小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

東京バレエ団 ブルメイステル版『白鳥の湖』(6/30)

2018-07-01 22:56:18 | バレエ
2年4か月ぶりの再演となる東京バレエ団のブルメイステル版『白鳥の湖』を東京文化会館で見た。トリプル・キャストの中日で、オデット/オディールは川島麻実子さん、ジークフリート王子は秋元康臣さんが踊られた(6/30)。
ブルメイステルは1904年にサンクトペテルブルク近郊に生まれた振付家で、最初ダンサーを目指すがバレエに目覚めたのが遅かったため、バレエのドラマを創造する振付家に転向した人物。1953年にモスクワ音楽劇場で初演されたこの版は、演劇的に優れた要素がふんだんに詰まっていて、よく知っているつもりの『白鳥』が改めて新鮮な物語に思える。人間の姫であったオデットが白鳥に変えられるプロローグから、王子たちの宮殿のシーンに移り変わる転換では舞台のあまりの美しさに息を呑んだ。バルビゾン派の風景画のような美術は装置担当の野村真紀氏によるもので、秋の美しい一日を思わせる。そこで王子が友人たちと踊る踊りが、とても哀しげな色合いを帯びていた。王妃は美しく高貴だが、王子に対しては冷たく、王子は叶わない恋人を慕うように母親の背中を追いかける。秋元康臣さんのジークフリートは抒情的で気品に溢れ、勇壮なジュテ・アントルラセもこの「哀しみ」の和声感に素晴らしく収まっていた。よく見ると、この場面では全員が寂しそうな表情をしている。パ・ド・カトルの男性のひとり鳥海創さんの表情を見ているだけで涙が溢れてきそうになった。全員がひとつのハーモニーを作っているような一幕だった。

二幕で森に誘われて行く場面では、ジークフリートは侍従も家庭教師もともなわずに一人で闇の世界へ踏み込んでいく。ああ、そうなのか…とブルメイステルの意図を理解した。白鳥の湖とは王子の心象風景でもあり、彼は深い孤独の中でたった一人の分身と出会うために森に入る。侍従との子供っぽいやりとりはすべて省略され、一気にことの本質へと突き進んでいく。オデットを見てジークフリートはひとめで相手が何を象徴しているのかわかってしまうのだ。彼は孤独な自分自身を見つけた。
一週間前にマリインスキー歌劇でオクサナ・スクーリクに取材したとき「オデットは寂しくて何かを探している女性」という言葉を聞き、軽いショックを受けたのだが、それは本当のことで、王子も白鳥も「寂しい」のだ。白鳥のコールド・バレエの哀調は、一幕での王子の家臣たちの踊りとどこか共通するものがあった。高貴な人の満たされない思いに同情して「どうか彼(彼女)が癒されますように」という願いを込めて祈っているのである。
四羽の白鳥も普通なら少しばかりコミカルな雰囲気だが、ここでは身体つきも美しい四人がメランコリーを帯びた群舞を見せる。
東京バレエ団の白鳥群舞は世界遺産だと、決して誇張ではなく昔から思っていたが、ブルメイステル版では本当に一糸乱れず、奇跡のように対称的な配置によってバレリーナたちが舞台に咲き誇る。オデットの川島麻実子さんは5月のバランシン『セレナーデ』でも、エアリーで名付け難い女性性を表現したが、オデットの幽玄美も素晴らしい。未知数のバレリーナだが、秋元さんとの相性では川島さんの中の厳しさや節度といったものがよく現れると思った。

三幕は、悪魔ロットバルトがエキゾチックな客人たちすべてを操って王子を陥れるという設定で、悪魔役の森川茉央さんが登場の瞬間から素晴らしいカリスマ性を発揮した。ダークなキャラクターを演じることが多い森川さんだが、魅惑的で支配的なロットバルトを心から楽しんで演じられているのが分かった。あらゆる瞬間が見逃せなかった。ここでのコールド・バレエは、一幕二幕と全く目つきが違うのだ。虎視眈々と王子が陥落するのを待ち、策略にとり憑かれている。スペインの伝田陽美さんが妖艶で溌溂としたソロを踊られた。
オディールに変身した川島さんは全身から電気のようなオーラを発していて、核心を掴んでいる演技だった。テクニカルな要素も、すべて演劇的な内容と結びついているので「本当に彼女はオディールのような悪女なのかも知れない…」と一瞬思ってしまった。チャイコフスキーが初演で書いた珍しい旋律が使われるのだが、ミステリアスで不穏なムードの黒いヒロインにはぴったりの音楽だった。グランフェッテも安定感があり、前後の流れの中で全く浮いていない。あそこだけお祭り状態になるのは、チャイコフスキーには気の毒なのだ。
王子がオディールに陥落する場面では、「本当に白鳥と黒鳥を間違えたのか?」という永遠の議論が巻き起こるが、ブルメイステル版では「間違えたのではなく、誘惑された」という解釈に感じられた。オデットとの出会いで自分の虚無感の正体を知ってしまったジークフリートは、心乱れて一秒たりとも落ち着いていられない。刺激的で支配的なものに身を委ね、正気を失いたかったのではないか…ロットバルトとは、そういう人間の心の弱さに取り憑く魔の象徴なのではないか…。秋元さんの純粋な王子の演技からそんなことを考えていた。

四幕の前にも休憩があり、コンパクトな最終幕では王子の愛が報われオデットは人間の姫に戻る。白鳥コールドはここでも素晴らしい。悲劇的結末となるドラマトゥルグも存在するが、白鳥にはハッピーエンドが相応しいように思えた。主役二人をはじめ、アダージオの吉川留衣さん、ナポリ金子仁美さん、道化の池本祥真さんも生き生きと輝いていた。池本さんは先日のアシュトン『真夏の夜の夢』で秋元さんがオベロンを演じた日にパックを踊ったダンサーで、空気の精のような軽やかさと天性のエスプリを感じさせる。ワレリー・オブジャニコフと東京シティ・フィルは一幕二幕ではレース編みのような繊細な音楽を聴かせ、三幕ではロシアの大自然の荒々しさをダイナミックに表わした。舞台に漂っていた優美な「寂しさ」は、チャイコフスキーの魂そのものではなかったか…ちょうど一週間前に作曲家の墓参りをしたばかりだったので、音楽がいつも以上に心に染みる上演だった。

(画像は東京バレエ団のTwitterより。6/30のカーテンコール)