雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

雲になりたい

2013年02月28日 | ポエム
 雲になりたい

 2013年も2ヶ月が終わろうとしています。
 2年前に「えいっ」と始めた私のブログ「雲のたまてばこ」も開設して2年。カウントを見たら、今月で訪問者が2万人を越えています。もちろんうれしいけれど、怖いような気もします。
 最初は本当に玉手箱のように、閉じ込めら、ほとんど未発表の若い日に作っていた詩を発表していました。しかし2年目の途中で玉手箱の中にたくさんあると思っていた自作の青春の日の詩はつきてしまい、最近は詩よりもエッセイが多くなり「やや看板に偽り有り」の感もします。
 これから先、このブログがどのようになってゆくのか?私もまだはっきりとつかめないでおります。毎回思いついた話であっちこっちに話しが飛んで、テーマも内容も統一されておらず、それにも関わらず多くの方に読んでいただき、うれしい限り。そのうちに、形式やテーマも少しは統一されていくかもしれません。が、あくまで自然体で続けて行きたいと思っています。
 ブログを始めて、多くの方にお読みいただいたこともうれしいのですが、ブログを始めて良かったと思うのは、40年ぶりに新作の詩が生まれてきたことです。1年目には2作。2年目は3月23日に「春一番」。6月27日に「ホトトギス」。8月21日に「かげろう」。8月31日に「白い雲」。10月9日に「木犀」。以上5つの新作が生まれました。このブログを初めて訪ねて詩を期待されていた方は、この日付を見て下さい。不思議なもので、「さあ、詩を作ろうかな」と紙と鉛筆を用意する訳ではなく、突然頭に言葉が浮かんで来るのです。
 車の運転中に。
 早朝に目が覚めたときに。
 夢の中でも詩が生まれることがあります。残念ながらそれはほとんど目を覚ました途端、内容を忘れていますが、なぜか詩を作ったことだけは覚えているのです(しかも傑作が出来たと喜んだことも)。
 でもここ5ヶ月程、言葉が降ってこないなあ。
 詩に替わって、その時に思ったことを綴るエッセイが続いています。可能な限り週に1回はアップすることを心がけています。
 エッセイのテーマとして、読み返すと、だんだんと食べ物に関する話題が多くなりつつあります。それが私の本性。食いしん坊を自認し、我ながら恥ずかしくなる程イヤシいのです。当然、食に興味があり、思いや思い出がたくさんあるのですね。何もテーマが浮かばない時は、食べ物のことを考えると次々に書きたいことや食にまつわる思い出がよみがえってきます。それでついつい食べ物の話しが多くなっているのです。
 私は5人兄弟ですが、兄弟が集まると、その内の女姉妹3人と私のカミさんが加わった女4人のおしゃべりを黙って聞いていると、食べ物の話しが延々と続きます。その場に第三者がいると、そのことに気がついてびっくりされます。兄弟が皆、食に興味を持っているということは、小さい頃から祖母や母の作る美味しい料理を食べて来たことに無縁ではないと思っています。
 3年目のブログはどうなるのでしょうか?
 まあ、あと1年は今まで通り、とりとめも無く思いついたことを書いて行きたいと思います。目標としては、昨年5作だった新作の詩の数を上回る新作の詩を作れたらいいな。
 私は少年の頃、いつの間にか青い空と白い雲が大好きになりました。
 高校1年生の頃に書いた「理想とする人間像」というテーマの懸賞論文に「雲のような人間になりたい」と書いて、入賞しました。雲の純粋な白さにあこがれていたのです。
 このブログを始めて、もう一つ再び始めたことがあります。
 それは少年の頃、毎日見上げていた空をまた見上げること。少年の頃と違った話しを雲が57歳の私に語りかけてくるようです。(2013.2.28)
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サクランボの思い出

