◆寄稿 作詞・大分電報同窓会会員
電報時代を甚句によめばヨ~ ア~ ドスコイ ドスコイ
ア~ 時は明治の 二年秋
文明開化に 先駆けて ホイ
電信時代の 幕が開く
大分電報の 始まりは ホイ
明治十年 神無月
二豊に文化の 橋渡し
イロハのイから ウナ電と ホイ
カタカナ文字と 格闘の
モールス通信 思い出す ホイ
杵鑽 トンツーや KPと
技を競って 腕磨く
仲間意識も 頼もしく ホイ
東京オリンピックと 前後して
情報産業も 様変わり ホイ
電報中継 機械化や
配達業務の 委託など
百十余年の 官営に ホイ
ピリオド打って NTT
多彩なサービス 慶弔信 ホイ
漢字 押し花 メロディと
電報文化も 世につれて
マルチメディアの 新時代 ホイ
115番の 統合で
大分電報は 幕を引き ホイ
百二十余年の 歴史閉ず
今日は懐かし 同窓会
幹事のお世話で 再会す ホイ
今は亡き先輩や 友人の
在りし日の姿 偲びつつ ホイ
昔ばなしや 近況と
楽しい時間(とき)を 過ごしましょう
皆様、益々 お元気で ホイ
またの逢う日をヨ~ホホイ
ア~楽しみにヨ~ ア~ ドスコイ ドスコイ
◆紹介者よりひと言
ここに寄稿としてご紹介した電報甚句は、大分電報同窓会の冒頭に必ず定番として歌われたものです。作詞者が歌手、私もその都度、はやし手として舞台に呼び出されて恥を・・・いえ、楽しみました。平成10年暮れから歌い継がれたこの甚句の歌詞を、小生が保存していましたので、この度ご紹介しました。
作詞者のI氏に、電話でブログ掲載の承諾をお願いしたところ、匿名を条件に承諾いただきました。I氏は美声の持主、文才豊かな先輩で、昭和5年生れ、大分逓信講習所電信科普通部の1期生です。同講習所入学は戦時中、卒業は終戦後で、訓練期間は当初9ヵ月の予定が、戦争のどさくさで1年間に延びて卒業されたそうです。氏は、大分県に永住されるものと思っていましたが、今は熊本県に転居され、お元気な様子です。
(平28.3.14記 中川啓輔 <大分県 昭10年(1935)生れ、熊本電気通信学園普通電信科 昭26年(1951)卒業>)
作詞者のI氏に、電話でブログ掲載の承諾をお願いしたところ、匿名を条件に承諾いただきました。I氏は美声の持主、文才豊かな先輩で、昭和5年生れ、大分逓信講習所電信科普通部の1期生です。同講習所入学は戦時中、卒業は終戦後で、訓練期間は当初9ヵ月の予定が、戦争のどさくさで1年間に延びて卒業されたそうです。氏は、大分県に永住されるものと思っていましたが、今は熊本県に転居され、お元気な様子です。
(平28.3.14記 中川啓輔 <大分県 昭10年(1935)生れ、熊本電気通信学園普通電信科 昭26年(1951)卒業>)
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