雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

青春18きっぷの旅〜6日目、最終日

2024年09月14日 | 旅行


青春18きっぷの旅〜6日目、最終日

 いよいよ旅の最終日に。今日の終着点は我が家だ。そして今回の旅の一番の目的である広島訪問と原爆ドーム、原爆資料館を見学する日だ。
 早朝から原爆記念公園に向かい、資料館が開館する前に、原爆ドームをスケッチする。広島も桜が満開だ。
 早めにスケッチを切り上げ、資料館の玄関に。早くも外国人を中心に長蛇の列。時間になって入場。2時間弱、館内をゆっくり見学した。負傷者を収容した臨時の施設で、自ら重症のヤケドを負いながらそばにいるヤケドをした少年に「がんばって生きなさい」と励ましたという女性の記述に涙が止まらなくなった。
 原爆の犠牲となった小学生や小さな子どもの遺品を展示したコーナーでは、シャツや弁当箱や三輪車を食い入るように観ていた小学生の女児の姿が心に残った。この女児が人生を終えるまで、原爆の遺品が伝えるメッセージを受け取り次の世代に伝えてくれるだろう。それから見学に来ていた多くの外国人には唯一の被曝体験国である日本で観た感じたことを伝えてほしい。
 やはり残念なのは、日本が核拡散防止条約に批准していないことだ。核の問題は私にも判断が出来ないし、家族内でも判断が分かれてしまう。でも唯一の被爆体験国である立場からだからこそ言えること、出来ることがある様に思える。
 平和公園から広島市立美術館へ。昨夜、広島に到着後に散歩していて、偶然ピカソ展の看板を見つけていた。若い頃に訪ねたバルセロナのピカソ美術館の収蔵作品が来ているらしい。それから広島市立美術館は前の年になると熊本県立美術館本館でその収蔵展が開催されていた。広島のピカソも良かった。
 この旅行のオマケみたいなピカソ展を観て、これも初めての厳島神社へ向かう。最寄りのJRの駅から、連絡船に乗船。これもJRのフェリーなので、青春18きっぷで乗船可能だ。
 厳島神社の塗りなおされたばかりの海上に立つ赤い鳥居が際立って見える。厳島上陸。ここも外国人が多く、通勤時間帯の都会の駅のような人の流れが続いていた。有名な大観光地にありがちだけど、神社も街もそれ程の感動無し。並んで待って入った門前の食堂で、カキフライ定食と地ビールを、夕食用に名物の穴子飯弁当をテイクアウトした。
 再びフェリーに乗船し、宮島駅に上陸した途端、足に違和感。履き慣れたワークブーツの靴底がパックリと外れ欠けている。これが旅行始めなら靴屋か量販店に駆け込んでいただろうが、あと半日の旅程なので、コンビニでガムテープを買い、靴本体と靴底をグルグル巻きにして補強した。見てくれは悪いけど、仕方がない。
 それからは行きと同じように単調な山陽本線を115系のボックスシートの古い車輌でひたすら各駅に停まりながら下っていく。JR九州の普通列車の車輌は通勤型のロングシートがほとんどなので、車窓も見にくいし、弁当も開けない。それで少し早めに下関に到着前に夕食用の穴子飯弁当を食べる。ところが私が苦手の魚介類の生臭いにおいがして、数口食べただけで残してしまった。
 再び関門トンネルを抜けて九州に帰って来た。
 小倉で415系から鳥栖行きの715系に乗り換えて、鳥栖から816系のロングシート車で熊本駅に。JR九州の設計となる電車には連結面にドアが無く、連結のギシギシという大きな音が車内に響いてうるさい。最後に豊肥本線に乗り替えて自宅の最寄駅、そして旅の振り出し駅の新水前寺駅に無事到着。
 「我が家が一番」であることはわかっていたが、自宅と家族のありがたさを再確認した旅だった。

