雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

彼岸花

2014年04月28日 | ポエム

 彼岸花


ふと 庭をみると
みどりのなかに
すっと一本
赤くて 細い
彼岸花が咲いていました
真珠のような雨粒がよく似合う
やさしくて か弱い
彼岸花が咲いていました
僕が その花をみていると
さみしい秋のような
遠いむかしの匂いがしました
(1973~2014.4.25)
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おいなりさん

2014年04月25日 | エッセイ

 おいなりさん


 小さい頃に私がなりたかった職業は、お医者さんとお寿司屋さんの二つだったらしい。医者志望は父の職業で家の生業だったので分かりやすいが、なんでお寿司屋さんだったのだろう。
 保育園の卒園式のセレモニーの中で、自身がなりたい職業を参列者の前で卒園児が発表したりするが、サッカー選手やアイドルなどに混じって、この世にない職業をあげる子どもが必ずいる。男の子では仮面ライダーそのものになりたい子。女の子では果物屋ではなく「イチゴ屋さん」。イチゴ農家のことじゃなく大好きなイチゴを売るお店を夢見ているのだろうなあ。私の場合は、お医者さんとお寿司屋さんはどちらも職業として現実にあるものであるが、私がお寿司屋と言ったのは、イチゴ屋さんになりたいとする園児と同じで、いなり寿司が大好きだったからだ。当時の幼い私にとって、寿司はいなり寿司だったのだ。にぎり寿司はまだ食べたことが無く、寿司と言えば、いなりの他は巻き寿司にカッパ巻やお新香巻、鉄火巻位。うーん、でも考えたら、いなり寿司に特化した「いなり寿司専門店」はあるかもしれないな。
 初めて寿司屋のカウンターでお寿司を食べたのは、中学1、2年の頃。熊本市内にあった「江戸長」という店だった。父と二人で観に行った映画の帰りに寄った。小学校の給食ですっかり魚嫌いになった私は、当時まず魚介類は一切口にしなかったから、せっかくお寿司屋さんのカウンターに座っても、食べたのは恐らくカッパ巻やお新香巻で、にぎってもらったのは玉子だけだったと思う。父と馴染みの店主は、観てきた映画を「マンガですか」みたいなことを父に尋ね、「なーん、もっと上等の映画たい」と父が答えていたのを覚えている。見たのはダスティン・ホフマンが主演の「卒業」だった。
 私がお寿司屋さんになりたいと言った理由は、いなり寿司が大好きだったということが大きいが、もう一つは寿司を作る過程に少なからず興味を持っていたからだ。私の小さい頃は母方の祖母が同居していて、母と共に家事をこなしていて、中でも炊事の中心は祖母だった。祖母は戦前に満州に渡り、ハルピンという町で料理屋を経営していたそうだ。祖母の料理は美味しいと評判で自宅の座敷にお客さんが集まっての宴会もよく開かれていた。また祭りや運動会、盆やお正月などのご馳走も手作りするしかなかった。昭和30年代から昭和40年代前半の話で、今のように外食産業が発達していない田舎の話だ。住居事情も今とはずいぶん違う。母達は朝から練炭に火を起こし、台所に続いた茶の間に置かれた火鉢ではお湯の他、一日中のように何かが煮炊きされていた。お祭りの時は、祖母と母は手際良く煮物、焼き物などの料理からおはぎや羊羹まで作り、数日前から始まる料理の様子を私は飽きずに眺めていた。
 中でも好きだったのが寿司を作る様子だった。すし飯を作り、のり巻きやいなり寿司を作る過程は面白かった。地元の特徴は、海苔の代わりに薄焼き玉子でのり巻き状に作った黄色の巻物だ。またいなり寿司も三角形の大きなアゲに詰めた無骨なとんがり型で、一つで茶碗1杯分程のボリュームがあった。大きなアゲには甘い味付けがされ、それがすし飯にもしみて美味しかった。
 私もすり鉢の縁を押さえたり、かつおぶしを削ったり、すし飯を団扇で扇ぐ役目をもらった。ご褒美に、まだ冷えていない熱いすし飯や出来た巻き寿司の端っこの切り落とした部分を祖母が食べさせてくれた。
 そんな時に私は寿司屋になりたい宣言をしたのだ。
 今でも、スーパーやコンビニで「おいなりさん」を見つけると、手を伸ばしたくなる。うどん屋では必ずセットでいなり寿司も食べる。自分で「適当いなり寿司」を作って食べることもある。家人も頻繁にいなり寿司を買ってくれる。最近は魚介類も好きになったし寿司屋のカウンターで食べるにぎり寿司もいいけど、やはり私にとっていなり寿司は特別なのだ。
 初めて寿司屋のカウンターに座った日に父と観た映画「卒業」にはベットシーンもあった。自分がちょっぴり大人に近づいたことを感じた日でもあった。
(2014.4.24)
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僕の手

