雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

青くなった後に、笑ってしまった事件

2013年09月30日 | エッセイ


 青くなった後に、笑ってしまった事件

 私の運転する車は、小学校の2年生の長男と1年生の長女と妻の母と妻を載せ合計5人で、待ち合わせ場所の熊本空港の駐車場に入った。義母の里である福岡の本家の当主で、義母の甥であり、妻の従兄と、そのお嫁さんと幼い二人の子ども達の一家4人が車で熊本に遊びに来て、空港で待ち合わせたのだった。空港の駐車場で無事に出会うと、車2台で久木野の私の山小屋に行く事になっていた。空港を出発するときに、私の車には、私と妻と義母の3人になっていた。人なつこい長女が、従兄の車に乗り移ったのは、はっきり私も見ていた。出発のときに車内に長男の姿もないので「あらっ、○○は?」と、確認すると、義母がすかさず、「○○は向こうの車に乗っとうよ」と言った。携帯電話が普及する以前の20数年前のお話です。
 そして2台は、空港の駐車場を出て、俵山峠を越えて30分程かかる我が山小屋へと向かった。出発した後、初めての道で私の後ろからついて来ている従兄の車をバッグミラーで見る。娘のシルエットは見えるが、息子の方は、何度見ても見えない。おかしい。15分ほど走って、道が少し広くなったところで、義母の手前、「眺めがいいからちょっと降りてみましょう」ということにして、後ろの車を確認に行った。すると、心配した通り、従兄の車に長男は乗っていなかった。と、いうことは、小学校2年生の子どもを熊本空港の広い駐車場に一人置き去りにしてしまったということだ。
 義母や従兄夫婦は事態を知り、青くなった。でも私や妻には余裕がある。なぜなら、私の家族では、似た様な状況で故意に長男を置き去りにしたことが、何度もあるからだ。と、言うのは、例えば我が家の4人でドライブ中に、コンビニに寄る。心配性の娘は親にぴったりついてくるが、我が道を行く息子は、店に入るや否や自らの興味のままに、皆と別行動をとり、雑誌コーナーでマンガ本を立ち読みしたりしている。レジでの支払いを終えた3人は、マンガ本に集中する長男を見ると、こっそりコンビニを出て、車に戻る。しばらく待っても長男が気づかない場合は、コンビニの駐車場を出発して、100メートルほど走って笑いを堪えながら様子をみる。しばらく待つと、店内に家族がいないことに気がついた長男があわてて車に向かって走ってくる。
 そんなことを数度は経験している長男は、置き去りにされても我々が戻ってくると分かっていて、駐車場でじっと待っているに違いない。今回の場合は、確認を怠った親の方にも責任がある。さすがの長男も少しは不安に思っているかもしれない。空港で待つ長男の心細いであろう心情を思いながら、それでも笑いを堪えて空港に引き返した。
 ある友人が、幼い子どもが団地の自宅のベランダの柵を乗り越えて、転落死をしたという痛ましい事故のニュースを見た後に帰宅した。その友人も団地住まいだった。着替えを済ませて、カーテンを開けると、5,60メートル離れて同じ団地の5階建ての別棟が建っていて、同じ企画のベランダが並んで見えている。その5階の一つのベランダに赤いチョッキを着た2,3歳の小さな子どもの姿が目に入った。次の瞬間、友人は凍りついた。こともあろうか、その子どもがベランダの柵を乗り越えようとしているのが見えた。
 友人の頭には、転落死のニュースが重なり、心臓が口から飛び出しそうになった。大声で助けを求める?119番?110番?子どもを救うために何かをすべきだと思うが、おろおろしながら子どもから目を離せずにいるだけだった。
 子どもの方は、鉄の柵を乗り越えると、両手でその柵をつかんで上手に降り、柵の下部にぶら下がった状態になった。手を離せば、間違いなく転落して死んでしまう。友人が最悪の事態を覚悟した次の瞬間、子どもは、柵の下部を小学校の校庭にあるうんていで遊ぶように交互に片手を動かし横移動を始めた。
 そこに至って友人は「ん?」と疑問が浮かんだ。さらに子どもは、軽々と連続して懸垂まで始めたではないか。
 思った通り、よーく見るとそれは赤いチョッキを着たサルだった。
(2013.9.30)
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2013年09月28日 | ポエム


 柿

自分ひとりの木がほしくて
柿の種を土に埋めた
はやくおおきくなるんだよって
そのうえから水をかけた

だれよりも高い木がほしくて
だれよりも高く木に登りたくて‥‥

そんな小さい頃を
思い出させるような
秋の青空の似合う
柿の実
(1973.11.11)

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顔 3

2013年09月26日 | ポエム

     ▲南阿蘇村の初秋

 顔 3


いいんです
いいんです
僕のことは 考えなくても
あなたはあなたのやりたいことを
一生懸命がんばって
そこから 生まれたあなたの顔が
つかれきった顔ではなくて
いつもいきいきとしていたら、

 (みずたまりに映った青空を見るような
 あめあがりの風に吹かれるような
 あなたを見た時に
 そんな気持ちになれたら‥‥)

いいんです
いいんです
笑うことは 出来ないけれど
涙なんかでないのです
(1973~1976.12.1)
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間が悪い人