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青春18きっぷ+50歳の旅〜5日目

2024年07月10日 | 旅行
青春18きっぷ+50歳の旅〜5日目

 姫路のホテルで目が覚めたら予報どおり雨の音。部屋のカーテンを開けると土砂降り。折りたたみの傘は持っていたが、今回の旅行で初めて使うことになる。
 ホテルを出ると、思っていた以上に雨が激しく、あっという間に靴とジーンズの裾がビショビショに。これはたまらんとコンビニで簡易の雨ガッパを買う。姫路駅に出て、例によってコインロッカーに不要の荷物を預ける。
 姫路は二度目の来訪で、前職の仕事上の学会で訪れていた。
 その時は街をぶらぶら観光する時間もほとんど無く、懇親会後のバスツアーでライトアップされた姫路城を近くで見ただけだった。
 前夜に姫路駅に着いた時に、夜空に本当に浮かんでいるようにお城が輝いて見え、すごいなあと感じたが、それは特別なライトアップのイベントがあったことを朝のニュースで知り、知っていたら疲れをおしてでも夜のお城を観に行ったのに残念に思った。
 姫路城は姫路駅から真っ直ぐに広い道路が通っていて、そこが同じ城下町でも熊本と違う。熊本市内の道は清正が敵が攻めにくいように、わざと鍵型に曲がっている。まだ天下の行方がわからなかった時と、ほぼ徳川の天下と定まった後の街づくりとの違いを感じる。そのお城の大手門へ続く大通りを進むと、まだお城が遠いのに石垣の遺構があり、お城の広大さを感じる。
 姫路城の城内に初めて入る。まずは白鷺城という異名のとおり美しいという印象。写真スポットが随所にあり、雨が激しく降り続くのがうらめしい。天守閣に入るまでは、ガイドさんと同行するおばあさんと同じ歩調で歩いたために無料でお城の説明を聞きながら進んだ。石垣の説明で、熊本城の名前がガイドさんの話に出てきた。そこでつい「私は熊本から来ました」と、声をかけてしまった。「姫路城はすばらしいですね」と私が言うとガイドさんが「熊本城もすばらしい」と言われて、なんだかエール交換みたいになった。
 熊本城が男性的な直線の質実剛健の美しさなら、姫路城は女性的な優雅さがあります。なんと言っても姫路城の天守閣は本物に対して、熊本城は鉄筋コンクリートの外観復元でしかない。天守閣自体は比較する対象にもならない。でも石垣が熊本城が断然すばらしいと思った。
 なぜはフランス人の私と同年代のじいさんばあさんで姫路城はいっぱいだったことも印象に残った。
 姫路駅で、焼売の横浜崎陽軒と姫路の弁当屋のコラボ弁当とビールを買って乗車。広島に向かうが、途中通ったことの無い赤穂線を経由して行くことに。青春18きっぷならではの行程だ。
 赤穂駅で途中下車、次の列車までの短い時間に可能な限り初めての赤穂の街を歩いた。
 初の広島に到着すると、丁度広島カープの試合が終わったところで、赤いカープファンと一緒になった。駅前から広電の路面電車に乗る。
 平和公園に近いホテルで荷物を下ろして、早速日没前の平和公園に行く。すぐに原爆ドームが見えた。まだ明るさを残した空とライトアップされた原爆ドームが率直に美しく感じ、そんな自分にあわてた。
 川沿いを広島城まで歩き、夕食に予定していたお好み焼きを食べにお好み焼き村に行く。どの店もすごい行列。適度に混んでいた店でお好み焼きを食べた。お店の雰囲気も店員さんのあしらいもよく、もう一枚食べたい位のおいしさだった。
 
