雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

卒業式と校歌

2012年02月28日 | ポエム


 卒業式と校歌と

 7、8年前まで、自分自身の高校の卒業式の夢をたびたび見ていた。
 実は、私は地元を離れて受験した当時国立1期校と呼ばれていた大学の入試の日程のせいで、卒業式に出席できなかった。そして、7年前に私の長女が、私と同じ高校で3年間学び、その卒業式に家人と二人で出席した。娘の卒業式であり、同時に30数年経ってやっと参加できた自分の卒業式でもあった。それ以来不思議なことで、たびたび見ていた自分の卒業式の夢を見なくなってしまった。
 私は、母校の校歌が好きだ。校歌を声を出して唱うことも好きだ。唱っていると、心の中に熱いものが高まり、元気が出てくる。通勤で利用する車の中で、一人声を出して唱うことも多い。当然、1番から4番まで。
 ちなみに私の母校では、校歌は黌歌と表記する。北校舎も北黌舎。校門は黌門。校長は黌長。歴史に出てくる「昌平黌」と同じ文字で、学校という意味らしい。母黌関係の「校」の文字は、まずこだわって「黌」の文字を当てる。創立のきっかけが、明治10年に起きた西南戦争にあると言われ、今年で創立130周年を迎えた。卒業生は、皆愛黌心に厚い。
 一昨年、母黌の本黌舎が完成した際の記念式典に参加させてもらったが、その際の記念行事に出席されていた高校教育に携わる外部のある組織の方が、黌歌斉唱を聞いて驚いたという感想を述べられた。それは、全国のいろんな高校に行ったけど、生徒全員が校歌を大きな声を出して唱う学校は今時めずらしという話であった。実は生徒ばかりでなく、私も私の周りの年老いた卒業生もその時、皆声を高らかに唱っていたのだ。
 青空と雲が大好きな私としては当然、黌歌の冒頭の「碧落仰げば偉なる哉(へきらく あおげば いなるかな)」という一句も好きだが、私が一番好きなのは、4番最後のフレーズの「天地万象皆わが師」という部分だ。「天地の全てのものを我が師として学んでいこう」とする歌われた姿勢が自分の理想とあっているように思うからだ。だから黌歌を唱うなら4番まで唱わないと心残りだ。
 普通の人は、卒業した後は、そう校歌を唱う機会はないのかもしれない。私も定期では年に一度の同窓会くらいしか無い。だからという訳ではないが、高校野球の母黌の出場試合を応援に行く。夏の甲子園の県予選となると、現役高校生はもちろん、たくさんのOBが駆けつける。いつも車の中で一人口ずさむのと違い、その日は応援団の号令のもと、ブラスバンドの演奏に合わせて、黌歌が唱える。試合が始まってすぐに1回。終盤7回には相手高校とのエールの交換でまた黌歌。勝っても負けても、試合後にエールの交換をして黌歌を唱う。1回目と2回目は、せいぜい1、2番のみだが、試合後は「黌歌、1番、2番、3番、4番」のかけ声に従い、最後の4番まで大声を出して唱う。堂々と3回も人前で唱えるのだ。母黌の野球部も大好きだが、実は野球の応援には勝っても負けても黌歌が唱えるという密かな楽しみがあるのだ。
 今日は3月1日。娘の卒業式も、私が出席できなかった私自身の卒業式も3月1日。そして今日も雨の中、熊本県下のほとんどの公立高校で卒業式が行われたはずである。昨夜は、翌日の卒業式に来賓として出席する全国の同窓会から集まった地区同窓会の懇親会があった。私も地区を代表して参加し、最後は出席した大先輩から若い女子の後輩まで、40数名が輪になり、肩を組み、黌歌を唱って閉会した。もちろん、1番から4番まで。
(2012.3.1)
 