2013年09月24日 | エッセイ

▲南外輪に十七夜の月が沈む(2013.9.22)

 間が悪い

 先日、朝起きてテレビのスイッチを入れたら、好きなバロック音楽のコンサートを放送していたので聴きながら朝食の準備をしていた。ところが、一曲終わった後、会場の聴衆の「ブラボー」の声と拍手のタイミングがあまりに早くて鼻白んでしまった。待ってましたとばかりに、1秒の間も空けずに拍手する必要があるのだろうか?0.1秒でも早く、拍手することが、演奏者への礼儀にかなうという音楽界の習慣があるのだろうか。楽器を引く手は止まっていたとしても、音楽はまだ空間に漂っているような気がする。もう少し間をおいて、その余韻を楽しませてもらいたいな。
 どうしても間が悪い人がいる。いい人には違いないけど、とにかく笑ってしまう程、私にとって間が悪い人なのだ。その方は、私の勤めている法人の損害保険の担当をされていた外交員のKさんだ。それぞれの親の代からの保険の付き合いをしていたが、すでに定年を迎えられた。
 例えば、契約更新の手続きをしなければならないときに、数日前に訪問日の打ち合わせの電話がある。保険会社は熊本市内にあり、私の勤め先は上天草市内だから、片道1時間20分ほどかかる。往復、3時間近くの無駄足は踏めないので、事前の打ち合わせは必須だ。
 「その日なら1日おりますので、何時でも大丈夫ですよ」と、私が答えて、「では○○日の○曜日の朝10時頃におじゃましてよろしいですか」と、Kさんが念を押す。もとより、その日なら何時でもいいと私はすでに申し出ている。Kさんの丁寧すぎる電話に、その時点ですでに私はちょっとイライラ。
 当日、Kさんから、約束した「10時に少し遅れてしまう」との電話。もとより、その日なら何時でもいいと私は先日申し出ている。Kさんのバカ丁寧な対応に、その時点でさらにイライラ。そしてさらに予想通り「前の用件に時間がかかって、お昼前になりますが、よろしいでしょうか」と連絡。「だから最初から何時でもいいと言ってるでしょうが」と口から出そうになるのをグッと押さえる。それから正午をまわる。お腹もすいたし、昼食を作りながら待っていた。茹で上がったソーメンを冷水で洗い、ざるに盛り麺つゆに薬味を入れて、ソーメンを箸ですくい、まさに一口食べようとした瞬間に「ピンポーン」。何時でも良かったその日、私の最も間が悪いときを見計らったようにKさんは、訪問されるのである。
 これは1例で、Kさんの来訪や電話は、いつも何だか間が悪いのだ。
 2010年の1月に亡くなった私の父は、雨男を自認していた。
 後年はさらに進化して、旅行が好きだった父の旅先には、雨どころか台風がやって来る事が重なり、「嵐を呼ぶ男」と回りは密かに呼んでいた。
 亡くなった翌年の5月の末に、父が一番可愛がっていた孫の結婚式が横浜であった。なんとそのときは季節外れの5月の台風がやってきて、九州から参加する私たちは、飛行機が飛ぶか心配した程の大荒れの天気だった。父が「嵐を呼ぶ男」であったことを知っている親類は、結婚式の会場に父の魂がやってきていたことを確信していた。
 8月の末、出張先の福岡でのこと。用件を一つ済ませて、もよりの西鉄の駅迄数分の距離を歩こうとビルを出た途端、いきなり大粒の雨が降り出した。カミナリまで鳴っている。すぐに近くのビルのひさしに避難したが、もうすでに靴もズボンもずぶ濡れになっていた。「間が悪い」
 考えたら、車で通勤しているが、私が車から乗り降りしようとする時に、雨が降り出したり、雨脚が急に強くなったりすることが多い。大慌てで家の中に入った途端、車に乗り込んだ途端に、今度はぴたりと雨が止むのだ。
「間が悪いわねえ」と、いつも家人に笑われる。
 雨男や嵐を呼ぶと言われた父は、広い意味で「間が悪い」と言えるかもしれない。
 そう言えば、8月末の出張先での雷雨は台風が直接の原因だった。ひょっとして私も「間が悪い」を通り越して嵐を‥‥。
 (2013.9.20)

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マーガレットに寄す

2013年09月22日 | ポエム

 マーガレットに寄す



ふるさとの草いきれのなかに咲く
ひとつのマーガレットよ

お前の花びらが白いだけに
私のこころは 恐れている
お前のからだが小さいだけに
私は目を離せないでいる

(人は冷たく
私にその花は 似合わないと言うだろう)

真夏の陽光のなかに咲く
可憐なマーガレットよ

お前の詩が強いだけに
私は戸惑っている
お前の笑顔があどけないだけに
私の胸は つらい

ああ 今日も
ふるさとの少女らに
お前はさびしく笑いかけるだろう

(誰もがお前の本当の詩を
知らないでいる)

では 私は?
ああ 悲しいことに私は
そんな少女らよりもお前を知らない

ふるさとの青い空のしたに咲く
ひとりのマーガレットよ

私はお前の白さを永遠にしたい
だから私は お前の
哀しい美しさを教えるだろう
(1972.12.2)
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