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青春18きっぷ+50歳の旅〜4日目

2024年06月20日 | 旅行
青春18きっぷ+50歳の旅〜4日目

 4日目は未明に目が覚めて眠れない。狭いネットカフェの部屋。
 もっとゆっくりするはずが7時にはセルフでの精算も無事に済んで、地下鉄の心斎橋駅からJR難波駅、3枚目の青春18きっぷに日付印を押してもらい、奈良に向かう関西本線の快速列車に乗る。天王寺で大阪環状線の列車に乗りかえ、大阪駅を目指す。久しぶりに若い頃お世話になった鶯色の山手線200系に乗れた。車内もモーター音も懐かしくうれしい。大阪駅では、ホーム上の列車に見えるカフェでモーニングサービスのパンとコーヒーを九州では見られない鉄道雑誌でしか見たことない列車を心の中でワーワー言いながら食べた。
 4日目の計画はフリー。最終目的地は姫路だ。夜10時頃までにホテルに着けばいい。最初は大阪市内でゆっくり観光しようかと思ったが折角乗り放題の切符があるので、JR線で行ける所まで行くのもいい。桜の時期なので高野山の桜を観てみたい気もしたが、京都に行くことに決めた。夕方まで京都で遊び、京都駅で駅弁を買って姫路行きの快速電車に乗り込む計画だ。
 一つは京都にある京セラ美術館を訪ねてみたかったことが大きい。お昼はカレーうどんで有名な日の出屋に行き、哲学の小道やインクラインを歩くのもいい。鉄道好きには憧れの梅小路機関庫、今は梅小路交通博物館にも行きたい。
 最初の予定では8時に起き、10時に京都駅に着き、まずは日の出屋に向かい、開店を待ってカレーうどんを食べてから美術館などをゆっくり回る予定だった。でも1時間早く起きたために、京都駅にも1時間早く着いてしまった。なら昼食には早すぎるのでどこかのお寺でも拝観することにした。駅前のバス乗り場から三十三軒堂で降車して、(バスは外国人や日本人の家族連れやグループで超満員)高校の修学旅行で訪れて印象に残っていた三十三軒堂を拝観。鎌倉時代の仏像が素晴らしかった。
 それでもカレーうどんの日の出屋の開店時間までには間があるし、流石にまだお腹も空いていないので、京都に来た目的である京セラ美術館を先に観ることにした。
 京セラ美術館は古い建物とリニューアルされた現代的な部分がよく考えられていてなかなか良かった。展覧会は常設よりも若い現代作家の企画展が面白かった。液体の中で生き物のように蠢く作品と糸で作った送電線の立体作品が面白かった。
 京セラ美術館を出て、日の出屋に着くと、すでに長い列。さらに近づくと、一番最後の男性で今日の分は売り切れ終了とのこと。ビックリだった。口の中がカレーを求めていたし、携帯の充電が早くもピンチとなり、充電も出来るチェーンコーヒー店のカレーで済ませた。
 をしたのであった。それから、20歳の頃に歩いた哲学の小道を歩いて、疏水を訪ねる。桜がちょうどいい感じで、とにかく人でいっぱい。特別に疏水を歩けたのは良かった。地下鉄で山科駅に出て、京都駅に。さらに初めての山陰線に乗って一駅、梅小路まで行く。一回は行ってみたかった梅小路機関庫を改装した鉄道博物館に行く。久しぶりに再会した形式のSLもあって懐かしい。ただボイラーの火を落としての静態展示なのが残念だ。唯一、動体展示されていた8620形が博物館のヒーローになっている。
 博物館で驚いたことがある。梅小路の扇型の大きな機関庫には、静態保存の日本の名機関車が並んでいる。その中にお召し列車牽引仕様のピカピカに磨き上げられたC51がいた(本当は人間ではないのであったと表現すべきだが)。前面には誇らしげに菊の紋章がついていた。そのC51の紋章を見ていた10歳位のお嬢さんを連れた若いお母さんの二人連れの会話が耳に入った。「お母さん、この花は何の花?」お母さんの答えを聞いて愕然とする。「何かなあ?コスモス?ダリア?」そこで、じいさんは黙っておられずに、天皇家の菊の紋章とお召し列車の説明をしたのであった。日本の教育はどうなっているんだ!
 博物館の閉館時間まで往年の鉄道車輌と幸せな時を過ごし、京都駅で駅弁ビールを買って東海道線の姫路行き快速列車に乗る。途中で暗くなり、姫路に近づくと遠くからライトアップされた姫路城が輝いて見えた。
 翌日5日目は朝から広島へ行く予定だったが、妻に電話したら、姫路に行って姫路城を見ないなんてあり得ないよと言われて、朝一番にお城に行くことにして寝た。

