いたくなるほどのストーリーだった。



 そして、いつの頃かケニアはマラソン王国と呼ばれるようになる。。。。。



 ウガリという、トウモロコシをお湯で捏ねてつくる食がある。


 これに、薩摩芋に似たキャッサバという植物を混ぜたものがケニアの主食である


 余談だが、キャッサバのデンプンが、女性の好きなタピオカだ。。。。。



 トウモロコシは寒冷地にも暑い乾燥地帯にも強い穀物。  しかも、生育が早いなどの利点がある。



 ケニア勢の強さの秘密は、このウガリにあると聞く。



 
 戦後の食糧難期、世界新を更新し続けた古橋広之進氏が、先日ご逝去された。

しょうゆ

2009-08-12 07:40:30 | 日記
 我が国が世界に誇る調味料。


 ソーイソースは、メイヨネーズと同じくアメリカの一般家庭に常備されてる。


 
 その昔、中国から製法の原形が伝わり、やがて、日本の風土に合った「しょうゆ」が誕生する。



 当初は、味噌の上澄み液を、しょうゆとして使用していた。


 紆余曲折を経て、大豆、小麦、塩、水を混合し、こうじ菌で発酵させる現在のスタイルが確立するのである。。。。。



 ルイ14世は、ことのほか「しょうゆ」を愛し、中毒症しかり、すべての料理にこの薄茶色した芳醇な液体をたらして食していたという。


 「しょうゆ」 = 大豆 のイメージだが、 魚からつくられる、しょうゆもある。   

  我が国の、しょっつる     イタリアの、ガルム    タイの、ナンプラー   などがそれにあたる。



 台所からひとつ


 濃口しょうゆと、薄口しょうゆ、 塩分の多いのは、薄口しょうゆ。。。。。

 高血圧の方、ご注意くだされ。



 プリンにしょうゆをかけ、掻き混ぜると、味も見た目も「うに」になるという都市伝説には、賛同できない。

バドワイザー

2009-08-11 08:05:24 | 日記
 何年前だったろう。


 僕が常軌を逸していた頃。  夜の街を徘徊し、二日酔いで中川大臣ってた頃。


 東銀座に、300円バーという店があった。 1品全て300円という薄利多売方式があたり、週末ともなると会社員で大賑わいの盛況ぶりだった。

 
 今流行の300円立ち飲みの先駆けのようだった気もする。


 
 その日も店内は、人の喚声と呼吸音のみが交錯する無動空間へと化していた。


 「バドワイザーはチェコのビールだ !」  赤ら顔のチェコ人が視線を泳がせながら、店の隅で雄叫びをあげていた。


 「そうだよ。バドワイザーはチェコのビールだよ」  皆がみな、いたずら心いっぱいで彼をよいしょしていた。




 
 その昔、バドワイザーは本当にチェコのビールだった。

 ボヘミア地方で地元民達に愛されていた地ビールだった。

 これに目をつけたアメリカ人が、アンハイザーブッシュという会社を設立して、「バドワイザー」を商標登録し自分たちのものにしてしまったのだ。


 現在、ヨーロッパ圏内ではバドワイザー名で流通させることができないため、「バド」という名前で売られている。


 先般、ベルギーのビール会社「インベブ」に、アンハイザーブッシュは買収された。  「バドワイザー」は再び、ヨーロッパに帰郷したのだ。。。。。


 
 あの日のチェコ人を思い起こす度に、「竹島は我々のものだ」と、こちらは本当に誤った歴史認識下で、阿鼻叫喚してる隣国の友人がオーバーラップしてならない。



デッドボール

2009-08-07 09:59:33 | 日記
 実際、大リーグで頭にボールを受け、亡くなった選手がいる。二度とこの惨事をみることのないようにとの願いを込めて、「死球」、と名づけられた。


 おそらく、僕のようなド素人がプロの直球をまともに受けたなら、当たり所により、生死に関わるような惨劇にみまわれるだろう。



 ここに、歴代デッドボール回数の多い選手ランキングがある(敬称略)


 1.  清原   196回

 3.  衣笠   161回

 5.  田淵   128回

 6.  野村   122回

 8.  王     144回



  1位については非常にわかる気がする。  理想の女性上司像 = 黒木瞳

 薬漬け人生 = 清水健太郎  同様に、 死球 = 清原 は相応だ。


 強打者になるほど、あたる確率も高くなる。  当然、投げる側も打ちづらい内角に放る回数が多くなるからだ。


 日本球界の宝、王、への内角攻めは、相当の勇気と度胸を必要とされそうだが、
8位にランクインしている。  プロの厳しさたる所以だろう。。。。。


 長嶋は 20位以内にもランクインしていない。 ミスターに関しては残念ながらデータや理屈で説明することは難を極める。



 すごいことに気づいた。  赤ヘルの衣笠である。2215連続試合出場という大記録を樹立し、国民栄誉賞を受賞された選手。 161回も死球を受けながら、休まず、出場する。まさに満身創痍、退路を断ち試合に臨む。  ここに静かな男の人生美学が沈んでいる。


 裏を返せば、衣笠が大打者だったという証でもある。ホームラン504本、2543本安打は、球界史に燦然と輝く至宝だ。。。。。



 

 赤ヘルと僕に、一縷のつながりがあった。 



 大正一ケタ生まれ。熊本でご健勝されてる大叔父は、奥様が古葉監督の妹さんだ





賭博食

2009-08-06 07:28:58 | 日記
 サンドイッチが、カード賭博に由来して生まれた食べ物であることは、広く知られている。


 18世紀のイギリス、サンドイッチ伯爵という無類のギャンブル好きがいた。


 カードに興じながらでも、手軽に食を済ませられるよう、召使に2枚のトースト間にコールドビーフを挟んだ食べ物を運ばせていた。


 この食事法。評判になり、いつの頃からかサンドイッチと呼ばれるようになる。


 やがて、19世紀のピクニック流行に伴い、世界に普及していく。。。。。



 不思議なことに、日本でも、同じような経緯をたどり、誕生した食べ物がある。


 時は、江戸の世。賭博場は、鉄火場と呼ばれていた。


 博打に興じながら、胃の中を満たせる食べ物はないか? 仲間内で思いを巡らせていた。


 彼らのために、ある寿司職人がマグロを米とのりでくるりと巻いた代物を考案する。


 これが、たちまち評判となり、いつの頃からか、鉄火巻と呼ばれるようになった



 ほぼ、時を同じくして、違う場所で同じことが発見される。  よくある話である。



 偶然とは、精巧にしつらえられた無意識の累積から、断続的にこぼれ落ちてくる必然の事実なのかもしれない。




 「のむ、うつ、かう」が男の甲斐性と言われた時代、 「食べる」は二の次だったようだ。