モールス音響通信

明治の初めから100年間、わが国の通信インフラであったモールス音響通信(有線・無線)の記録

電信の思い出・李香蘭とモールス(その5)

2016年06月09日 | 寄稿
◆寄稿 赤羽 弘道

李香蘭とモールス

平成2年11月、劇団四季(横浜市緑区)の音響部の小泉雅裕と名乗る人から電話があって、ミュージカルに使うモールスの作成について協力を求められた。

聞けば、当時製作中のミュージカル「李香蘭」の中で、大東亜戦争勃発の場面に「ニイタカヤマノボレ」と「トラトラトラ」のモールス符号が流れるが、演出家の浅利慶太は忠実に史実をモットーにしていて、「お客さんの中にモールスの分かる人がいるかも知れないから、正確な音を作れ」という。自衛隊をはじめあちこちに当たってみたが打てる人がいなくて困っていたところです、という。

早速、応接室で先方の希望するモールスを打ってあげた。

第1信  ニイタカヤマノボレ1208(開戦日は12月8日と決す)
第2信  トトトトトト (全軍突撃せよ)
第3信  トラトラトラ (我奇襲に成功せり)

小泉氏の持参した押しボタン式電鍵で、繰り返し5回ほど叩いた。分速60字くらいの速さで、再生するときは、少し速度をあ上げるように伝えた。

第1信は、昭和16年12月1日の御前会議で開戦日が12月8日と決定され、2日午後5時30分、聯合艦隊司令官から全軍に通知されたもの。ニイタカノボレは隠語で、さらに暗号に組まれ全文数字化されていいたが、雰囲気に使うので生文で欲しいという先方の希望で生文で叩いた。小泉氏はこれを録音して持ち帰った。

このミュージカルは、平成3年1月から渋谷の青山劇場で、後に日比谷の日生劇場で上演された。この歌劇は、満州国の建国前夜から敗戦までの激動の時代を、日本人でありながら中国人の歌姫として一世を風靡した李香蘭の半生を描いたものである。

劇中、1幕目の終わりの真珠湾攻撃の場面で、このモールスが流れる。効果音も入り臨場感に溢れていた。昔流行した「支那の夜」「蘇州夜曲」など懐かしい歌もふんだんに流れて、暫し時の経つのを忘れた。

劇の中で舞台回しを勤める中国人川島芳子は、戦後の中国の軍事法廷で有罪となり処刑されたが、李香蘭は日本人であることが判明し、危機一髪で助かった。李香蘭とは誰あろう、山口淑子、後の大鷹淑子参議院議員その人である。

なお、モールス通信は、平成3年(1991)海上無線の船舶通信としての使用が廃止され、通信の世界から姿を消した。

◆寄稿者紹介
 電信の思い出(その1)参照。



コメントを投稿