雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

活字中毒な私

2014年10月24日 | エッセイ

  活字中毒な私


 大好きな作家の椎名誠が自身のことを「活字中毒」と表現しているように、いつからか私も私自身のことを活字中毒と自認していた。
 ちょっとの用ででかける時、例えば近所の銀行に行く時はポケットかバッグに文庫本を忍ばせていて、通帳と伝票を窓口に提出し振込などの処理が終わるまでのわずかの時間に、文庫本を取り出してページを開いた。業務の一環として講習会などに参加する際も、開演迄の数分間でも本を開くし、どこで寝る時もふとんに入って眠気に襲われる迄が読書の時間となった。
 たまに半日や終日、家や事業所を離れることがわかっている際に本を携帯することを忘れてしまうと途端に不安な気持ちに襲われてしまうし、手が震え出す(これは嘘)。しかし明らかに中毒症状と言わざるを得ない。
 私の本好きは、小中学校時代には見られず、高校に入ってからである。きっかけは何だったのだろう。確かに高校生になると、回りの生徒が本を読んでいる。それから当時は「これこれの本を読むのは常識で読んでおかないと大人になれない」日本人としての共通認識みたいな雰囲気があったように思う。5歳年上の兄にそのようなことを言われたような気もする。読書が好きになった具体的なきっかけの一つはこの兄の本棚であることは間違いない。
 そして私がさらに本好きになったのは本が好きなガールフレンドとの出会いだ。彼女が貸してくれた本や紹介してくれた作家の本を読み、自分も彼女にいい本を紹介したいためにまた本を読んだ。
 今の私の読書はジャンルや作家の国内外を問わず、何でも読みたい本を手当たり次第読んでいるが、高校生からかなりの期間は、日本の作家の純文学の作品に限られていた。純文学でも明治の文豪から三島幸夫や川端康成までのすでに名作と呼ばれる作品が多かった。とにかく「日本人の大人としてこれは読んでおかねば」いう作品を次々に読んだ。楽しくもあったが、勉強、人間形成という思いが強かった。一番読書量が多かったのは、20歳前後で、純文学の小説とエッセイと論文の3種類を常に平行して読んでいた。
 20歳の頃に数ヶ月間をかけてヨーロッパ各地をリュック背負って一人旅で回ったが、その時の経験で私の読書習慣に三つの変化があった。実際に自分で外国の地を歩き、現地の人に触れ、建物や風景を目にしたためか、外国の作品を読むようになったこと。もう一つは、旅先で出会った日本人と本を交換したりして今迄手にも取らなかった現代作家の小説なども貪るように読み、結果的に読書の幅が広がったこと。最後は、それまで読めなかった数冊に渡る長編小説を1ヶ月滞在した知人の家で読破したことで、難なく長編を読むことが出来る自信がついたことだ。ちなみに私にとっての初の長編小説はパリの知人の本棚にあった全6冊くらいだったか、司馬遼太郎の「坂の上の雲」だった。
 その後は司馬遼太郎の他の作品から時代小説へもジャンルが拡大し池波正太郎の数々のシリーズものにも手を出した。現代作家の新刊本も買って読むようになった。開高健、椎名誠のSF小説、今年もノーベル賞受賞を逃した村上春樹。最近女性作家の梨木果歩や小川糸、高田郁もお気に入りだ。ジャンル的にはファンタジーも大好きで、指輪物語やハリー・ポッターも読み返す程好きな世界だ。
 知識や人間形成という読書の目的はいつの間にか無くなり、楽しめたらそれでいいと思っている。もちろん本を読んで、これからの人生を行きて行く上での示唆や啓示を受けることも少なくない。
 しばらくは図書館にも通っていたが最近は行ってない。家人から「本を買うなら家がつぶれる前に不要な本を整理して」と言われているが、まだ買った本に未練があって持っている本の処分が1冊も出来ない。またノーベル賞作家の大江健三郎の母親の言葉を継いで家人から「あなたは忘れるために本を読んでるの?」と言われる。一度読んだ本を買ってきたことが数度あり本棚にはこっそりと同じ本が並んでいるので反論ができない。
 さすがに読み始めたら気がつきます。
(2014.10.24)
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ピンクのクラウン、白いクラウン

