札響の東京公演をサントリーホールで聴く。首席指揮者のマティアス・バーメルトの来日が叶わず、ユベール・スダーンが予定されていたプログラムを引き継いだ。前半はベルリオーズ劇的交響曲『ロメオとジュリエット』より「愛の場面」、伊福部昭『ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲』、後半はシューマン『交響曲第2番』。
スダーンさんは2021年12月末のゲルハルト・オピッツさんと愛知室内オーケストラの特別演奏会でも指揮をされていたが(素晴らしい名演だった)、ずっと日本に滞在していたのだろうか。首席指揮者のバーメルトさんが来られなくなったのは残念だが、スダーンさんが代理で指揮をすると決まったとき、少し嬉しかった。指揮台なしで指揮棒なし。いつものように紳士的に登場して、大きな優しい手でベルリオーズのロメジュリの愛の場面を振り始めた。
ベルリオーズのロメジュリといえば、自分にとってモーリス・ベジャール版のロメジュリだった。2005年の初夏にローザンヌでこの曲が流れる舞台を何度も聴いた。ベジャールは反戦の想いもこめて「争いより愛を」とロメジュリのバレエを振り付けた。札響の「愛の場面」は優美だったが、遠くにいる金管が少し甘く、わずかだが不揃いに感じられた。リハーサルで指揮者が鬼のように金管をいじめれば、引き締まった本番になることもあるだろう。もはやそんなことは、どうでもよかった。合奏は美しく、夕暮れ時の金色の海のようだった。
伊福部昭さんの曲は、懐かしい質感がした。冒頭のヴァイオリンのモノローグは「ねんねんころりよ」を思い出す。民謡調で、ルネサンス期の吟遊詩人の音楽にも聴こえる。山根一仁さんが集中度の高いヴァイオリン・ソロを奏でた。後半からあの有名な「ゴジラ」の主題が現れたが、律動的なオーケストラが土台となって浮上する「ゴジラ旋律」はショスタコーヴィチやストラヴィンスキー、バルトークを強く思わせた。それらと伊福部音楽は地下茎でつながっている。「ゴジラ」のモティーフが転回していく様子は、ラフマニノフのパガニーニラプソディさながらで、神々しく、同時に「ソーラン節」を思わせる。この日は伊福部昭氏の命日だった。
前半の2曲だけでも、スダーンの指揮の良さをつくづく感じた。プログラムによると、札響との初共演は1975年なそうである。スダーンは1946年生まれだから29歳のとき。その後札響とは何度共演したのだろう。東響はスダーンからノットに首席が変わって、ノットの派手なイメージもあってか(?)桂冠指揮者のスダーンの影が少し薄くなってしまったような気がするが、個人的にはスダーンの方が東響らしさを引き出していたように思う。ノットも悪くないが、自分には彼の音楽はよくわからない。大変なエリートだとは思う。スダーンは「なんでこんなに謙虚なんだろう」といつも思う。音楽はとても心に残る。深い問いがあり、野心とかそういうものとは関係のない場所で、ひたすら優美に鳴っている。
去年の指揮コンで、連日のようにスダーンの後ろ姿を見た。予選の審査で、指揮者たちはほうぼうに好きな場所でコンテスタントの演奏を聴いていた。いつもバルコニー席にいたのは自由なオッコ・カムだ。スダーンは毎回通訳をともなって前方の左側の席に座っていたが、その後ろ姿が「王子様」のようだった。私にとって、他の人がどうでもいいというこういう「素」の瞬間こそ大事な時間で、スダーンのあの後ろ姿から多くのものを感じた。自分の人生にそんなに多くを求めていない。音楽を心底愛しているが、他人をいびってまで何かを実現しようとはしていない。そして、本当に育ちのいい人だ。家族から愛されて育ったユべール少年の子供時代を思い浮かべた。
後半のシューマンでは指揮台と指揮棒が登場するのかと思ったら、そのままで台も棒もなし。スダーンさんは身体全体でオケに覆いかぶさるようにして音を引き出していた。1楽章は美しい日没のような景色が思い浮かび、宗教的な感慨に満たされた。70代の指揮者はまさに人生の実りを迎えているが、スダーンは古き良き何かを懐かしんでいるわけでも、新しい何かに迎合しているわけでもなく、あらかじめて決められていたプログラムに、自分の心の経験を乗せていた。わざとらしさや脅かすようなところが全くない。それでも狂気が滲みだす2楽章の終わりでは、鋭い音が飛び散った。そこからゆったりとした3楽章への流れは、筆舌に尽くしがたかった。シューマンの愛情深さ、人間らしさ、調和を懐かしむ心が、指揮台を使わないスダーンの身振りから溢れ出した。札響の「優しさ」に打たれた。
