雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

別離

2014年03月31日 | ポエム

 別離


おれは
故郷から遠く離れていながら
絶えず
故郷を追いかける

故郷は
空を飛んで
いつも
おれに追いついてくる

だから おれには
本当の詩がかけない
本当の絵が描けない

おれは
もっと遠くに旅立とう
本当の詩と絵を創るために
見知らぬ国に行こう

正直言って
おれは お前と別れること程
恐ろしいことなない
絶望するかもしれない
発狂したって不思議じゃない

故郷よ
おれのなかで
お前はそれ程 大きいのだ
逆に言えば
おれは
お前だけでいっぱいになる位
まだまだ小さいのだ

おれは大きくなるぞ
広い世界を歩いてくる
おれは お前を忘れることを努力する
お前もおれを忘れてくれ

おれの人生を歩くために


(1978.5.7~2014.3.28)


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パリの空襲警報

2014年03月28日 | エッセイ

 パリの空襲警報


 ソチオリンピックに続いたパラリンピックが閉幕した日。ウクライナ共和国のクリミア半島で住民投票が実施され、住民の意思が示されたとしてプーチンは、欧米など国際世論を無視して編入への道に踏み込もうとしている。
 開催前からテロの発生が警戒され、平和の祭典に不似合いの、軍と警察の力が見え隠れし、開会式や閉会式などの一連のセレモニーに何事も無いかのような笑顔を見せるプーチンに、計り知れない恐ろしさを感じていた。偏見かもしれないが、私も家人もプーチンの顔に好意を持つことが出来ない。開会式の演出のすばらしさにだまされるところだった。
 ロシアのウクライナへの軍事介入のニュースを見て、私が20代の頃に起こったソ連によるアフガン侵攻がすぐに頭に思い浮かんだ。
 当時私は、パリに住んでいてオペラ通りにあるラーメン屋さんで働いていた。お客さんは駐在の在留邦人や日本人観光客が中心だったけど、フランス人の常連も少なくなかった。どんなに説明しても「肉抜きのチャーシュー麺」を注文する新聞社のおじさん。ナイフとフォークとスプーンで優雅にラーメンを食べるチャーミングな女優のおばあさん、必ず折り畳んだ10フラン札の紙幣でチップをくれる貴族のおばあさん。なぜか私のことを気に入り、一緒に食事にいった初老の夫婦。犬を連れてカレーライスを食べに来ていたクリスチャン。アフガン侵攻のニュースに、ラーメンを食べに来たフランス人の多く皆一様に暗い顔をして「第3次世界大戦が始まる」と本気で憂いていた。日本とアフガニスタンは距離的に離れているし、そもそも日本は島国だけど、ヨーロッパの多くの国が陸の上に国境があり、アフガン侵攻は陸続きの同じ大陸で起きた出来事になるのだ。私も戦争の危機感を肌で感じた。
 当時はソ連を代表する東側とアメリカを代表する西側諸国が対立する東西冷戦の時代だった。ソ連を後ろ盾にしていたアフガニスタン政府は、国内での西側寄りの対向勢力の武装蜂起に対し、軍事介入をソビエトに要請したのだ。
 その結果、目前のモスクワオリンピックへの西側諸国のボイコットが起き、4年後のロスオリンピックでは報復として今度は東側諸国がボイコットをした。当のアフガニスタンは未だに不毛のまま彷徨っているし、アメリカが支援した対向勢力の一つタリバーンが911を起こし、核や原発と共にテロが地球と人類の未来に大きな不安の影を作っている。
 今回のウクライナへの軍事介入も、背景にEUとロシアの綱引きがあり、ロシア寄りの政権がEU寄りの対向勢力に追われてロシアへの介入を要請したのだ。前後にロシアでオリンピックが開催された点も共通する。
 日本も遠い大陸での出来事だと無関心では済まされない。この事態が長引いて経済への影響が拡大すれば株安円高になるのは必須で、4月の消費税増税のタイミングもからみアベノミクスに暗雲が立ち籠めている。
 そもそも安部総理自体、誕生当初から私はとても「キナ臭い」ものを感じている。年末のどさくさにまぎれるように靖国参拝をしたのには憤りを感じた。あれがなければ日韓首脳会談はとっくに実現していただろう。中国も韓国も日本に対して拳を振りあげなくてはならない国内の事情があるようだし、日本はもっと大人の対応は出来ないのだろうか。そんなことを言おうものなら、いろんなブーイングが聞こえてきそうだ。今は日本国に対して、マイナスになるような論評が言いにくい風潮はないだろうか。例えば中国や韓国寄りの意見や報道が、「非国民」扱いされるようなことはないだろうか。そういう言いたいことが言えなくなることで戦争が始まるように思う。
 現代史を学ぶ機会がなく、戦争を知らない人がほとんどである私を含めた今の日本人に、次の戦争を止める力があるのか。私が40年程前にいたパリでは、毎月第3水曜日の正午に空襲警報が鳴っていた。第2次大戦を忘れないために、テストを兼ねて警報を鳴らしていると聞いた。平和も努力しないと得られないことは歴史が語っている。
(2014.3.28)
 
