モールス音響通信

明治の初めから100年間、わが国の通信インフラであったモールス音響通信(有線・無線)の記録

青春の音

2015年12月18日 | 寄稿
◆寄稿 大原安治
              
年に数回「NTT退職者の会」がある。

「退職者の会」というと聞こえはいいが、要するに「呑み会」である。ところで、この呑み会に出て来る連中といったら、還暦を過ぎた私たちが一番若者で使い走りをさせられるくらいだから、かなりロートルばかりだ。昭和一桁ハナタレ小僧、大正中期で一人前、明治うまれでやっと長老扱いである。最長老は御歳90ウン歳、矍鑠としてまだ呑みに来る。

みんな、身体は多少衰えているが、口だけは達者なものだ。耳が遠くなっているうえに酒が入るから、そのうるさいこと。とても賑やかなんてものではない。飲み屋のおねえさん方も恐れて敬遠するから、使い走り役の私達は大忙しである。

このうるさい呑み会が、たったひととき静まり返ったことがある。私の友達のKが「モースル電信機」を持ち込んで操作した時だ。

「モールス電信」は約半世紀前、通信手段の花形として活躍していた。送信用の「電鍵」と受信用の「音響機」がセットになっていて、これで電報を送受していた。電話はなどはほとんどなく、通信手段としては、もっぱら「電報」が利用されていた時代である。

電鍵を右手の指三本でつまみ、手首を細かく震わせることによりモールス符号を送り出す。すると、電線でつながれた先の音響機が、符号通りにカタカタ動く。その音を耳で聞きながらタイプライターで転写していく。こう書くといかにものんびりしているようだが、それでも一分間に百、速い人は百四十くらいの速度で送受信していた。みんなが情報通信の最先端に働いているという自負と気概を持っていた。

酒が回り、だんだん声が大きくなり、座が乱れ始めた頃、部屋の隅でゴソゴソやっていたKが、突然大声で言った。

「みんな、ちょっと聞けェ」

一瞬静まり返った会場に「トツー、トトツー」とモールス信号が流れ出した。「おっ」という静かなどよめき。みんな杯を置き、食い入るようにモールス符号を聞く。やがて「トトトツート」の符号で送信が終わる。

「みんなわかたかあ」。Kの呼びかけに「おお、わかる。わかる。」との声が会場全体に沸いた。

覚えていたのだ。

みんな、数十年も前の音を覚えていた。少しボケ始めたか、と思えるような人までが覚えていた。

何十年か前、汗と涙で働いてきた青春の日々が「モールス通信の信号」の音とともに、それぞれの脳裏に鮮やかに蘇ってきたのである。


◆寄稿者紹介 
・大原安治、大分県 昭和8年生れ 電気通信大分学園(入学時逓信講習所)普通電信科昭和24年卒
・出典 随筆集「30年目の贈り物」(平成10年出版)           
 寄稿者には電電公社退職後に出版した上記を含む8冊の随筆集あり、いずれも国会図書館所蔵。 


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