2013年02月25日 | ポエム

▲今年もサクランボの花が数日前に咲き出しました。

 サクランボの思い出

 ドシン、ドシンと音まで聞こえそうな感じで、春はそこまで来ている。
 今月8日の朝には寒さに関わらず、裏のやぶからコジュケイの初鳴きが聞こえてきた。プランターのクロッカスが、花壇のムスカリが花を咲かせ、沈丁花の良い香りが風にのって届いて来る。
 上天草市にある実家のサクランボの木は、私が小さい頃に多分実のなる木が好きだった父が植えたものだ。その後移植したし、株が弱って大きな幹が枯れてしまい、数日前に咲き出したサクランボの木は年齢の割には小さい。枯れないかと心配しているが、どうやら今年も花をつけてくれた。
 サクランボと言えば、北国の作物ですぐ山形産の高級サクランボが頭に浮かぶが、私の実家のサクランボは、色や形は山形産と同じでも、大きさは15ミリ位しかない。毎年たくさんの実をつけるが、ほとんどは「いよいよ熟れて来たかな」という時に、一瞬にしてヒヨドリに食べられてしまう。人間様の口には、かろうじて味見が出来る程度しか入らないが、これが甘くて美味しい。
 ソメイヨシノなどの花を観賞する桜とサクランボの違いは何かというと、実のなる桜を桜桃(おうとう)といい、種類が違うようだ。でも桜の仲間には違いが無く、観賞用の桜の中にも実を付けるものがあるし、桜桃の花も一つひとつの花自体はソメイヨシノと遜色の無い美しさだ。
 食いしん坊の私は、ある公園の数本の桜の木になっている小さな実を食べたことがある。実家のサクランボよりさらに小粒でせいぜい10ミリ程の実をだが、甘くて美味しかった。調子にのってすぐとなりの桜の木の実も食べたが、見かけは同じでも渋くて食べられなかった。渋い実の方も集めて焼酎に漬けるか、ジャムにしたらおいしいかもしれない。
 小さい頃は、サクランボと言ったら缶詰の赤いシロップ漬けだった。熊本駅で売られていた駅弁で好きだった音羽屋のサンドイッチの飾りに入っていて、赤い実が印象的だった。初めて店頭で見た生のサクランボは、山形産。おいしいが、輸入物の安いサクランボも含めて、まず自らお金を出してサクランボを求めることは無い。ただパリに住んでいたときは、安かったので自分で買って、旬の時期には、たらふく食べた。粒が大きく甘かった。
 その後帰国したら、その頃東京に住み音楽大学に通っていた下の妹が、帰郷の際にアンナミラーズというお店のダークチェリーパイを買ってきてくれて、それも大好物になった。そう言えば久しく食べていないなあ。
 帰国後やっていた喫茶店では、手作りケーキを提供していて、その中にも缶詰のダークチェリーを使ったキルッシュトルテという名前のケーキを作っていたのを思い出す。
 あと、サクランボと言えばハーゲンダッツ・アイスクリームが熊本市内の鶴屋デパートで販売されるようになった頃、私が一番好きだったのはバニラベースにダークチェリーが入った「チェリーバニラ」だった。今でも一番食べたいけど、売ってなくて残念。
 実家の庭に父が植えたサクランボの木に、たった1個初めて実がなった年。
 1個のサクランボに対し8人家族であることの分配問題は別にしても、父も子ども達も毎日赤く熟すのを心待ちにしていた。いよいよ食べごろかと思われていたある日、敷地内にあり貸家にしていた一軒屋に学校の先生が引っ越してきて、その手伝いに来ていた同僚の先生の一人が、通りすがりにパクッとそのサクランボを摘んで食べてしまった。もうたくさん収穫した後の残った1個と思われたのだろう。多分後で事情を知った父も抗議はしたと思うが、食べてしまったものは元には戻らない。
 大好きな先生、お世話になった恩師もたくさんいるが、未だに学校の先生という職業の方を全面的に信用できない。逆恨みに近いものだが、サクランボを見る度に思い出す。
 食べ物の恨みは恐ろしいものだ。
(2013.2.25)
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荷馬車と唐津と虹の松原

2013年02月20日 | ポエム

▲かおるちゃん、クロッカスが咲きました!!

