伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

最高賞取り消しは二重のいじめ 。自死の子の尊厳も大切にしなければと思います。

2016年10月18日 | 日記
 きょうニュースを聴いて悲しくなりました。

 青森県黒石市のお祭り黒石よされに関するニュースです。

 黒石よされは、阿波踊りなどとともに日本三大流し踊りの一つとされるそうで、全国的にも有名なお祭りのようです。つまりこのニュースを聴くまで、私は知らなかったということなんですが・・。

 このお祭りでは黒石よされ写真コンテストというものが1994年から行われているそうで、今年度の最高賞に内定していた写真が取り消されたというのです。

 その写真はこちら。




 はじけるような笑顔の少女。この少女の笑顔が、写真を最高賞に導いたようです。ところが、それが取り消されてしまった。

 理由は、この写真が撮られた時から10日後、この少女はいじめを苦にして自死していたのだというのです。

 その報道はこちらです。NHKのWEBNEWSから引きました。









 少女の遺書と思われるスマホアプリには、「1、2年のときで●の噂流したりそれを信じたりいじめてきたやつら、自分でわかると思います。もう、二度といじめたりしないでください。」とあったという。

 黒石よされ名誉大会長の黒石市長は、「被写体がそういう方で良いのか」「亡くなった人が被写体の作品を審査対象にするべきではない」などとコメントしているという。

 このコメントには少なくとも、いじめを原因に自死した人物は被写体としてはふさわしくないという、市長の思い込みがあるように思います。

 でも、一つにはこの子は、踊っていたその時に、いじめというつらすぎる現実を忘れて笑顔をみせていたのではないかと思われます。自死を覚悟して踊っていたという状況にはないのに、死亡したことをもって審査対象からはずすなんていうことは、この子の人生を否定することになってしまうんじゃないだろうか。

仮にそんな思いが心の片隅にあったとしても、踊るその一瞬に見せたこの子の輝きを、最高賞を取り消すという形で否定するべきではないと思います。

 もう一つは、自死の背後にいじめという問題があったとすれば、最高賞の取り消しという行為は、自死の責任を自死した本人に負わせることになり、その背後にあるいじめという問題を免罪することになるのではないかと思うのです。

 教育的配慮という言葉はあります。今回の場合も、いじめがあったとして、いじめていた子どもたちに配慮した措置なのかもしれません。でも、屈託のない笑顔がなかったことにする。そんなことでいいのだろうか。

 もしいじめていた(本人の自覚になくても)子どもたちがいたとして、こんな重大な事態になるとは思っていなかったかもしれません。実際にいじめがあったのか、なかったのか。私は知る立場にはありません。でも仮に、あくまで仮定ですが、いじめが自死の背景にあったとするなら、それを見逃した大人社会の問題と、いじめの加害者の責任という問題は免れないのではないか。ですから、いじめの加害者がいたとしたら、その対象となった子の自死を引き起こした過去に向き合い、その反省を活かして、人の命と尊厳を尊重する一人前の大人として成長していくことが求められると思います。

 今回のように、最高賞に選ばれた写真が自死(死亡)を理由にして取り消されたとするなら、この行為そのものがいじめを覆い隠すいちじくの葉としての役割を果たし、いじめに加担することになりはしないのか。大いに議論が必要でしょう。

 また意図はないのかもしれないけれど、事実上、大人社会がいじめを隠そうとすることによって、子どものいじめに加え大人のいじめへの加担という2重のいじめで、自死した子どもの尊厳をずたずたにしてしまうのではないだろうか。

 自死した子どもの心は、写真の笑顔にあらわれていると思います。その笑顔は、大好きな躍りを踊る喜びにあふれ、未来への希望に輝いていると思います。この笑顔に心がひかれるからこそ、写真が最高賞に選ばれたのでしょう。

その判断を、別の要素で覆すべきではないと思います。

 「娘の四十九日に賞をとったという連絡があり、元気な姿が写っていて喜んでいました。賞が取り消され残念ですが、一生懸命頑張って生きている娘の姿を見て、いじめをなくすきっかけにしてほしい」

 これがお父さんのコメントでした。最高賞の取り消しという措置を取り消す。それこそ必要な対応でないのかな・・。 


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