台風で折れた後、初めて大桜を訪ねたら、健気に季節はずれの花が咲いていた。
見出し画像は同じ日の全体像です。(2004.10.10)
一心行の大桜
「一心行の桜は見なはったね」
最初は、地元に住む方のその一言だった。
何の先入観も期待も無いままに、長男と二人で大桜を見に出かけた。
「車は停められないから、駅に置いて歩いて行きナッセ」
と、行ってみると答えた私に地元の人が助言をしてくれた。
南阿蘇鉄道の駅に車を停めて、長男と二人、駅前から旧国道に出て、さらに旧国道から車がやっと通るような狭い農道に入った。
ほどなく、道の先の方に、桜の花らしい真っ白な固まりが見えて来た。そしてそれは一歩近づくごとに、大きさを増して迫って来た。
木の全体が見えたとき、「すごい』と思わず声が出た。
何もない、菜の花畑の中に、想像していたよりも大きく、何とも言えない美しい形で、大桜は立っていた。確か車が2台。見物客はカメラを手にした人が数名。約20万人が訪れる現在ではとても信じられない話だ。桜の根元まで行き、幹や枝を触れることも出来た。
薩摩の島津に攻められ滅んだ地元の豪族中村椎冬(これふゆ)の墓を守る様に植えられたという。南阿蘇村の白水にある高さ15メートル弱、幅20メートルの山桜。430年という樹齢と盛りの数え切れない花が発する圧倒的なパワー。感激で胸がいっぱいになり、何かの力が心に満ちて来るのを感じた。
翌年は他の家族も連れて大桜を訪ねた。今度は車で近くまで行き、車も人も増えていたが、まだ道路脇に数台の車があるだけだった。
ところが、全国放送のニュース番組で大桜が紹介された途端、大勢の人が訪れるようになった。そして桜を取り巻く環境が一変してしまった。
その次の年位から、近くの田んぼが臨時駐車場となり、地元の人が、車の整理をし、寄付として駐車場代を徴収された。幹もとにも縄がはられ、桜に近づけなくなった。人が集まれば、そのことがテレビや新聞で報道され、さらに人を呼んだ。
さらに翌年には、夜間のライトアップなどが始まった。暗闇に浮かぶ大桜は幽玄だった。見学者は桁違いに増えて、連なる大型バスが道を塞ぎ、大渋滞を引き起こした。たった1本の木が持つ、力の大きさに驚いた。私は、人ごみを避け、早朝かライトアップが消える直前に桜に会いに行った。
ところが、私ががっかりしたのは、地元の当時白水村が一心行の大桜を中心とする一帯を開発し、桜のすぐ近くに2車線の舗装道路を新設し、広大な駐車場を作り、すっかり公園化してしまったことだ。
大桜に罪は無い。地元の方も、村も、観光客の利便性を考えての好意でしたことだ。20万の人が来る様になったら、トイレだって必要だ。広い駐車場もいるし、道路の混雑緩和には、新しいルートも必要だったかもしれない。そしてそれらのことを小さな村が行うには、大桜の見学者からお金を落としてもらう設備が不可欠だったことだろう。
でもその開発は、大事なことを忘れてしまっていた。
なぜ一心行の大桜が人の心を打ち、毎年見に来たくなるような思いをさせるのか、そのことだ。
確かに木の大きさ、樹形の美しさもある。430年という樹齢や植えられた経緯も含めた神秘的なパワーもある。でも大桜がさらに輝いて見えたのは、南阿蘇の山並を背景に、何も無い畑の中に一本だけ立っている環境も大きかったはずだ。人工的な公園の中にある桜なら全国数知れずあるように思う。私なら、敢えて遠くに駐車場を作り、見学者には畑のあぜ道を歩いて行ってもらう。その方が見学者の感激も大きいはずだ。
「あんなことしたら罰があたるよ」そう言って、公園化してしまった地元の好意の、しかし無知とも思える開発を私は罵った。
ところが私の罵りのせいではないと思うが、公園化した途端に、大桜の大きな枝が台風でポッキリと折れ、3分の1近いボリュームが無くなり、美しかった樹形も崩れてしまった。2004年のことだ。
その後、一度だけ大桜に会いに行った。以前の美しい形に復活するには、まだ時間がかかりそうだけど、大桜はそれでも十分にパワーを発していた。ネットで見たら、まわりの公園も少し人工的な雰囲気が排除されたようだ。今年は久しぶりに会いに行こうかな。あなたも一度見に行ったら、きっとまた会いに行きたくなりますよ。
(2012.3.23)