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2014年03月24日 | ポエム

 嘘


嘘はむしろ
本当のことより楽だ
そして自由だ

遊びたいだけ遊び
やりたいことだけやって
その刹那刹那は
本当のことより楽しいに違いない

( 自分自身に嘘をつかない限り )

自分に嘘をつきはじめると
嘘は 後悔させる
自由は 束縛をはじめる

だからいつも
自分は自分でつかんでいろ
自由に束縛されないように
自分で自分を閉じ込めろ
そして時々は
ぽいと自分を突き放してやれ

僕にとって
嘘の人生は 楽だ
そして親孝行だ
でも それは
やっぱり嘘の人生だろう

僕の人生は 僕自身のものだ

(1978.3.1~2014.3.24)


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二十歳

2014年03月20日 | ポエム

 二十歳 (はたち)

僕の天使よ
僕も二十歳になってしまいます
まだ自分というものがわからないのに
自分の歩く道もはっきり見えないのに

僕の天使よ
僕も二十歳になってしまします
時ばかり過ぎていくのが
何だかとても怖いのです

( 僕は少々あせってしまいました
 すべてに‥‥ )

また自分を見失いそうです
もう一度お前のような羽根をつけて
空から自分を見つめてみましょうか
(1975~2014.3.20)
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アレルゲン

2014年03月17日 | エッセイ

 アレルゲン


 今年のピークは過ぎたという話しだが、目が痒い。鼻もむずむずする。どうも花粉が原因らしい。私の場合、症状の出現は年によって違い、ほとんど症状無しでシーズンを終えてしまうことも多い。
 そのたまに出現する症状も花粉症でお悩みの方に比べたら可愛らしいということになるだろう。鼻水が意思と関係なく出続けて鼻の穴が赤くなってしまうのは、年に1日か2日。むず痒くて涙が出る程度の目のかゆみは数週間に渡って続くものの、可能なら目玉をいったん取り出して水でジャージャー洗ってしまいたい日は数日で済んでいる。予防薬もあるのだが、たまらなくて目薬を処方してもらったことがある以外は、何の治療も対策もしたことがない。
 小さい頃は今で言うアトピー性皮膚炎だったらしい。頭皮がカサカサで瘡蓋ができていたと、叔母から言われたことがある。私の家系にはアレルギーの体質が遺伝的にもあるのかもしれない。私の子どもには症状は出なかったが、甥や姪にはアトピーや喘息で苦しんだ者も多い。亡くなった父の手は、やはりアレルギーでカサカサにささくれだち、毎日絆創膏(ちなみに熊本ではリバテープと言います)を指に巻いていた。医師であった父は日光皮膚炎と言っていた
 高校生の頃だったか、親戚の法事か何かの集まりがあり、実家の近くの料理店の広い座敷で宴会があったが、そのときに年増の仲居さんが父にお酒の酌をしながら「センセイのこのカサカサの手が良かとよねえ」と言い出し、父が慌てて発言を止めていたのを思い出す。聞こえなかったふりをした息子は、大人のジョークに「にやり」とした。
 数年前から冬場になると、私の手の指の数本がカサカサになり、節がぱっくり裂けた状態になる。恐らく食器を洗う際に、お湯を使い、ただでさえ油気が少なくなっている皮脂が欠落してしまうのだろう。今年も一時アカギレ状態まで進行したが、保湿剤のクリームを処方してもらい、手を洗う度に手の水気を拭き取った後に、保湿剤を塗っていたらみるみる良くなってしまった。アカギレの際は避けた部位がヒリヒリと痛く見てくれも悪いので、父がしていたように絆創膏を1日何回も取り替えて使った。確かに絆創膏をすると空気に触れないせいか痛みが幾分治まり、たぶん父も同じ理由で絆創膏をしていたのだろうなと思った。
先日久しぶりに会った友人夫婦のTさんの奥さんは、旦那さんの身体を爪で「カキカキ」していた。掻いてくれと言われた訳ではなく、本を読んでいたり居眠りをしている旦那に横からちょっかいを出すのだ。掻かれた旦那は、「ここ痒いでしょう」と奥さんの爪でかかれた周辺が本当に痒くなってしまうらしいから、まったく迷惑なおせっかいだった。
 私の家人も金属アレルギーや日光皮膚炎がある。背中が痒いと言ってよく自分でボリボリ掻いている。今年の誕生日には「孫の手」を買ってあげようかと思っている。一緒にテレビを見ているときに「痒い」「痒い」というので、可哀想になって手の届かぬところを掻いてあげたりする。それなのに家人が先日「考えたらあなたが家にいるときに限って痒くなるわ」と憎まれ口をたたきだした。
 そうか。私は自らもアレルゲンでもあったのか‥‥。
(2014.3.14)
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