フィナーレ楽章では各パートの俊敏さと祝祭的な音の輝き、合奏の巨大なパワーが炸裂した。札響は素敵なオーケストラである。年間ブログラムを見たら、指揮者も曲目もかなり豪華。1年の中で一番寒い季節に東京に来て、名演を披露してくれた。
スダーンさんは2021年12月末のゲルハルト・オピッツさんと愛知室内オーケストラの特別演奏会でも指揮をされていたが(素晴らしい名演だった)、ずっと日本に滞在していたのだろうか。首席指揮者のバーメルトさんが来られなくなったのは残念だが、スダーンさんが代理で指揮をすると決まったとき、少し嬉しかった。指揮台なしで指揮棒なし。いつものように紳士的に登場して、大きな優しい手でベルリオーズのロメジュリの愛の場面を振り始めた。
ベルリオーズのロメジュリといえば、自分にとってモーリス・ベジャール版のロメジュリだった。2005年の初夏にローザンヌでこの曲が流れる舞台を何度も聴いた。ベジャールは反戦の想いもこめて「争いより愛を」とロメジュリのバレエを振り付けた。札響の「愛の場面」は優美だったが、遠くにいる金管が少し甘く、わずかだが不揃いに感じられた。リハーサルで指揮者が鬼のように金管をいじめれば、引き締まった本番になることもあるだろう。もはやそんなことは、どうでもよかった。合奏は美しく、夕暮れ時の金色の海のようだった。
伊福部昭さんの曲は、懐かしい質感がした。冒頭のヴァイオリンのモノローグは「ねんねんころりよ」を思い出す。民謡調で、ルネサンス期の吟遊詩人の音楽にも聴こえる。山根一仁さんが集中度の高いヴァイオリン・ソロを奏でた。後半からあの有名な「ゴジラ」の主題が現れたが、律動的なオーケストラが土台となって浮上する「ゴジラ旋律」はショスタコーヴィチやストラヴィンスキー、バルトークを強く思わせた。それらと伊福部音楽は地下茎でつながっている。「ゴジラ」のモティーフが転回していく様子は、ラフマニノフのパガニーニラプソディさながらで、神々しく、同時に「ソーラン節」を思わせる。この日は伊福部昭氏の命日だった。
前半の2曲だけでも、スダーンの指揮の良さをつくづく感じた。プログラムによると、札響との初共演は1975年なそうである。スダーンは1946年生まれだから29歳のとき。その後札響とは何度共演したのだろう。東響はスダーンからノットに首席が変わって、ノットの派手なイメージもあってか(?)桂冠指揮者のスダーンの影が少し薄くなってしまったような気がするが、個人的にはスダーンの方が東響らしさを引き出していたように思う。ノットも悪くないが、自分には彼の音楽はよくわからない。大変なエリートだとは思う。スダーンは「なんでこんなに謙虚なんだろう」といつも思う。音楽はとても心に残る。深い問いがあり、野心とかそういうものとは関係のない場所で、ひたすら優美に鳴っている。
去年の指揮コンで、連日のようにスダーンの後ろ姿を見た。予選の審査で、指揮者たちはほうぼうに好きな場所でコンテスタントの演奏を聴いていた。いつもバルコニー席にいたのは自由なオッコ・カムだ。スダーンは毎回通訳をともなって前方の左側の席に座っていたが、その後ろ姿が「王子様」のようだった。私にとって、他の人がどうでもいいというこういう「素」の瞬間こそ大事な時間で、スダーンのあの後ろ姿から多くのものを感じた。自分の人生にそんなに多くを求めていない。音楽を心底愛しているが、他人をいびってまで何かを実現しようとはしていない。そして、本当に育ちのいい人だ。家族から愛されて育ったユべール少年の子供時代を思い浮かべた。
後半のシューマンでは指揮台と指揮棒が登場するのかと思ったら、そのままで台も棒もなし。スダーンさんは身体全体でオケに覆いかぶさるようにして音を引き出していた。1楽章は美しい日没のような景色が思い浮かび、宗教的な感慨に満たされた。70代の指揮者はまさに人生の実りを迎えているが、スダーンは古き良き何かを懐かしんでいるわけでも、新しい何かに迎合しているわけでもなく、あらかじめて決められていたプログラムに、自分の心の経験を乗せていた。わざとらしさや脅かすようなところが全くない。それでも狂気が滲みだす2楽章の終わりでは、鋭い音が飛び散った。そこからゆったりとした3楽章への流れは、筆舌に尽くしがたかった。シューマンの愛情深さ、人間らしさ、調和を懐かしむ心が、指揮台を使わないスダーンの身振りから溢れ出した。札響の「優しさ」に打たれた。
フィナーレ楽章では各パートの俊敏さと祝祭的な音の輝き、合奏の巨大なパワーが炸裂した。札響は素敵なオーケストラである。年間ブログラムを見たら、指揮者も曲目もかなり豪華。1年の中で一番寒い季節に東京に来て、名演を披露してくれた。