卒業式と校歌と
7、8年前まで、自分自身の高校の卒業式の夢をたびたび見ていた。
実は、私は地元を離れて受験した当時国立1期校と呼ばれていた大学の入試の日程のせいで、卒業式に出席できなかった。そして、7年前に私の長女が、私と同じ高校で3年間学び、その卒業式に家人と二人で出席した。娘の卒業式であり、同時に30数年経ってやっと参加できた自分の卒業式でもあった。それ以来不思議なことで、たびたび見ていた自分の卒業式の夢を見なくなってしまった。
私は、母校の校歌が好きだ。校歌を声を出して唱うことも好きだ。唱っていると、心の中に熱いものが高まり、元気が出てくる。通勤で利用する車の中で、一人声を出して唱うことも多い。当然、1番から4番まで。
ちなみに私の母校では、校歌は黌歌と表記する。北校舎も北黌舎。校門は黌門。校長は黌長。歴史に出てくる「昌平黌」と同じ文字で、学校という意味らしい。母黌関係の「校」の文字は、まずこだわって「黌」の文字を当てる。創立のきっかけが、明治10年に起きた西南戦争にあると言われ、今年で創立130周年を迎えた。卒業生は、皆愛黌心に厚い。
一昨年、母黌の本黌舎が完成した際の記念式典に参加させてもらったが、その際の記念行事に出席されていた高校教育に携わる外部のある組織の方が、黌歌斉唱を聞いて驚いたという感想を述べられた。それは、全国のいろんな高校に行ったけど、生徒全員が校歌を大きな声を出して唱う学校は今時めずらしという話であった。実は生徒ばかりでなく、私も私の周りの年老いた卒業生もその時、皆声を高らかに唱っていたのだ。
青空と雲が大好きな私としては当然、黌歌の冒頭の「碧落仰げば偉なる哉(へきらく あおげば いなるかな)」という一句も好きだが、私が一番好きなのは、4番最後のフレーズの「天地万象皆わが師」という部分だ。「天地の全てのものを我が師として学んでいこう」とする歌われた姿勢が自分の理想とあっているように思うからだ。だから黌歌を唱うなら4番まで唱わないと心残りだ。
普通の人は、卒業した後は、そう校歌を唱う機会はないのかもしれない。私も定期では年に一度の同窓会くらいしか無い。だからという訳ではないが、高校野球の母黌の出場試合を応援に行く。夏の甲子園の県予選となると、現役高校生はもちろん、たくさんのOBが駆けつける。いつも車の中で一人口ずさむのと違い、その日は応援団の号令のもと、ブラスバンドの演奏に合わせて、黌歌が唱える。試合が始まってすぐに1回。終盤7回には相手高校とのエールの交換でまた黌歌。勝っても負けても、試合後にエールの交換をして黌歌を唱う。1回目と2回目は、せいぜい1、2番のみだが、試合後は「黌歌、1番、2番、3番、4番」のかけ声に従い、最後の4番まで大声を出して唱う。堂々と3回も人前で唱えるのだ。母黌の野球部も大好きだが、実は野球の応援には勝っても負けても黌歌が唱えるという密かな楽しみがあるのだ。
今日は3月1日。娘の卒業式も、私が出席できなかった私自身の卒業式も3月1日。そして今日も雨の中、熊本県下のほとんどの公立高校で卒業式が行われたはずである。昨夜は、翌日の卒業式に来賓として出席する全国の同窓会から集まった地区同窓会の懇親会があった。私も地区を代表して参加し、最後は出席した大先輩から若い女子の後輩まで、40数名が輪になり、肩を組み、黌歌を唱って閉会した。もちろん、1番から4番まで。
(2012.3.1)