2014年10月14日 | エッセイ

 ピンクのクラウンと白いクラウン


 通勤途中の国道57号線で、あの車を4回目撃した。
 私は自宅のある熊本市内から車で1時間20分ほどかかる上天草にある実家の事業所まで国道57号線を通勤している。と言っても毎日往復する通勤ではなく、週末と週の半ばに自宅に帰る半分単身赴任生活を続けている。家人は私と別の車を持っていて、熊本市内を毎日走っているが、まだ一度も出会ったことが無いというあの車。2年程前にテレビコマーシャルに登場し話題となって、要望に応えてとうとう限定発売されたピンクのトヨタ・クラウンだ。
 おそらくは、県内に数台いるという内の1台を天草諸島のいずれかに住むオーナーが所有しているのだろう。
 あきらかに目立つ。我が家では絶対にあり得ない選択だが、世の中の一人ひとりの趣味趣向は理解できない。もしかしたら黒や紺のスーツをたくさん持っている人が遊びでピンクの高級スーツを誂えるように、自家用車を数台所有していて黒塗りのセダンもあった上で、「ちょっと面白いから乗ってみようかな」とウン百万円の車を購入されたのかもしれない。
 昭和30年生まれの私が10歳の前後から日本は高度成長期を迎え世の中のことが大きく変わり出したとは言え、自動車と言えばトラックかバスかオート三輪車(わかりますか?)が多く、乗用車の多くは社用車か公用車そしてタクシーであって、自家用車はまだまだ手の届かない存在だった。また乗用車の多くが社用車や公用車として使われる黒塗りの車だった。
 やがてスバルやキャロルという軽自動車が発売されて、マイカーという言葉が生まれようとしていた。さらに景気が良くなり、ブルーバードとコロナ、サニーとカローラという日産とトヨタの熱いシェア争いが始まると、黒一色だった乗用車は様々な色のバリエーションを持ち始める
 乗り物全般が好きだった幼い日の私は、中でも鉄道と乗用車に強く興味を持っていた。日本車の車種も少なく、幼い私でも走っている車の車種と年式を言い当てることができた。一つのメーカーが発売する車の種類も少なかったし、一つの車種もスタンダーとデラックスか、せいぜいカスタムとつけられた最上級車ぐらいしかランクが無かったからだ。
 私の車への興味は、小型車に特化していた。なぜなら大型のクラウンやセドリック、グロリアなどは依然として社用車や公用車やタクシーが中心で、私にとってはトラックなどと同じように興味の対象外だった。
 ところが私の高校時代の1972年(昭和47年だとネットで調べた)に真っ白のクラウンが登場した。緑の草原を駆け抜ける「白いクラウン」。そんなテレビコマーシャルだったような記憶があるが確かではない。しかもツードアのハードトップだった。私のクラウン=黒塗り=社用車・公用車・タクシーのイメージは、みごとに吹き飛び、クラウンは私の乗用車の興味の対象に加わり、一躍あこがれの車の一つになった。
 この「白いクラウン」の衝撃は、ピンクのクラウン以上で、当時の車好きの多くの日本人が体感したのではないだろうか。白いクラウンの販売計略と広報は、単に日本車の歴史だけではなく、日本のあらゆる販売計略と広報の上でも有名な出来事らしい。私もまんまとトヨタの計略に乗せられた一人だったのだ。最近みずいろのクラウンを宣伝してますが、あれもなかなか素敵ですね。
 私の家の自家用車の色の遍歴は、薄いグレーのマツダ・クーペに始まり、クリームと薄い黄緑のツートーンカラー(今また流行っている)、ブルーグレーのメタル、臙脂色のメタル、アースカラーのメタルなど、淡いモノトーンの車が多く、白は一度も買ったことがなかった。私自身が買った車も、ダークグレーやシルバーグレー。服の色と同様、グレー系やアースカラーが好きだ。ところが一昨年に買い替えた車は真っ赤。来年にひかえた自身の還暦も意識したが、若い頃に「歳取ったら真っ赤な外国車に乗ったりしたらカッコいいなあ」と私がつぶやいたのを家人が覚えていて、それがひょんなことから実現してしまった。
 ピンクのクラウンには負けますが、やはり派手です。
(2014.10.14)
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だんだん捜し物が大きくなる