 荷馬車と唐津と虹の松原

 昭和30年生まれの同世代の中でも貴重な体験かもしれないが、私には荷馬車に揺られて一本道を走っている情景の記憶がある。
 荷馬車には山盛りの枯れた松葉が載っていて、私は松葉の上に大勢の人といっしょに乗って、高い視線から馬のたてがみとまっすぐ続いている白い一本道を見下ろしている。何歳の記憶だろう。
 積み荷の松葉は、共同風呂の湯を沸かす燃料で、近所の人達と近くの松原で松葉かきの共同作業を行った帰り道である。
 場所は佐賀県の唐津。おばあちゃん子だった私は、母方の祖母に連れられて、祖母の出身地の唐津に住む祖母の四女夫婦を訪ね、この叔母の家に長期滞在をした。
 唐津には、玄界灘に面する白砂の海岸が続いていて、玄界灘から吹く風を遮る防風林として植えられた広大な松林がある。日本三大松原の一つと言われる虹の松原だ。今なお、それは唐津の美しい光景の重要な要素に変わりはないが、昭和30年代からと較べると、火災や台風、松食い虫などの被害で、大きな松が倒れ、全体にまばらで明るくなった様な気がする。私が幼かったという理由もあるだろうが、以前の虹の松原は、うかつに踏み入ると迷ってしまいそうな、森の威圧感のようなものを感じるくらいのうっそうとした松林だった。
 唐津の町中がそうなのかは知らないが、海岸はもちろん、叔母の家の庭や畑や道も石を探すことが難しい程白い砂だらけだった。松原の中も白砂が広がり、松葉かきの作業の副産物として、丸い松露というキノコが見つかった。その時小さな卵形の薄茶色のキノコを見せてもらった気がするが、別の機会の記憶をごっちゃになっているかもしれない。
 松葉かきの作業には、私の他にもお手伝いに子どもが数人同行していたが、その中のお兄さんと一緒に未だに忘れられない危険な遊びをした。
 虹の松原には、当時国鉄の筑肥線という単線が陸側の端を通っていて、そこを走るディーゼルカーやSLの引く貨物列車を見ることも、幼い私の唐津滞在の楽しみの一つだった。(私の故郷の天草には鉄道が無かった)
 その日、松葉かきに同行した数人の子ども達は、線路際に立ち、近づく列車をドキドキしながら待った。
 危険な遊びというのは、線路のバラストと言われる石をレールの上に並べて、列車の通過で石が粉々に砕けることを楽しむということだった。幼い私は近所のお兄さんの行いを傍観していただけだが、後でこの遊びは列車が脱線する危険のある大罪であることを知った。
 線路の小さな石は、何事も無いかのように粉々に砕けた。
 叔母の家の近所にあった共同浴場を子供心にはとても広かった記憶があるが、実際はどうだか。窓があってすぐ側を当時の東唐津駅をスイッチバックして松浦線や唐津線と連絡する線路が走っていて、入浴中に汽笛が聞こえると窓まで行き、列車を見送った。
 その共同浴場は、家族単位で利用し、幼い私も祖母や叔父叔母と一緒に利用したと思うが、他の家のおじさん、おばさんも一緒に入っていたような記憶があり、大きくなって不思議に思った。
 叔母の家にも数年後には内湯が出来た。その後、筑肥線は、福岡市営地下鉄と繋がり、松原から少し離れた地点に高架線となった。唐津の町中にある唐津駅に川を渡って直行し、大好きだった終着駅のような旧東唐津駅や浴場の横の線路も廃止になってしまった。共同浴場はとうの昔に無くなった。
 私にとって唐津は第二の故郷である。また私は、唐津っ子のクォーターであることを自認している。それは唐津出身の祖母の血を引いているだけでなく、幼い頃によく唐津に来ていて、唐津に思い出がたくさんあるという理由もあるのだ。唐津には今でも叔母夫婦が健在であり、縁あって私の妹が唐津に嫁いだ。今でも年に1、2回、唐津を訪れると他の町で感じることの無い心持ちがする。 (2013.2.20)
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ときめきの車

2013年02月12日 | ポエム
▲寒い日はつい肩をすぼめて歩くので、空を見上げることが少ないです。でも先週、クロッカスの花が咲き出し、昨日は沈丁花の香りが届いて来ました。