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そりゃあないヨ

2012年02月24日 | ポエム


 そりゃあないヨ

 僕は間違いなく胃だか腸だかが弱くて、小さい頃からよく下痢をした。
 だから小学生の頃、学校で便意をもよおし、ずいぶんつらい思いをした。
 今はどうだか知らないけど、僕が小学生だった昭和30年代後半から40年代にかけて、男子が学校の便所で大の方の用をたすことは、かなりの勇気と覚悟が必要だった。じっと席で脂汗をかきながらも我慢することが多かった。
 今でも時間に関係なく、突然お腹が痛くなり、トイレに駆け込むことがある。
 最近は、ありがたいことに、道の駅や公園が整備され、数キロ毎にトイレが設置されていたり、コンビニエンス・ストアのトイレが利用できたりするので、いざという時には大変心強い。
 昨年の師走に、出張先でホテルに1泊し、薄暗い早朝、前夜に車を停めた駐車場まで歩いているときに、軽い便意を感じた。
 そのまま車に乗り、公衆トイレを見つけて寄っても良かったのだが、どうも最近は、便意を感じて我慢の限界に至るまでの時間が短くなって来ているようで、念のために早めに用をたした方がよいと判断した。
 幸い、歩いているすぐ横が野球のグランドで、バックネット裏の木々の下に隠れる様にトイレがあり、電気がついているのが見えていた。
 トイレの建物は古く、昔ながらの作りで、蛍光灯の明かりのもとに、木の個室が並んでいた。これは和式の古い便所に違いない。そこで僕は少し躊躇したが、ここまで来たのだから、もう和式のつらさや汚さは我慢しようと覚悟を決めて、扉をあけた。
 ところが、個室の中は、すっかり改装されていて、洋式のしかも暖房便座におしり洗浄装置までついている真新しい最新式の便器だった。
 「おみそれしました」と古い便所にあやまり、同時に日本の公衆トイレのスゴさに感心しながら、心置きなく用をたすことができた。
 もう十数年も前の話だが、両親が元気で週末は一緒に車で出かけたりしていた。
 そのときも、土曜日曜と僕の自宅に両親が泊まることになっていて、実家から僕の家に行く前に、行きつけの旅行会社に用があるという父を連れて、バスターミナルとデパートとショッピング街がいっしょになった施設の駐車場に車を停めた。
 実は、そのとき僕は、ちょっと前からお腹の不調を感じていた。やがてそれは、はっきりとした便意へと変わり、かなり余裕の無い段階が近づいていることを密かに感じていた。
 敷地の端にある駐車場についたときに、駐車場にも探せばトイレがあるはずと迷った。でも駐車場から5分もしない場所に、何度か利用したことのあるバスターミナルの大きなトイレがあり、そこを目標に定めた。
 そしてどうにか、そのトイレの入り口まで来て、僕が父に「トイレに行きたいから、先に旅行会社に行ってて」と言うと、
 父が、旅行会社の横にきれいな洋式トイレがある、と言うのである。
 僕は再び迷いながらも、きれいな洋式トイレがいいと思い、父の勧めに従うことにした。
 さらに歩くこと5分。やっとのことで、旅行会社の前まで来て、その先にトイレの表示があることを確認し、安心した。
 気を緩めたせいか、便意がすばやく限界体制へと坂道を転げ出した。
 すると、父はわざわざ僕を先導するように、トイレの中に入っていった。
 親切に最後まで案内してくれるのか、小用をたしたくなったのかと思いながら、父の後を追う様にトイレに駆け込むと、一つしか無い男子トイレの個室の扉が、ガタンと閉まったところだった。
 父も大の用事があったのだ。
 父が先に入ったトイレの扉の前に立ち、
「そ、そりゃあないよ」と、僕は心の中で、子どものように泣きながら地団駄を踏んだ。
(2012.2.28)