2014年10月07日 | エッセイ
 だんだん捜し物が大きくなる


 私の父は生前、よく捜し物をしていた。
 よくというより毎日のように何かをゴソゴソと捜していた。
 父はまたバッグというものを大きなものから小さなものまで数多く持っていて、自分なりにそれぞれのバッグの用途を決めていたらしい。
 銀行の通帳やクレジットカードなどを入れるセカンドバッグ。
 健康保険証や老人手帳、診察券などを入れるセカンドバッグ。
 火災保険や生命保険の保険証券などの入った薄いバッグ。
 多くはなかったが株関係の株券や書類の入ったバッグ。
 そしてそれらをひとまとめに入れた大きめのショルダーバッグを何処に行くにも持ち歩いていた。結構な重さがあったように記憶している。大事なものだから持ち歩いていたかもしれないが、晩年はその大事なバッグを何処かに忘れたりした。幸い大事には至らなかったが回りはけっこうハラハラしていた。
 そして何処に行っても、そのバッグの中を開けたり閉めたりと、ゴソゴソしている姿をよく見かけた。何しろ大きなバッグの中にはセカンドバッグが数個、そしてそのセカンドバッグの中にも札入れのようなものやガマ口のような小さな入れ物が入っていた。
 どのバックに何が入っているのかは、父が把握しているのだろうが、案の定、入っているはずのものが本来の入れ物に入っておらず、「おかしいなあ」と首を傾げながらゴソゴソと捜し続けているのだ。
 この頃、その父のくせを受け継いだのか歳のせいなのか、私もよく捜し物をするようになった。
 もともと後始末が出来ていない。例えば使った道具を元の場所に戻さないし、そもそもこれこれの道具はここに置くという整理整頓が小さい頃から苦手なのだ。結婚してからそのことを家人から注意され続けた。道具を使ったら元の位置に戻す。確かに少し面倒だが後片付けをしておけば、次の機会にその道具を捜す手間よりはるかに後片付けの手間の方が楽である。そのことだけは最近やっとできるようになったと本人は自らの成長を自負している。
 ある月曜日の朝、出勤しようとしたら、免許証やクレジットカードの入った財布がどんなに捜しても見つからない。最後にその財布を使った記憶があるのは、前日の日曜日に立ち寄ったコンビニだ。そこで落としたに違いないと住所とコンビニ名で電話番号を調べ連絡してみたが財布の落とし物はないとのこと。とうとうあきらめて近くの交番に行き、落とし物の届けを出した。それからクレジットカードの会社に使用停止の連絡をし、免許センターに出かけて自動車免許証の再交付をしてもらった。自分の不注意で全くの時間とお金の無駄遣いになってしまった。それからは、家を出る時と勤務先を出る時、どこかへ移動する時は財布を必ず確認するようになった。
 そのクセがついたことは良かったのだが、後日、タンスの裏の隙間から落としたと思った財布が出てきた。そしてまた物を捜す時の捜し方が悪いと散々家人の非難を受けたのであった。確かに私の欠点のひとつに、「捜し物が下手」ということがある。「あなたは物をどかさずさっと見るだけで捜していない」と指摘される。全く事実その通りだから反論できない。
 以前は車のカギを捜していた。が、それは家人の教えに従い、カギの置き場所を決めてからはほとんど無くなった。それでも先日は一人で使っている実家の玄関のカギが見つからなくなった。翌日になって玄関のカギ穴に差し込まれたままだったのには自分でも驚いた。
 さらに先日は、台所の流しの生ゴミを入れる三角コーナーが無くなってしまった。コーナーに被せて使っていた袋といっしょにゴミ出しの時にくっついてゴミ出ししたに違いない。
 「だんだん捜し物が大きくなっているね」と笑って家人に話したら、「注意しないと気がついたら私も無くなっているかもよ」と言われた。(2014.10.7)
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タッチ操作・マニュアル操作