 
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生き物の大きさ

2024年03月01日 | エッセイ
  3月になった。早咲きの桜の話題も聞かれ、近所の庭には沈丁花やコブシの花が咲いて春の足音もはっきりと聞こえてくるようになった。聞こえると言えばこの時期は時間を問わず発情期を迎えて雌猫ネコをめぐる雄ネコ同志の激しい争いの唸り声が聞こえてくる。この雄ネコの争う様子を見たことがありますか?猫パンチや噛みつき足蹴り、毛が飛び散りなかなかの迫力だ。
 その様子を見ていて、もしネコの大きさが今の倍くらいあったら、トラやライオンやヒョウなどのように人間もおちおち近づけない程の猛獣になったしまうのではないだろうかと想像する。ネコは人と共存する進化を選び、人に抱かれ、膝の上に乗って眠るのにちょうど良い大きさになったのだ。
 街でありふれて見かけるカラスが今より2倍ほど大きかったらどうだろう。今の大きさでも十分不気味なイメージがあり、人を襲うこともあるカラスだから相当な恐怖となるに違いない。
 J.K.ローリングの小説「ハリー・ポッター」シリーズには怖がる人の多い、ヘビや蜘蛛の巨大化したものが話の中に登場する。映画となった画面にも巨大なヘビや蜘蛛が登場し、嫌いな人はさぞや恐怖に慄くのではと想像する。
 私自身はどんな理由かわからないがヘビや蜘蛛の対しては、確かに可愛いとか積極的に見たいとか飼いたいとか思わないが恐怖は感じることが無い。まあ、それは実際に生存しているヘビや蜘蛛の大きさでの話で、巨大化したものに対峙したらヘビや蜘蛛、ネコやカラスも恐ろしいに違いない。
 私は実は苦手な生き物がいて、それはカニの一種で、同じカニ類でもワタリガニやタラバガニ、ズワイガニやヤドカリやヤシガニなどが確かに好きではないがそれほど恐怖は感じない。私が苦手なカニはアカテガニと呼ばれる体が黄色と灰色で大きな赤いハサミのカニに限られる。私の生まれ育った島の実家には、それこそありふれて姿が見られるし、下手すると家の中を歩いていたりするので、たまらない。恐怖からゾッと寒気がする。カニの方から勝手に逃げていくのであのハサミに挟まれてしまうことはないのだが、目の端に黄色と赤と灰色が写ろうものならなるべくそちらを見ずにそこから退散するのである。
 もしこのせいぜい10センチ前後のアカテガニが2倍の大きさだったら。生息数が減り以前ほど見かける機会が減ったとは言え、もう実家に帰る勇気があるだろうか。
 ところが昨年だったか、美術館で日本画を観ていたら、人の形をして着物を着た頭がカニのカニ人間が描かれていた。猿かに合戦の絵だったと思う。これが小さなマンガチックな絵だったらよかったけど、もし実写の映画なんかに出てきたら、間違いなく失神しそうな気がする。夢の中でも絶対に出会いたくないものだ。

(2024.3.1)
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青春18きっぷ+50歳の旅〜3日目