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時の流れる速さ

2012年02月15日 | ポエム



 時の流れる速さ

 3月20日の天気の良い午後に、仕事場でもある実家の竹やら雑木が茂った裏山の方から、ウグイスらしき声が聞こえ、耳を澄ませた。
 「ホーホケキョ」の「ホー」がほとんど聞き取れなかったが、「ケキョ」が繰り返し聞こえてきて、やはりウグイスの声だった。
 それにしてもずいぶんとヘタクソな初鳴きだ。
 ここ近年は、季節の流れ方が例年と違うような話や、例年という言い方自体が当てにならなくなってきている感想を、何度か書いたような気がする。今年の梅の開花が約一月程遅れたと同様、裏山のウグイスの初鳴きも遅かったような気がしたが、昨年の手帳を見ると、2月22日にウグイス初鳴きの記載がある。さらに3年前の手帳を開いてみたら、2月17日。その前年が2月19日とある。実は、ほとんど数日の違いしかない。ウグイスは「エラい」と思わず、声を出すと同時に、人間の、というか己の記憶や感覚のいい加減さを確認してしまった。と、書いているとき、コジュケイの初鳴きが聞こえた。コジュケイはたいていウグイスより10日ばかり前に初鳴きの記録があるから、いつもより遅いのか、今年は鳴いているのに、私が気がつかなかったのだろう。
 歳とともに、時間の経つ早さが変わって来た。
 1年が恐ろしく速い。近所のお年寄りにそのことを話すと、70歳、80歳とますます時の流れは速くなるばかりらしい。
 最近では、風呂に入ったり、ヒゲを剃ったり、部分入歯を洗浄したりという、日常の行為に対して、同じことをつい5分位前に行ったばかりのような感覚に陥ることがある。まだ50代ではあるが、70歳80歳の時の流れる速さを少しずつ体感してきているのかもしれない。
 これに対して、小さい頃の5分の長かったこと。バス停でバスを待つ数分間や、単線の路線で上りと下りの列車が交換するために行う信号停車の時間は、退屈で苦痛な時間だった。今でも、退屈な時間のことを考えると、最寄りのバス停の風景やよく乗った国鉄三角線の交換駅の列車の窓から見た風景が頭に浮かんで来る。
 小さな子どもを連れた親子連れが、その場で何かをじっと待っている場面で、子どもが母親に「お母さん、まだあ」とおよそ30秒もたたぬうちに同じ問いをしつこく繰り返すことに出くわすが、その30秒、1分を長く感じる幼児の気持ちがよく分かる。
 時間の流れる感覚は、年齢に比例して速くなるばかりなのだろう。
 ところが、感覚的な時間の流れる速さは、そう単純ではないようにも思う。
 大好きなサッカーの終了間際の5分。
 贔屓チームが勝っているときは、その5分が恐ろしく長く感じる。審判の時計を疑いたくなる程に、1分1秒の進み具合を遅く感じてしまう。逆に1点差で負けているときや同点の場合は、あっという間に過ぎてしまう。
 若い頃のガールフレンドとのデートの時の、帰らなければならないのタイムリミットの最後の1、2時間の早いこと。さっき時計を見たときは、まだ9時を過ぎたばかりで安心し、1時間位経ったかと、次に時計を見るとすでに11時に近くなっていたりする。同じ5分、同じ1時間とはどう考えても思えない。
 だから時間の流れる感覚は、単純に年齢に比例して早くなるとは言えないようだ。
 そこで、空っぽな頭で考えるに、小さい頃は、思い悩むことも無く、憂いも無く、人生の長年の課題も無く、いろんなしがらみも無く、明日の宿題や今夜の食事の献立などを考える必要も無く、頭の中が単純で良かった。いったん、旅行に出ると、バスや列車から移り変わる車窓の景色にのみ興味が募る。それが、子どもなのだ。その流れる景色を見るという目下唯一の楽しい時間が、列車交換で長い時間止まってしまうことに絶えられないのではないか。だから30秒、1分が長く感じる。
 長く続いてほしい時間は、短く感じ、早く過ぎ去ってほしい時間は長く感じてしまうのだろう。
 私を含めて、歳をとって時の流れを速く感じるのは、今が長く続いてほしいというこの世に対する未練の現れと言えるかもしれない。
 また1年の時が流れて、私のブログも今日で開設364日らしい。まずは毎回見て下さる方がいることに感謝しています。
(2012.2.24)
 

