モールス音響通信

明治の初めから100年間、わが国の通信インフラであったモールス音響通信(有線・無線)の記録

往古茫々~年賀電報

2016年12月18日 | 寄稿

◆大原安治

また年賀状の季節になった。毎年のことながら、この時期になると少々うんざりするのは私だけだろうか。

ものの本によると年賀状は本来、1月2日、書き初めの日に書くべきものだった、とある。「年賀」とは新年を祝うという意味だから、新年になってから述べるのが正しい。そもそもは新年の祝詞を、君主や父母、師匠などのもとに出向いて述べていた。それがいつの間にか簡略化され、1月1日に相手方に届くように挨拶状を出す風習に変わったらしい。

昭和24年にお年玉付年賀はがきが発行されてから、年賀状がブームになったという。ちょうど、私が逓信講習所を卒業して大分電報局に配属になった年である。

当時、私の勤め先の電報局は、電話事業とともに郵政省から分離されて、電気通信省として発足したばかりだった。新事業ということもあって、本家の郵政省に対する対抗意識はかなり強かった。

郵政省が売り出して大当たりした年賀はがきを指をくわえて見てはいない。電気通信省にも知恵者がいた。年賀はがきの向こうを張って大戦中、中止していた年賀電報を再開したのだ。

郵政省と電気通信省のせめぎ合いが始まる。郵政がお年玉で攻めれば、こちらはきらびやかな電報台紙のグレード感で勝負。お互い譲らぬしのぎ合いが続いた。お陰でその年以降、電話部門に転職するまで、暮れから正月にかけてゆっくり休ませてもらったことがない。

12月に入ると、商店や官庁などに局員が手分けをして年賀電報のセールスに回った。電報は、はがきより値段は高いが、目にもあざやかなフルカラーの台紙に貼り、きれいな封筒に入れてお届けする。まとめて発信すれば料金割引もある。当時としては画期的な戦法だった。お客様のセンスとグレード感をくすぐる作戦だ。第一、お役所がセールスのために家庭訪問をするなど考えられもしない時代だったから、評判は悪くなかった。

目新しい戦法で電報の利用者が急増。年末年始は対応に追われ、徹夜でがんばったものだ。食事をする間も惜しいほどの忙しさだった。若かったこともあるだろうが「年賀電報」という新しい仕事、それと郵政省への対抗意識もあって、疲れなどは感じなかった。仕事に対してあれほど燃えた時期があったことが、今考えても不思議な気がする。

歳月はめぐり、年賀はがきは相変わらず隆盛を極めている。が、年賀電報という言葉を聞くことはあまりない。「電報」と言えば、慶弔・祝電しか浮かばない。斜陽の感しきりである。

「往古茫々」。

年賀はがきの宛名書きに追われながら、ふと、そんな言葉を思い出していた。

◆寄稿者紹介 
・大原安治、大分県 昭和8年生れ 電気通信大分学園(入学時逓信講習所)普通電信科昭和24年卒
・出典 随筆集「黄昏の記憶」(平成14年出版)            
 寄稿者には電電公社退職後に出版した上記を含む8冊の随筆集あり、いずれも国会図書館所蔵。


◆<附記>

・年賀電報は、昭和9年12月に年賀電報規則が制定公布され誕生している。続いて昭和11年12月から年賀電報を含めた慶弔電報規則を制定公布し、実施している。いずれも、逓信省にとって長年の懸案であった通信事業特別会計制度が昭和9年4月に実現し、通信事業の企業意識を高め、電報の利用促進により増収を図るための施策として実行された。

その後、太平洋戦争の始まった16年に慶弔電報、年賀電報は中止となった。戦後になって、25年12月年賀電報をまず再開、27年2月には慶弔電報も再開された(続東京中央電報局沿革史による)。

一方、年賀郵便は、明治6年(1873)郵便はがきが発行さると、これを年賀状として利用する習慣が国民の間に急速に広まった。逓信省も年賀はがきの特別取扱(元旦配達)を拡大に努めた。昭和10年には私製はがき貼付用の年賀切手が発行された。しかしこれも大戦前に発行中止となり、一般はがきによる年賀状の特別取扱も昭和15年に中止された。

戦後になり、今も多く利用されている郵政省のヒット商品「お年玉つき年賀はがき」が新たに発売されたのは24年12月からである。(ウイキペディアによる)。

・寄稿者には、退職後に、限定版を含め10冊近い随筆集がある。著者の年賀郵便への思い入れ、愛着は並々ならぬものだったようで、頂いた著書の中に「年賀状で見るわが家の歩み」なる稀こう本、珍本とも呼べるものがある。

内容は、結婚翌年の昭和39年から平成14年まで40年近くの間に出した年賀状(喪中挨拶、転勤挨拶等を含む)がほぼ現物大のサイズで収録されており、賀状ごとに400字程度の当時の家庭・勤務状況をコメントし、それぞれに数枚の写真が添えられている。

賀状の形式は、とおりいっぺんのものでなく、家庭、職場のことを得意の達意の筆力で描写しており、読んで楽しい。中には、家族名折込み俳句年賀、四文字熟語クイズ年賀、カタカナクイズ年賀などもある。極めつきは、私はやったことはないが「ボナンザグラム」をひねって作成したものである。はがきの左端の縦軸に「開けましておめでとうございます2001年」と書き、縦軸から読んで周囲を一回りすると「明けましておめでとうございます2001年のはじめにあたり、気持ちも新たに二人と一匹。今年も元気でがんばります。よろしく。」となるよう横書きのはがきの各行を過不足なく、普通の文章で埋めている(書いている)。

なんとも凝りに凝った魔法のような年賀状である。これでは、氏の年末は苦行の季節だったに違いないと想像したくなる。しかし氏にとっては、充実した楽しい文章修行の季節だったのかもしれない。増田記


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