2023年05月26日 | ポエム


 3日目は今回の旅の第一の目的である大阪の国立国際美術館で開催中の『ピカソとその時代』展を観覧した。
 そしてその日の宿泊は今回の旅の5泊の中で唯一ホテルではなく生まれて初めてネットカフェに泊まることにしている。その未体験の予定のせいで朝から多少緊張している。
 宿泊していた尼崎駅から阪神電車に乗って大阪市内へ。途中大阪メトロに乗り換える。乗り換え時に地下鉄(OsakaMetro)と大阪シティバスの一日乗車券「エンジョイカード」を800円で買う。この日はJRの青春18きっぷは使用しない。このエンジョイカードにはいろんな特典がついていて、ピカソ展の入場料金2100円が200円引きで入場出来た。だから実質600円で一日乗り放題となった。ただ後からしまったと思ったのは、大阪市の地下鉄とバスの乗り放題のチケットなので、風景が見えない地下鉄だけではなく、バスをもっと利用すればよかったことだ。地下鉄だとどうしても方向感覚や距離感がつかみにくい。
 地下鉄が乗り放題なので、まずは美術館が開館する前の時間を利用して、宿泊する心斎橋のネットカフェを事前に確認して安心することにした。流石に日本で二番目に大きな街。何もかもがスケールが大きくて戸惑ってしまう。スマホのナビを使ってどうにかその夜に泊まるネットカフェを発見。受付の若い女性に予約を確認してもらう。荷物預かりやコインロッカーの設備はないとのこと。地下鉄の駅に戻り、コインロッカーを使用した。
 今回の旅では、大きなリュックサックと小さなショルダーバッグの二つのバッグを使用。リュックサックには6日分の着替え(カッターシャツ2枚、Tシャツ5枚、パンツ4枚、靴下5足、ハンカチ4枚、トレーナー、途中で買った雨具。パンツとハンカチはホテルの部屋で入浴するときについでに手洗いして乾いたタオルで水分を可能な限り拭き取ってから干しておくと朝には乾いていた)や予備のメガネなど基本的に昼間に携帯しなくて良い荷物が入っている。だから朝から夕方まで移動がない時は大きなリュックサックはコインロッカーに預けた。
 このコインロッカーがまたアナログの鍵がない、デジタル方式になっていて、田舎の爺さんはそれだけで戸惑い、時間がかかってしまう。使用したロッカーのバーコードが印刷された紙をくれぐれも無くさないように(最近はなくしもの、落とし物が多いのだ)また、大きな地下鉄構内のなんの特徴の無い通路にあるコインロッカーの場所に夕方再びたどり着くことができるか一抹の不安が残る。そのためにスマホで通路やロッカー、付近の所在を示した表示を撮影した。(これは京都駅のロッカーでも同じ防護策を実施して実際に役に立った。京都駅では使用したロッカーの位置がすぐにはわからず少しグルグルと広い構内を探し回った)
 そこから大阪市営の地下鉄車両を楽しみつつ、まずは中之島の美術館へ。それから途中で気に入った建物をスケッチしながら大阪城と大阪駅、道頓堀などを観光。大阪城でも少しスケッチをした。どこも外国人の旅行客で溢れていた。昼食は以前大阪に出張で訪れた時に食べて美味しかった今井とういうお店で肉うどんを。夜は串揚げを食べた。ただ夕食の時だけは孤食が辛いと思う。孤独のグルメのドラマは楽しいけど、夜は個食じゃない方がいいなと何度も思った。
 ネットカフェは手続きを教えてもらい、予約していた鍵付き個室のフロアタイプに無事チェックイン。その前にコインロッカーもスマホで再確認することもなく、ロッカーの場所にたどり着き、バーコード式の清算と解錠もできた。やれやれ。
 初めてのネットカフェは、両腕を横に伸ばすと届いてしまうほど狭いけど、足は十分に伸ばせるし、天井が普通の高さがあるので、2度止まったことのあるカプセルホテルよりも圧迫感は無かった(ちなみに部屋の広さは大体の計測で220ミリ×160ミリだった)。強いて言えば、年寄りはトイレが近くなり、フロアに一箇所の共同のトイレまで行くことが不便。でも他の部屋の物音も聞こえず、思っていた以上に快適だった。次回からも一泊ぐらいは利用ありかと思う。
 ピカソ展については、今回訪れた他の美術館の話とまとめてお話ししたい。
 大阪の印象は、覚悟はしていたけど、外国人観光客の姿に溢れていたことに尽きる。細かいことでは熊本市内ではあまり見かけなくなった、サラリーマンの歩きタバコが多く目についた(岡山や広島も歩きタバコ多かった)。単に人が多いだけかもしれないけど。それからビックリしたのは次にコンビニに行ったら必要で買おうと思っていた濡れティッシュを路上で配布していたこと。違う場所で二度もらったので、都会では普通のティッシュだけでなく濡れティッシュの配布も普通のことなのかな?
 美術館内や大坂城などでスマホで写真を撮りまくっていたら、気がついたら昼過ぎには充電のアラームが出た。普段の生活では無い事態で、これはピンチとばかり焦った。充電がてらコーヒーを飲めばよかったのだが(事実、その日の夕方と翌日の昼過ぎは充電設備のあるカフェで充電した)一番近いAUショップに駆け込んで店員のお姉さまに今回だけということで緊急充電をさせてもらたった。
 車ではないが歩きでもすっかりスマホのナビ機能が頼り。次の旅行にはモバイルバッテリーが必需品だな。

(2023.5.26)
 
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