 ときめきの車

 ここ数年、新しくモデルチェンジした自動車の外観のデザインを見て、「いいなあ」とときめき感じることが少なくなってきました。逆に、何でこんなデザインなのかと眉をひそめたくなる車は増えてきたようです。
 そう言う私自身は、特に車好きという訳ではありません。車の情報誌はまず見ないし、誰かと車のデザインについて語ったりすることもありません。テレビや新聞の広告を見、実際に走っている車を見て、「クラウンがモデルチェンジしたんだ」とか、「これが人気のノートかあ」という程度の興味の上での感想です。これはあくまで57歳の私の主観であり好みの問題かもしれません。
 でも私と同じ様な感想を持っている人はいないのでしょうか?
 分かっています。歳をとって来た私の感覚が世の中の平均的な年齢の人達とずれてきていることが第1の原因であるであろうことは。
 例えば、情報番組の芸能ニュースなどに毎日のように登場するAKB48のどのメンバーを見ても、特にきれいだとか、かわいいとか、素敵だとか、魅力を私はほとんど感じません。多くの人が魅力を感じているからこそ、人気があるのでしょう。同じように、車のデザインも買い手の支持があるからの流行の傾向なのでしょうから。しかし、私はあえて今の車の外観に関して言いたい。
 一つ目は、全体にやたらと曲線が多い。
 二つ目は、魚のエイを連想させる今までだと膨らむ部分が逆に反っているフォルムが流行のようだが、好きになれない。
 三つ目は、LEDを使っているのか、キラキラしたテールライトはプラモデルのようだ。
 四つ目は、曲線が多いことと重複するが、デザインとはいいがたい、過度に装飾的な処理や無駄なフォルムが多過ぎる。
 五つ目は、フォルクスワーゲンやアウディ、新型のクラウンに見られるフロントグリルがバンパーより下まで続いているデザインは、どうもカニのエラやオムツを連想していただけない、などなど。
 五つも言いたいことを言って、スッキリしました。ひとことで言ったら、なんかねえ、安っぽく感じるんです。
 例えば、夜の運転で、前を走っている車のテールライトやシルエットが美しくて、「おっ」と思って、信号待ちで近づいたときに、車体の表示やエンブレムなどを見てそれが有名な外国車だったりして、「やっぱりね」ということを多く経験していましたが、最近は同じ状況で走っていて、国産車かと思っていたらメルセデスだったりします。
 元々が私は車に限らずシンプルなデザインが好きなのであります。若い頃そりゃポルシェはかっこいいと思いましたが、一番好きだったのはシンプルなエクステリアのアウディでした。
 今、乗っている車は、シルバーの先代カローラフィルダーです。室内での走行音が気になりますが、それ以外の不満はありません。気に入っているのは、そのエクステリアのシンプルなデザインです。長い間毎日見ていてときめきこそ感じませんが、全体的なフォルムも部分的なデザインの処理もいいなあと思います。美しささえ感じます。ちなみに数年前にフルモデルチェンジをした新型カローラは、私的には改悪になってしまい残念です。
 愛車も走行距離が17万キロを越え、そろそろあちらこちらに不具合が出て来て、買い替えの話しもチラホラ。中古の外国車でも乗ってみたいなとも思っています。で、今一番ときめきを感じているのは、Fiat500です。あのマンガのルパン3世の愛車の後継車ですね。
 「えーっ、丸っこいんじゃない?」と言われたら、確かに私の本日の意見と矛盾しますが。
 惚れた女性がかねがね公言していた好みと全く違ってたって経験をした方も多いはずですし‥‥。 (2013.2.12)
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鳥のフン返し

