雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

ボートに乗って

2014年06月27日 | ポエム

 ボートに乗って


海岸から
ひとりボートに乗って
沖に向かってオールを漕いだ

ひとかきするごとに
人の姿が小さくなる
ひとかきするごとに
人の声が小さくなる
ひとかきするごとに
浜辺の家が遠くなる
ひとかきするごとに
浜辺の山が遠くなる

ああ、このまま
どこかへ行きたい
遠くへ行きたい

ひとかきするごとに
僕のこころは軽くなる
(1973~2014.6.26)



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父の日

2014年06月24日 | エッセイ

 父の日


 6月15日の日曜日は父の日だったが、同級生のおっさん達3人で(私を除く2人にはもう孫がいるじいさん達)、前夜から南阿蘇の山小屋で飲み明かした。いや本当は飲み明かすつもりだったが0時前には皆早々に布団に入ってしまった。
 今年の父の日は、サッカーW杯の日本戦の初戦の日と重なり、母の日と比べてただでさえ影の薄い父の日は、ますます影が薄かった。おじさん達3人で一生懸命応援したが、逆転で日本は負けてしまった。勝っていたら日本中のおとうさんサポーターに何よりの父の日のプレゼントになっていただろうな。それでもフェイスブックには、父の日関係の投稿が多く、中にはなぜか奥さんからちょっとした贈り物をもらっている知人もいた。夫婦の中には子どもが出来た時からお互いのことを「パパ」「ママ」で呼ぶ人がいるが、「旦那さんは奥さんから見て父の日の対象ではないんでないかい」と思ってしまう私。うーん、この意見は多分にひがみが入っているなあ。
 私はどうなのかというと、私が感謝を表する相手の実の父も義父もすでに墓石の下。感謝を表される方の二人の子ども達からは、今年も娘からのお祝いメールがあっただけだ。記念のプレゼントといったら、子ども達が保育園に行っていた頃、「おとうさんありがとう」と書かれた私の肖像画をもらったことがある程度か。家人に奥さんから父の日のプレゼントをもらった人の話もしてみたが、「とんでもないわ。今も一緒に住んでもらっているだけで感謝してもらわないと」と、一蹴された。まあ確かにそれで充分だけど。
 父の日にちなんで親の呼称について考えてみた。
 私の子ども達二人は、親のことを通常「おとうさん」「おかあさん」と呼ぶ。幼い頃は「パパ」「ママ」も使っていたようで、あまり記憶は無いがビデオにしっかりと声が残っている。それとは別に、時々親のことをニックネームで呼ぶこともある。さすがに子ども達も成人してからは「おとうさん」「おかあさん」がほとんどだが、どうにかした機会にふとニックネームで呼ばれることがある。
 このニックネームは、家人の場合は名前を省略しちゃんをつけた「○ッコちゃん」だ。私が家人をそう呼ぶことが多いから子どもも使い始めたのだろう。長男は未だに「おかあさん」よりこちらが多いかもしれない。そして私の場合は私が小さい頃からの誰が言い出したかわからない「ボクチン」という家族親戚内の不思議なニックネームがあり、それを知った家人が結婚前から使い出し、生まれた子ども達も父親のことを「ボクチン、ボクチン」と呼ぶのだ。ちなみに「ボクチン」というニックネームは60歳近くになった未だに兄妹や親戚の人に使われているし、一部の友人まで使っているのだ。その他に長男などは、面と向かって言われたことは無いが、人に私のことを話す時は親父と言っているみたいだし、心の中では「クソじじい」と呼んだこともあるかもしれない。
 ところで、自分は親のことをどう呼んでいただろう。4年前に父が亡くなる以前は、横浜に住む姉が実家を頻繁に訪ねてくれていた。その時、姉が父のことを「パパ」と呼び掛けていたことに少し驚いた記憶がある。姉は小さい頃から「パパ」「ママ」と言っていたのだろうか?兄妹5人、「おとうさん」「おかあさん」で統一されていたように思うが、妹達など小さい頃は「パパ」「ママ」だったかもしれない。天草の田舎だったから、小さい頃の周りでは「とうちゃん」「かあちゃん」が主流だった。私は「おとうちゃん」「おかあちゃん」と呼んでいたような気もする。が、いつの間にか「おとうさん」「おかあさん」になっていた。でも私自身は「パパ」「ママ」と親を呼んだことは無いし、人との会話の中でも口に出したことが無い。だから何だという訳ではないが‥‥。
 父の日の前日の朝に、家人に誘われてショッピングモールに行った。花屋や酒屋、洋服店、パン屋、ケーキ屋、本屋。どこに行っても「父の日」の表示だらけのショッピングモールで服を買ってもらった。家人は何も言わないが子ども達に替わっての父の日の感謝の気持ちだったかもしれない。いやそうだったと思っておこう。
(2014.6.23)
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つゆあけ