2014年04月22日 | ポエム

 僕の手


僕の手は

誰よりも父の手に似ている

多くの命をあずかってきた、父の手に

そして僕は今から

この手で何をしていくのだろう

(1973.9.21~2014.4.21)
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カレーなる誘惑

2014年04月19日 | エッセイ

 カレーなる誘惑


 私が自炊を始めた18歳から今までの40年間に作った料理で最も多いのは間違いなくカレーだろう。今でも週に1回はカレーライス、カレーうどん、時にはカレー丼やカレーピラフ、ドライカレーのいずれかを作って食べている。カレーライスのカロリーが相対的に高いという家人のたびたびの注意勧告が無ければ、恐らく私は週1どころではなく週2回や3回はカレー系の料理を食べているに違いない。それ位カレー味が好きである。
 今迄「不味くて食べられない」というカレーに出会ったことがない。カレーであればたいていは食べて満足する。若い頃田舎の駅前の大衆食堂で食べた小麦粉とカレー粉で作ったやや粉っぽいカレーライスは、あれはあれで思い出のカレーの一つだ。私の母のカレーは鶏ガラや野菜でスープをとり、バターと小麦粉とカレー粉を練った自家製のルーで作ったレストランのカレーみたいな本格的な味だった。現在、私が作るカレーライスは「ハウス・ジャワカレー辛口」というルーを使い、大きめに切ったジャガイモ、タマネギ、人参がコロコロと入ったチキンかポークの昔風の定番カレーだ。ただカロリーが高いという家人の注意で、最近はサラサラのスープカレー仕立てにする。食べる直前に肉とタマネギや季節の野菜を炒めた具をご飯に乗せ、スープカレーをかけて食べるのだ。インスタントだがタイ風のカレーも近年食べる機会が増えた。
 私が自炊をする理由は、私の仕事場が自宅のある熊本市内から車で1時間20分ほどかかる天草の実家にあり、往復が面倒で週の半分は実家に泊まっているからだ。実家と言っても、父は亡くなり母も認知症がひどくて施設に入所しており、実質は単身赴任の一人暮らしなのだ。
 家人も近くに住む兄嫁も頼めば料理を作ってくれただろう。事実家人はよく副菜を作って持たせ、私が作れない料理頼めばいつでも作ってくれる。でも基本的に3食自炊をするのは、料理を作ることが嫌いじゃない、いやむしろ楽しいからである。材料は家人が買って持たせてくれた食料品をメインに使い、他に食べたい物やお酒や嗜好品は近所のスーパーに出かけて買う。
 小学生の頃に金曜日の学校の給食がカレーだったが、家の夕食も母親のチェックミスでカレーが重なり、でも好きだからさらに翌日の朝もカレーをスープにしてパンを食べ学校に行き、土曜日なので給食無しで学校が終わった後にたまたま招かれて行った友達の家のお昼ご飯がカレーライスで、それでも家に帰って夕食に母親の作った2日目の熟成したカレーライスを自ら希望して、5食連続でカレーを食べたことがある。中学校から高校の食べ盛りの時代は、まずは駆けつけ1杯でグーグーと鳴り続けていた空腹を満たし、2杯目はカレーの味を楽しみながらゆっくりと食べ、心残りの無いようにさらにもう1杯の合計3杯がカレーライスの基本の食べ方になっていた。
 カレーと言えばもう一つ思い出す事件が。子どもが小さい頃、私は今のように車通勤ではなく、列車とバスを乗り継ぎ通勤していて車で10分弱の最寄りの駅迄、家人は子ども達を乗せてよく3人で迎えに来てくれた。ある日そうやって家に帰ると、薄暗い我が家の玄関に人影が二人。突然でびっくりしたが友人のT夫妻だった。携帯電話が無い時代だ。「どうしたの?」と聞くと、届け物があり来たら留守だったけど、家の中からカレーの匂いがする。窓から覗くと灯りのついたままの食卓のセッティングが4人分だったので、私を駅迄迎えに行きすぐに戻って家族のみの夕食を食べるに違いないと推理し、自分達も食事に加わろうと近くの酒屋でビールを買い玄関脇で待っていたというのだ。それからT夫妻を含めて6人でカレーライスを食べた。さらにT夫婦はおかわりをするのでご飯が足りなくなって大急ぎで焚き直したのだった。それが語り継がれるカレー事件だ。突然よそのウチの夕食にビールを持って参加するのもスゴいが、ふつう遠慮しておかわりまではしないと思う(名誉のために書くが私達には遠慮しないT夫妻も日頃の気遣いや面倒見はスゴいのです) 。類は友を呼ぶ。
 それもカレーの誘惑だったかもしれない。
(2014.4.16)
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遠くに‥‥

2014年04月16日 | ポエム
 遠くに‥‥


海の向こうに
ぼんやりと
島影が見え
まぼろしのような
山があった

あの山に登って
こちらを見ても
 そう見えるのかしら
(1973?~2014.4.16)
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