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耳毛が伸びること

2012年02月13日 | ポエム


 耳毛が伸びること

 歳を重ねて来て現れる様々な老化現象のうち、顔に関わる変化は、他人が一見してすぐに分かる。
 頭髪に現れている明らかな変化を見て「ああ、この人も老けてきたなあ」と思うことがよくある。
 そして自ら変化に気がつくのが、鼻毛、眉毛、耳毛だ。
 まず頭髪に関しては、何回か触れたように、このところ前部中心の薄毛化が激しい。頭髪の老化現象として白髪化があるが、私の場合、白髪はモミアゲ部分に顕著に見られる他は、全体的に言えば、苦労が足りないせいか年齢の割には少ない。男性ホルモンと毛髪の関係をうろ覚えで聞いているが、若くて現れるのは、若ハゲか、若白髪で、若ハゲで若白髪の人はあまり知らない。小学生の頃、私は床屋のおじさんから禿げると太鼓判を押された。父が若ハゲだったから、遺伝プラス髪の毛の専門家による太鼓判で、小学生の頃から将来禿げる覚悟は出来ていた。「結婚した時は禿げていた」と母が証言する父を身近に見て来たせいか、私の場合、父のように若くして一見してのハゲとまでは進まず、数年前までは薄毛程度の進行だったので、よくぞ今まで保ててくれたと感謝している。
 次に鼻毛は、処理しても処理しても伸び方が早くなっている。さらに黒くたくましい鼻毛も増えてきているような気がする。鼻毛には肺などの呼吸器を守るフィルターの役割があるという説がある。でも伸び方が早まることと鼻毛の太さや黒さが変わって来たことは、空気の環境悪化よりむしろ年齢的な要因が大きいような気がする。何より私はつい5、6年前まではチェーンスモーカーだったのだ。私自身を取り巻く空気の環境は、はるかによくなっているはずである。空気の環境と鼻毛の数や長さに関する因果関係の医学的な証明も無いそうだ。
 それから眉毛には、顔の表情を作ったり、汗が目に垂れることを防ぐ目的があると思われるが、ここ数年、眉毛の中の数本が突如として成長をし、長く伸びてしまう傾向がある。これはあきらかに老人に見られる現象だそうである。長ーい眉毛の代表は、かの村山富市元首相である。それなりに歳をとってしまえば、好々爺の印象を持たれていいかもしれないが、まだ少しでも若く見られたい私奴には大敵なのだ。散髪のときに女性の美容師さんが気にして、サービスで長く伸びた眉毛をハサミで整えてくれる。
 耳毛にいたっては、その存在意味がよく分からない。身体の奥に向かう穴から、何物かの侵入を防いでいるのだろうか。それにしても、耳の穴の中というより、耳たぶに近い位置からひょろひょろと黒い毛が生えてくるのは何なのだろう。これらの耳毛は、他の毛に較べて、自ら鏡を見ながらハサミで処理することが難しい。私の場合、鼻毛や眉毛より最も早く変化が現れたのが耳毛だった。我が家の長男が私の耳毛に関しては、何が面白いのか使命感を持ってハサミで処理をしてくれる。たまにカミさんに処理を頼むと、ハサミで切るのではなく、ニンマリ笑って毛抜きで抜いてしまおうとするので、なるべく長男に依頼している。
 私は私の全身の毛、特に鼻毛眉毛耳毛に言いたい。無駄に生えたり伸びたり太くなったり黒くなったりしないで、そのエネルギーをすべて私の頭髪中心部に集中しなさい、と。眉唾の説だが、歳をとると性的なエネルギーをあまり使わなくなるので、余った男性ホルモンが鼻毛や眉毛や耳毛となっているそうである。そのエネルギーもあげちゃっていいから頭髪中心部にすべて注ぎなさい。
 実は、ここでもう一つ、耳毛に関する自説を発表したい。
 鼻毛が汚れた空気を濾過しているように、耳毛は、耳の穴を通ってその奥にある鼓膜を振動させる聞きたくない音を遮断しようとしているのではないか。私の耳毛の発毛、発育にはあきらかに左右差がある。右の耳の毛が多いのである。その自説を友人夫婦との食事の際に披露したら、ダンナの耳毛は、私と逆の左が著しく発毛発育するという。私は右、友人は左側に聞きたくない音が発生しているのかもしれない。我が家の食卓に座る家族の定位置からすると、私の右側には、長男とカミさんがいる。友人夫婦の場合は、ダンナの左が奥さんの定位置なのだ。
 これはやはり‥‥。
 ぜひ一度、検証してください。
(2012.2.14)
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旅の夢