2014年06月20日 | ポエム
 つゆあけ


あの青い空を

誰かといっしょに 語りたいのに

あの青空を見ていると

ひとりぼっちがつらくなる

(1974.7.20~2014.6.17)

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トイレのフタ問題

2014年06月17日 | ポエム

 トイレのフタ問題


 洋式トイレの使用後、フタをしていますか?
 私は最近、このトイレのフタをするようにしています。
 理由は二つ。特に大の方をした後で、水を流す時、フタが空いていれば多少ではあるものの、勢い良く流れる水によってトイレの室内に排泄物の粒子が舞い上がってしまうと聞いたからです。健康な時はいいですが、下痢の時は特に注意が必要です。ウイルスなども巻き上がってしまうからです。だから用を済ませたら流す前にトイレのフタをしなければいけません。
 我が家は小さい家ですが、トイレが1階と2階に2つあります。長男が小さい頃からトイレが異常に長いので、トイレを2つにしました。そしていつのまにか、1階がお客さん及び女子便所、2階が長男と私が主に使用する男子便所となっております。この男子便所のお掃除問題が長年の我が家の争点となっております。つまり汚いのです。私は実家にある勤務先に単身赴任状態なので、週に実質2日程しか使用しません。だから汚い原因は主に長男のトイレの使用法にあると思うのです。毎回使用後に便器をブラシで洗うように何度も長男を指導し、ようやくこのところ「汚い」トイレは脱しつつあります。長男を指導した手前、私も使用後毎回ブラシで便器を洗っております。ただいかんせん、雑な男子のやることなので、便器の中の水の渕の汚れがワッカになってしまいます。見かねた家人が定期的にペーパーヤスリを使ってトイレのワッカを消してくれています。それでも長男とトイレがかちあった時などにたまに使用させていただく女子トイレが断然美しく、香りも良く快適です。便器のフタをする理由の第二がこのトイレのワッカに関係しています。トイレでは服や下着をまくったり戻したりする作業がつきものですが、そのことで狭いトイレの室内には目に見えないホコリが舞い上がってしまうのです。フタを空けたままにしておくと、この細かなホコリが舞い降りてきて、トイレのワッカを形成する一因となっているという話を家人から聞いたからです。フタをすることで少しでも汚れを防ぐことができるのであれば自ら行うトイレ掃除も楽になります。
 その二つの理由で、トイレのフタをするように努めています。ですからこのトイレのフタ習慣は家人の強制ではなく、自らすすんで決意し、実践をしているのです。トイレ関係で言えば、トイレの換気扇も必ず使用し、使用後はスイッチを忘れずに切ることにしております。
 ところが一人で暮らしている実家で、毎回認識して確実に行ったはずのトイレのフタがときどき空いているのでございます。換気扇もついてままであったりするのです。本人、とてもとても不思議なのでございます。換気扇も消してあり、フタもしまっていることがほとんどですが、どちらか一方の始末がおろそかになっておることも少なくありません。
 家人はこのような失敗をしたときに、「なぜその行動を選択したのか?」という質問をすることがあります。それらの質問はあきらかに愚問です。なぜなら失敗したその行動を行うとき、どう行動するかを認識していたら失敗する方を決して選択はしないと思うのです。家人などは、そこが理解できないらしく私が故意に嫌がらせで失敗の行動をとっていると言うのです。誓ってそんな何の利も無い嫌がらせはいたしません。
 だから無意識にならないように、自分では毎回毎回意識しているつもりなのです。いや絶対に間違いないと思っているのです。それでもときどきフタが空いており、換気扇が回ったまままのであります。
 で、原因を愚考したあげく、またまた「この家には私以外に何者かが住んでいるにちがいない」という結論が浮かんで来るのです。しまっておいた印鑑や爪切りを何処かへ隠すような悪戯と同様に、閉じたトイレのフタを空け、換気扇のスイッチを入れて、私を混乱させて喜んでいるこの家の妖精の存在です。
 不思議な妖精の存在も含めて、フタが空いている原因はフタだけに「不確か」なままなのでございます。
(2014.6.17)
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サッカーW杯と私

