11月5日の金曜日、歯科医師会からのFAXが入る。
驚いた事に、それは尊敬するI先生の訃報であった。
このI先生、歯周病が専門で私が学生だった頃、歯周病の医局に残って博士課程の研究をしていた。
私が大学で臨床実習をしていた時には歯周病学のインストラクターをしていて、よくステップ帳(教習所の原簿みたいなもの)にサインをもらいに行った。
歯学部ではこのステップ帳の数百はあろうサイン欄のうちのサイン一つが無ければ進級不可、つまり留年である。
大げさな言い方かもしれないが、今の歯科医師 大賀将志があるのもI先生のお陰なのである。
同期で歯周病の医局に残った者に聞くと、たいへん研究熱心な先生であったそうだ。
大学の医局から戻られたI先生はその後、豊橋南部地域で開業され、歯周病の専門医としてご活躍されていた。
先生の熱心な診療姿勢のファンが多く、日曜日まで医院を開けて日夜診療をしていた。
とにかく、研究や診療が好きで常にフル回転だったのだろう。
そのせいか、悪かった心臓を傷めて46歳の若さでこの世を去ってしまった。
同窓会の支部では学術担当理事であり、私はその元で仕事をさせてもらった。
I先生は、歯科医師会や同窓会支部の会合でもいつもスーツ姿だった、夏場でもワイシャツとスラックスに革靴、いまだかつて私はI先生のジーパン姿などのラフな格好は見たことがなかった。
翌、11月6日の土曜日、診療を終えた私はI先生の通夜へ向かった。
多くの参列者が来ており、その会場で一番大きいであろうホールは参列者で一杯だった。
息子さんの同級生であろう、詰襟やセーラー服姿も目立つ。
それがなおさら涙を誘う。
祭壇の中央には白衣姿のI先生の遺影。
なんだか学生時代に見たI先生のお姿とオーバーラップした。
きっとご家族が先生の一番輝く姿として白衣姿の遺影になさったのであろう。
焼香をさせていただき、ほどなくして通夜式は終わった。
最期のお別れとばかりに、お顔を拝ませてもらうことにした。
棺を覗くとそこには、いつものI先生がまるで寝ているかのように安らかに横たわっていた。
よく見ると、先生は旅装束ではなく、いつもの白衣を着ていた。
枕元には外科帽とマスクも添えられていた。
いつものメガネもお顔に掛かったままだった。
「I先生、天国に着いたら白衣を脱いで、いいかげん休まれたらどうですか?もう十分でしょう…。」
I先生との最近のエピソード(過去のブログ記事より)