コーヒーとタバコが一日も欠かせない理子は、少々イライラしながら“缶コーヒー買って喫煙所に行ってこよ
うかな、でも、もう少しで終わるかな”と、義父の診察を待っている間待合室で何度も思ったのだが、その内に
機を逸してしまった。
「胃が掴まれるように痛い」と、深夜になってから義父が顔を歪めて言いだすものだから、夜間診療をしてく
れるこの病院へ車を走らせたのだ。それにしても長い。
時折、救急患者さんが運ばれてくるので、義父のような命に全く別条のない人は、後になるのだ。
“日中に胃が痛いって言ってくれればいいのに、その上どうしてあなたの息子が出張中に病気になるの”と
勝手な事を思ったりしていた。通路の奥に飲み物の自動販売機が置いてある。やっと決心して、缶コーヒー
を買おうと歩いて行くと、そこには夜間診療とは違う治療棟があった。
夜間診療の診察室の向かい側は、『救急治療室』だった。重篤な患者さんは、ここに運ばれてくるのだ。
サイレンを鳴らした救急車が時間外診療窓口の玄関に到着すると、急に待合の通路が慌ただしくなり、医
者や看護師があちらこちらに移動している。
救急治療室に新たな重篤そうに見える男性の患者がベッドに運ばれてきた。頭部に損傷があるようだ。
医師は、慎重にその患者の頭部に包帯を巻き、たくさんの医療機器と身体に付いたチューブを丁寧に確認
していた。そして、何やら看護師に話をした後、患者の家族であろう人と共にその場を立ち去った。
この患者は、重篤な状態を脱したのだろう。多分、小康状態になったから看護師に引き継がれたのだ。
今では珍らしくもないが、その看護師は大柄な男性で、私としては、初めて接する男性の看護師だった。
しばらく経った頃、ベッドの患者が呻き声を発した。見ると、その大柄な男性看護師が患者の頭を押さえつけ
ている。“どうして?頭押さえちゃいけないでしょう。”と、あまりのショッキングな光景に声も上ずっている。
大きな声が出ない・・・身体が動かない・・・
「理子さん、すまんねぇ、痛みが治まった。」目の前に義父がいる。あぁ、あれは、夢だったんだ。
ほんの少しウトウトとした間に、現実を見たかのようなリアルな夢を見ていたのだ。
この長イスからでは、『救急治療室』が見えるわけがない。少々、ほっとした。
義父の次回診察は、翌日の午前中の予定になっていて、今度は早い時間に連れて来なければならないと
思ったら、又鬱々とした気分になった。
翌日、義父を連れその病院へ行ったが、今回は『予約』なので診察も早く、薬を飲んで様子を見るといった
事だった。安堵して会計を済ませ、玄関の方へ歩いていくと向こうから大柄な看護師の服を着た男性がやっ
てくる。すれ違いざまに思わず声を上げてしまった。
「ああ・・・」昨日の夢に出て来た男性看護師だ。
あまりの動揺で胸の鼓動が速くなり、その場を動く事が出来ない。ふと、あの『救急治療室』へ繋がる通路を
見ると、昨日の夢の中で付き添っていた家族であろう人と先生が深刻な顔をして歩いてくる。
付き添いの人は、泣きじゃくっている。
“あの患者に何かあったのだ”通路の奥には、白い布が被せられた人を載せたストレッチャーがあった。
“正夢だ・・・”義父の顔を見ながら、呟いた。「ここへは、もう来ないようにしようね・・・健康一番!」