2014年06月12日 | ポエム

▲先日、太宰府天満宮にいったらサムライブルーのお神籤があった。

 サッカーW杯と私


 日本時間の明日未明にいよいよサッカー・ワールドカップ・ブラジル大会が開幕する。若い頃パリにいた時、ちょうどサッカーのワールドカップがあり、そのフランス国内の様子に驚いた。試合に興奮して奥さんを2階の窓から投げ飛ばしただの、テレビで観戦していた人が怒りでテレビの画面に物を投げて割ってしまったなど、ニュースで知った。それを見ながら私は「スポーツの試合の結果が殺人事件まで引き起こすなんて日本人には考えられないことだ」と思った。同時にサッカーのワールドカップがどれほどスゴい大会であるかは、何の知識も無い私も肌で感じることができた。
 当時はサッカーが特に好きな訳ではなかったので、フランス国内のリーグ戦がどうなっているのか、どんな人気選手がいるのかも知らなかった。それは日本のサッカー界に対しても同様で、メキシコオリンピックで銅メダルを取って以来、国際試合ではほとんど大きな舞台に立つことも無く、国内のサッカー人気も低迷していることでさえ、考えたこともなかった。
 私にとって、スポーツを観戦すると言ったら、まずはプロ野球、そして4年に一度のオリンピックか、大相撲、たまにゴルフくらいだった。プロ野球に嫌気が差して中継を見なくなった頃、サッカーのJリーグが始まった。サッカー好きの息子の影響もあり、すぐにサッカーに夢中になった。
 ワールドカップのことも、日本が、そして日本選手の多くが一度も出場したことのないワールドカップ出場を悲願としていることを知った。日本のサッカー界と選手達の悲願は、すぐに私自身の悲願にもなった。
 そのワールドカップ初出場の悲願達成まであと数分と近づいたあのドーハの悲劇。カズ、ラモス、ゴン中山、竹田、柱谷、福田、長谷川健太、北沢。日本中が盛り上がり、私も選手達と一緒に出場を願いテレビを通して生で応援していた。悲願達成目前の最後の最後で、画面の中で起きていたことが信じられなかった。悔しくて朝方までなかなか眠ることが出来なかったのを覚えている。
 出場出来ることがうれしかったフランス大会は、友人夫婦と勝利のシャンパンを用意し、テレビで生観戦した。結果は1勝も出来ずに予選リーグ敗退。ゴン中山の日本選手初得点で終わった、ちょっとがっかりの大会だった。
 次が日韓開催。未だ開催地が決勝トーナメントに進めなかったことはないと知り、マジに心配した。フタを明けたら初戦引き分けで初勝ち点をあげ、次のロシア戦で初勝利。2勝1分でみごと決勝トーナメントに出場出来た。
 次のドイツ大会は中田のチーム。初戦のオーストラリア戦で終了間際に同点ゴールをあげられ、わずか数分でまさかの3失点。前回を上回る結果を期待されていたジーコジャパンは出端をくじかれまさかの3連敗で予選敗退。
 そしてブブゼラ(でしたっけ)の音が印象に残る南アフリカ大会は、明らかに実力がついた上でのもっと上もありえたベスト16だった。
 そして今回。私は、サッカーはやってみなければ何が起こるかわからないと常に言っている。今回もベスト16以上の結果を残すかもしれないが、予選敗退で終わることも多いに考えられる。
 ドーハの悲劇があったから日本は強くなった。昔、対外試合をしても日本が勝てる気はしなかったが、今や世界のどの国に対しても勝つ可能性を感じさせる。海外のきびしいリーグで活躍する代表が増えた点も大きい。
 ブラジルでは、まず本田と香川には世界を驚かせる結果を出してほしい。サムライブルーがどこまでやれるか?ザックジャパンの集大成を出し切ってほしい。他にも世界の強豪対決など、本当に楽しみな1ヶ月だ。
 今度は割と観戦しやすい時間にあってありがたい。寝不足になったり、興奮して大声を出しても深夜ではないので家人にたしなめられたりすることは無さそうだ。この歳でなおすぐにプッツンしてしまうおじさんだが、サッカーが好きになった今も、サッカー観戦で奥さんを窓から突き落としたり、テレビを割ってしまうことには理解が出来ない。
(2014.6.12)
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