雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

チョイ悪親父

2022年01月13日 | エッセイ




 2020年からの新型コロナの世界的なパンデミックにより、ほとんどの人がそれ以前の想像とは違った日々を過ごされていることと思う。
 同じ年に高齢者という括りの仲間入りした66歳の私などは、死亡や重症化のリスクが高いことを除けば、年下の皆様に比較すると様々な影響や問題や不安は少ない方だと思っている。旅行業や飲食店に関わる人や家族の不安。修学旅行や運動会、文化祭など一生の思い出になるような楽しい行事が中止されたりした中学生や高校生。大学に合格しても思い描いていた楽しいキャンパスに通えない大学生。目標の大会が中止となったスポーツ選手。コンサートが開けない演奏家たち‥‥。想像するだけで気の毒だが、本人はそれ以上に悔しくやるせない思いをしていることだろう。
 私自身は、二つの非常勤の勤務を掛け持ちしているが、そのどちらもイベント関係なので、新型コロナの影響をモロに受けて仕事が激減してしまった。幸いにすでに年金受給者となっているし、国のコロナ対策の支援もあって大きな不安を感じることも無く、どうにか生計を維持している。
 ただ65歳になったら始めようと思っていた鉄道ひとり旅や、文句なしに楽しいこと間違いない友人や知人達との集まりの多くが中止となったことが辛い。自由に行きたい所に行き、会いたい人に会いたいという夢描いていた楽しみの二つが新型コロナの影響で思う通りに出来ないことが辛いし悔しい。あとしばらくの我慢であるとは思うが、健康で誰にも迷惑をかけずに動き回ることが出来るのも75歳位までかと想像すると、残り10年の3年間の貴重な時間が奪われたことは大きい(80代、90代でもお元気な方はたくさんおられて勇気をもらうが、私の父や叔父達を見ているとそう思う)。でもそれくらい‥‥。私より若い様々な年代の人に比べたら、贅沢な悩みかもしれない。
 昨年の11月から12月にかけて、全国的にも感染者が急減した中、今ならと我慢していた友人達との二つの集まりに参加した。集まりと言っても、3人と4人の少人数だった。
 一つは友人夫婦と出かけたコンサート。サックスとピアノのデュオの小さな音楽会であったが、生の音楽の素晴らしさを久しぶりで堪能した。会場の誰もが同じ思いを共有したことだろう。昼の演奏会だったので、その後にまた久しぶりに「ハッピーアワー」で飲もうと約束していた。私はハッピーアワーというお店の名前かと思っていたら、午後から格安でお酒を提供する時間帯のことを言うらしい。
 コンサート会場から繁華街まで歩き、ワイン酒場に到着。早速スパークリングワインをボトルで注文した。まだ世の中明るいうちからお酒を飲む、この背徳感がたまらない。そして久しぶりの友人との会話も弾み心浮き立つ時間が過ぎていく。
 私は60歳前に定職を辞してから、それまで出来なかったことをやりたいと、顎髭を短めだが伸ばしている。自分では「チョイ悪親父」になった気分でなかなか気に入っている。マスクを外して見えたその私の顎髭を見て、飲んでいた友人夫婦のK君が「顎髭もいいねえ。自分も伸ばそうかな」と言った。
 私は「そうそうチョイ悪親父」と答えたら、奥さんが「この人はチョイ悪じゃなくてチョー悪よ」と横から口を挟んだ。
 穏やかなK君の何処がそんなに悪者なのかと驚いていたらさらに奥さんが言った。
 「この人、最近おなかが弱くてどうも腸が悪いらしいの。だから腸悪親父」
 「ああ、腸悪親父!」
 久しぶりに笑って涙が出た。

(2022.1.10)
コメント
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