2014年10月03日 | エッセイ

 タッチ操作 マニュアル操作


 私の勤務先の駐車場は細長く、出入りが難しいので来場した運転の苦手な女性に代わっていろんな車種の車を運転する機会がある。私自身はもう30年以上オートマチック車を運転しているので、ときどき遭遇するマニュアル車を動かす際は、クラッチを踏むのを忘れて、たいてい2回はエンストしてしまう。勤務先の駐車場は狭い上に傾斜があってシフトチェンジだけでも難儀しているのに、いきなりの坂道発進はハードルが高過ぎるのだ。
 しかしそれは運転技術の慣れ不慣れだけの問題である。
 かつては他人の車でもカギを預かれば、しかるべき場所にカギ穴があり、カギを回せばエンジンがかかる。サイドブレーキもペダル操作か手でレバーを戻すかの方法をとれば解除できる。
 ところが最近の車は、まずドアキーの解錠からして、いろんな方式がある。まあ、それはカギに(だいだいキーと言いながら所謂カギの形状をした金属が全くないものさえある)錠前が閉まった状態の図と空いた状態の図がついたボタンがそれぞれあるので、多少時間はかかるが一人でも理解できる。
 次に運転席に乗り込み、エンジンをかけようとするのだが、その段階でおじさんは再び戸惑ってしまう。カギ穴がハンドルの右側根元の本来の位置にない。いやカギ穴そのものが無い場合もある。カギが近くに置いて、所定のスイッチを押すとエンジンがかかる仕組みとなっている。
 サイドブレーキも、馴染みの形状は見当たらず、探しまわってやっと中程のボタンスイッチが並んだ中に埋もれているのを発見したりする。だから最近は他人の車を動かす際は、実際に動き出す迄に時間がかかってしまうことが多い。
 私が普段乗っている車は、カギを回してドアを開け、ハンドルの右側根元のカギ穴に金属のキーを差し込み、回せばエンジンがかかり、サイドブレーキはレバーをがっくんと戻す、昔ながらの操作をすればよい。サイドブレーキが効いているか、解除されているかはレバーを見るか触れば一目瞭然だし、「ブレーキを確かに引きました」という手応えがあるのが安心だ。
 実は私はもう一台車を所有していて、こちらは専ら家人が乗っているのだが、これがまたいろいろハイテクのついた最近の車で私は月に1、2回しか運転しないので、エンジンをかけるだけでも毎回もたついてしまう情けない有様だ。まだ夜間や雨の日に一人で運転するのは不安だし、テレビはもちろん、オーディオを操作して運転中にBGMを聞いたことさえもない。
 そしてカーエアコン。気の短い私は、風力の段階を最強にし、冷房なら温度のレバーを最低温度に設定し、スイッチを入れた途端に「ガーッ」と音がするマニュアル操作のエアコンでないとイライラしてしまう。オートのエアコンだとスイッチを入れてもしばらくは室温を計測したりされているのかは知らないが、あの時間差が待てないのだ。だから以前乗っていたカローラフィルダーでは、標準装備のオートエアコンをマニュアル仕様に変更してもらった位だ。
 暑くなったら温度設定のレバーをより低温を示す濃い青い表示の方に下げ、寒い時は逆に、風力も4段階のツマミ式のスイッチを急ぐ時は、最強力に、落ち着いたら最低レベルに回せばよい。運転席の肌感覚ですばやく調整できるのでエアコンの動作にストレスを感じることはない。
 車と同様、音楽を聴くオーディオ関係もおじさんに理解できるのはCDやMDまで。その後に普及した様々な記憶媒体を使ったオーディオ機器には理解が及ばないし手が出ない。だいたいあんな小さなチップにどうやって膨大な量の楽曲を記憶できているのだろう。その点、LPレコードやテープは、曲の進み具合などもだいたいは目視出来る。特にカセットレコーダーで大切な録音するときはテープが回る様子が目視出来て安心できた。
 先日、情報番組で私の理解の及ばない最近の録音機で、わざわざテープが回っている様子を液晶画面で表示する商品が発売されたと知った。それを知って「やっぱりね」と私はほくそ笑んだのだった。
(2014.10.3)

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