小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

太田糸音ピアノリサイタル(2019年度公開リサイタル試験)10/30

2019-11-04 11:32:43 | クラシック音楽
2000年生まれのピアニスト、太田糸音さんのリサイタルを中目黒・代官山キャンパスTCMホールで聴く。17時半スタートだったが、遅れて到着したため、オール・ショパン・プロクラムの「12の練習曲Op.10」はモニターで聴き、「ワルツ第5番」からホールで。東京音大の新しいキャンパスはとても綺麗で、試験を兼ねたリサイタル用のホールも充実しているようだ。
「革命のエチュード(op.10-12)」の迸るような左手のパッセージが耳に飛び込み、その瞬間にショパンの多面性を思った。モーツァルトからの古典派の流れを汲み、バッハを尊敬し、和声的にはロマン派を超えた孤高の領域を独走していた作曲家。太田さんのエチュードは、そのすべての要素を把握していた。厳密な分析が下地にあり、その上に独特の前衛性と豊かな感情が乗っている。

「バラード第4番」はショパンの本質にさらに踏み込んでいた。「ショパンはなぜシンフォニーを書かなかったか」という理由が詳らかにされるような解釈だった。ヴィオラを思わせる魅力的な内声部があり、チェロやコントラバスのような豊かな低音があり、ハープを彷彿させる装飾音があり、ピアニストの両手がオーケストラのようなのだが、パートで区分された楽器では表現不可能で、それぞれの声部はめまぐるしく変化し、ひとつに溶けあったり分離したり、性格を翻したりする。ピアノでしか表せない変幻自在の表現なのだ。

 ある種のピアニストはショパンを忌避し、聴き手もまた然りなのだが、ショパンは深掘りすればするほど奇々怪々な次元を見せる。美しいだけではなく、容易にグロテスクにも転じる夢と想像の世界を音で描いているため、そこに恐ろしいものを感じる人間がいてもおかしくない。
 太田さんのショパンは、短期間でめざましく進化したが、やはり太田さんの個性が揺るぎなく反映されたもので、作曲家の想像世界と完全に一体化していた。ショパンの神髄は…どこか弾き手の「魂を選ぶ」ようなところがあると実感する。矛盾に引き裂かれた創造性を頭だけで理解しようとしても不毛なことで、ピアニストには鋭い直観が求められるのだ。

 ノクターンは変ホ長調の16番が演奏され、太田さんがこの曲を選んだことが嬉しかった。すべてのノクターンが完璧に美しいが、16番と17番は格別だと思う。冒頭の右手の一音は北極星のように果てしなく、ひとつの光に誘われて夜の世界のざわめきが息をしはじめる。ポゴレリッチもリサイタルでよく弾く曲だが、ピアニストの究極のセンスを引き出すようなところがある。この曲もそうだが、リサイタルの間中、「ショパンを聴いているときは、ショパン以外の作曲家は誰一人として要らなくなる」という感覚を感じた。音楽史の中ではバッハやモーツァルトやベートーヴェンほど重要な作曲家とはされていないが、「この音楽がすべて」と思わせる麻酔的な威力がある。

圧倒的だったのはラストの『スケルツォ第4番Op.54』で、この曲からは「なぜショパンがオペラを書かなかったか」が理解できた。詩人アダム・ミツケヴィッチは親友のショパンに何度も祖国ポーランドのためのオペラを書くよう説得し、しつこく手紙を送り続けたが、ショパンは最期までオペラを書かなかった。パリでの『タンホイザー』の初演を、「楽譜を見たが和声的に新しいものはないから聴きに行かない」と言い放ったほどだから、オペラ作曲家へのライバル意識はあったはずだが、ショパンの声楽的な感性はもはや人間の声では表現できないものに変化していた。
スケルツォの中には、ショパンが愛したベルカント・オペラの残響が感じられ、歌うようなパッセージも息づいているが、人間の身体では表現不可能なほど抽象化されマニエリスティックに変形している。ベルカントのアジリタでも歌えない、素早く超絶技巧的な旋律がうごめいていたが、そう感じられたのも、太田さんのピアノがすべて「歌っていた」からだった。

 不思議な偶然で、このリサイタルの前後にショパンコンクールの覇者の演奏を聴く機会があった。ポーランド大使館でラファウ・ブレハッチ(2005年優勝)のマズルカを聴き、夜からはBBCプロムスのオープニングでユリアンナ・アヴデーエワ(2010年優勝)のチャイコフスキーの『ピアノ協奏曲第1番』を聴いた。不純物のない、ポーランドの至宝のようなブレハッチの透明なタッチと、トレードマークのタイトなスーツ姿で、カラフルな照明を浴びているアヴデーエワのサービス満点のアクションは対照的だった。ショパンが演奏家にもたらすものも、千差万別なのだ。
 太田さんが果敢に踏み出しているショパンへの道を、心から応援したくなった。ショパンの弾き手として稀有の才能を見せた貴重なリサイタルだった。