2012年02月06日 | ポエム


 旅の夢
 夢をよく見る。今朝はドイツを旅行している夢を見た。
 夢の中で、古城を見下ろす美しい風景を写真に収めた。次の場面はケルンの駅前に立ち、ケルンの大聖堂を見上げていた。
 ここ数日はなぜか旅の夢が続いている。出張旅行で国内のいろんな都市を訪ねているらしい夢もよく見る。
 夢の世界は白黒だという話を聞いたことがあるが、私の場合は、夢の中で色を意識することがあり、天然色の夢を見ていることが多いようだ。今朝の夢の中でもドイツの古城の紅葉が美しいと思った。
 旅は大好きである。それが仕事がらみの出張旅行であっても、列車や航空機を使っての移動や、旅館やホテルの宿泊、そして知らない町を訪ね、歩くことも楽しみである。そしてもちろん、食いしん坊の私は、土地の名物を食べることも旅の大きな大きな楽しみである。
 しかし、残念ながら所帯を持って以来、そうそう行きたい所に行ける訳ではない。と、言うか出張旅行がほとんどで、私的な、それも自分自身のために旅行するということは、皆無である。特に海外へ行くことは、今のところ時間的にも金銭的にも考えられない。だから願望が強まり夢を見たのだろうか。
 旅は非日常であることが大きな魅力だ。だから旅を出来ない私は、日常の中で、非日常を作り出す。
 例えば、子ども達が小さい頃は、私が育った小部屋の多い家に住んでいた。一番広い6帖の座敷に押し入れから出した布団を並べて、家族4人並んで寝ていた。そしてときどき思いつきで、家の中で主のいない他のあちこちの小さな部屋に布団を敷いて寝ることがあった。同じ家の中でありながら、新鮮な非日常の気分を味わうことが出来た。さらに畳の上にテントを張り、キャンプ気分で寝たこともある。子ども達はそれだけで大興奮であった。
 休みの日には、家族そろって朝早く近所の公園に出かけ、池のほとりで朝食をとったこともある。普通の朝ご飯が、そして見慣れた近所の公園が、違ったものに感じられるから不思議だ。
 もう一つ、車で通う通勤路であるが、時間に余裕のある土曜日の帰りなどは、いつもと違う、通ったことの無い脇道にハンドルを切ることがある。初めて走る道は、ちょっとした旅気分を味わえる。
 子ども達が小さい頃は、毎週のように休日は熊本県内のあちらこちらをドライブした。中でも大好きな阿蘇の方には、本当によく出かけた。そして、よく使う国道などを通るのに飽きて、何となくのカンと興味で、「こっちに行ってみようか」と、脇道に入ってしまうことがあった。今も私の車には装備していないが、カーナビなど無い時代の話である。
 心配性の長女は、不安げに身を乗り出す様に、前方を注視する。
「お父さん、だいじょうぶ」
 長女は無事に我が家に帰り着くか心配している。確かに、ときどき思わぬ方向に道が走って、迷ってしまうことや、すっかり遠回りになることもある。だが私の頭の中には、地図があって、こっちの方向に、どれ位走ったら、あの知っている道のあの辺りに出るはずなどと考え乍ら運転していて、そのカンは、ほとんど当たっている。
「どうかなあ」と、私はわざと娘の不安を煽る。
「お父さん、だいじょうぶ」
 娘が何度か不安を口にすると、私は決まってこう答える。
「だいじょうぶ。海を渡らない限り、間違っても九州から出ないよ」と。
(2012.2.11)

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