2013年02月04日 | ポエム
▲犬と散歩に訪れる近所の江津湖。数種の鴨をはじめ大陸から越冬してくる水鳥がいっぱい。

 鳥のフン返し

 私の自宅の庭には、結構背の高いモチノキがあって、赤い実のなる冬には、たくさんの鳥がやってきます。
 多くはムクドリやヒヨドリ、アオバトです。
 稀にヒレンジャクがきます。
 私は生き物が大好きで、鳥も好きです。鳩やカナリヤ、ジュウシマツを飼った経験もあります。
 南阿蘇村の山小屋には、たくさんの巣箱をかけているし、勤務先である上天草市の実家の庭には、巣箱と鳥のエサ台と水浴び用の水鉢を設けています。
 私が1974年に作った「冬鳥」という詩には、「もし家を建てたら、鳥達が好きなモチノキを植えよう」という一節があります。その詩では、ツグミがモチノキを食べにきていたことになっています。
 実は31年前の「冬鳥」という詩を作るきっかけの木が、現在私の自宅にある大きなモチノキで、つまり私は少年時代から住んでいた家を建て替えて住んでいる訳です。従って「家を建てたら、すでにモチノキが植わっていた」のです。
詩に登場しているのはツグミですが、思い込んでいただけで、その時見た鳥が本当にツグミだったかは怪しいものです。ムクドリかヒヨドリだったかもしれませんが、今となっては、はっきりした記憶がありません。
 家人は鳥が苦手です。
 きっかけとなったのは、小学校の頃に同級生が縁日で買ったヒヨコを誤って足で踏んづけて殺してしまったことだそうです。
 それでも以前は真冬になると、私は枯れ枝に輪切りにしたミカンを挿して、メジロの餌付けをしていました。今は家人によって禁止されました。メジロが悪いわけではありません。モチノキを目当てにやってくるムクドリやヒヨドリやツグミのとばっちりです。
 「これ以上鳥を寄せないで」という家人の気持ちはよく理解できます。それは、あまりに大量の糞害です。
 我が家のモチノキを食べに来て、葉や実を落として散らかす分は許せるとしても、糞はいかん。
 糞の雨が降るのは、モチノキの周辺と、葉を落とした背の高いケヤキの周辺、そして洗濯物干のあるテレビアンテナの下。数件先のご近所にもモチノキの大木があり、そのモチノキと我が家のモチノキを結ぶ線は、鳥のルートになっているようです。
 鳥達は食べながらも消化活動を同時に行い、糞もしているのかもしれない。またおしゃべりしながら、あるいは休息をとりながらも糞をしているのかもしれない。おそらく、枝を離れる時、空中でいっせいに糞をしているに違いない。一番糞がヒドいのは、ご近所のモチノキのある方向、モチノキルート下の地面です。
 通常そこには家人の乗る車を駐車していますが、鳥が集まるこの時期は糞を避けて、数メートルずらしています。
 この鳥の糞は見かけも汚い上に、放っておくと未消化の実が混じった糞はドス黒く固まり、洗っても簡単には取れなくなってしまいます。さらに鳥の胃液か何かの酸の作用か、車に落ちた糞はワックスを溶かすし、エアコンの室外機等の金属部分に落ちた糞の後は塗料まで溶けてしまって跡形が消えません。唯一幸いなのは、犬や猫のような強烈な匂いが鳥の糞に無いことだけです。
 私は留守で見ていませんが、先週の金曜日あたりに、おそらくムクドリが大群で訪れ、我が家のモチノキの実はいっぺんに無くなってしまいました。枝という枝が鳥で埋めつくされ、近所の奥さんも驚いていたらしいです。
 落ちていた糞がいつもに増して大量だったことは言うまでもありません。日曜日に、モチノキの下の飛び石の上の糞に水を撒き、デッキブラシでこする後処理は一仕事でした。家の壁、ケヤキの下のコンクリートのたたき、エアコンの室外機、ずらして停めていた家人の車の屋根にも糞が飛び散り、私はデッキやスポンジたわしや雑巾できれいに拭き取りました。モチノキを切ってしまおうという話にならないように、気を遣ったのです。
 月曜日の朝、モチノキの実が無くなったせいか、木の下にも新たな糞はほとんどありません。
 「やれやれ」と思った途端、昨日掃除した家人の車のリヤウインドウに糞が飛び散っているのを発見しました。
 モチノキを植えている恩を仇で返すとは。
 「鶴は恩を返したが、ムクドリはフンを返すのかあ」
 私も思わず「クソー」と言ってしまいました。
(2013.2.4)
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