オリエント急行とななつ星
1988年10月30日。熊本駅の3番乗り場には場違いな程、優雅な車両が停車していた。私は家族で、あこがれのオリエント急行の車両見学会に来ていた。
民放テレビ局の開局30周年の記念イベントとして、あのオリエント急行がパリ東京間を走行し、その後2ヶ月間、日本国内を巡ったのだ。鉄道ファンとしては、最初「そんなバカな」と、にわかには信じられなかった。なぜなら分割された旧国鉄の線路の幅は、1,067ミリの狭軌で、ヨーロッパで主に使用されている軌道は標準軌と言われる1.435ミリ。「線路の幅が違うじゃない?」と、まず思った。まあ軌道の幅の違いを股がる直通運転は、方法や実例が無い訳ではない。有名なのはほとんどのヨーロッパの鉄道で採用されている標準軌よりさらに軌道間が広い広軌のスペイン国鉄との直通運転。客が乗ったまま車体をつり上げ台車を丸ごと交換したり、通過するだけで軌道間の幅を変えるフリーゲージの例がある。レールの幅が違うという問題だけではなく、軌道の幅の違いには、車両限界という問題もある。鉄道車両の大きさ、つまり車両の長さ・幅・高さは、軌道の幅に左右される為、必然的に標準軌道と狭軌では、車両の大きさが違う。車両の大きさが違うということは、車両に合わせて作られるプラットホームなどの様々な施設やカーブの度合いが違うということだ。日本の例では、JR東日本の東北新幹線に乗り入れている秋田新幹線や山形新幹線の車両が小さいのは、狭軌の在来線の軌道の幅を他の新幹線と同じ標準軌に変えただけのミニ新幹線方式の路線だからだ。
だから、標準軌を走るオリエント急行の車両が日本国内を走ることに対しては、なまじ鉄道の知識がある者には、たくさんの疑問と驚きがあった。
30年前の夢のようなオリエント急行の国内走行。まず軌道の違いは、台車の交換で解決し、車両限界は、基本的にオリエント急行が古い車両であったために、車両が日本の狭軌にも合う位の、標準軌を走る他の車両より一回り小さかったことが幸いしたようだ。それでも、車輪の直径を小さくしたり、事前に、オリエント急行の車両の大きさを仮に再現した花魁列車と言われるテスト車両を走行させ、線路際の施設に当たらないか実験し、当たった箇所を改修するなど、様々な知恵と努力の奇跡の走行だった。熊本駅に停車するオリエント急行の車両は、まさに鉄道車両の貴婦人。見学した車内でもため息のつき通し、今思い出しても夢の中のような時間だった。
同じ年、悲願の青函トンネルが開通し、豪華寝台特急「北斗星」が札幌上野間に運行開始。翌年には、札幌大阪間にも臨時ながら「トワイライトエクスプレス」が誕生。10年後の1999年には、新生の車両で札幌上野間に「カシオペア」が登場している。衰退して消え去った各地の所謂ブルートレインとは違い、これらの豪華列車は未だに人気を誇っている。ところが、豪華と言われる車内の趣味やセンスに対し、金額は別にしても私自身も乗りたいとは思わない。
数々の魅力的な車両を登場させたJR九州の唐地社長が注目を浴び始めた頃に、九州版オリエントエクスプエスを走らせたいという夢の構想を口にした。当時は、社内でも反対の声が多く、実現不能とみられていた。その後も、デザイナー、水戸岡鋭治氏とのコンビで、九州内にユニークな外観とコンセプトの観光列車と次々に登場させ、その実績を踏まえてか、九州版オリエント急行は、クルーズトレイン「ななつ星in九州」として、2013年10月15日。運行を開始した。
「ななつ星in九州」は、車両や運行そのものの考え方があきらかに「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」とは一線を画している。これならいつか私も乗ってみたいと思わせるオリエント急行に負けない世界に誇るすばらしい出来映えだ、と思う。残念ながら熊本県内は、未明から早朝にかけての通過となり、阿蘇駅まで見学に行けば可能だが、まだ実物を見たことがない。ななつ星も見たいが、紹介番組で水戸岡氏が、次は子ども連れのファミリィー対象の寝台列車を作りたいと言っていたことが早くも気になっている。(2013.10.30)