雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

あまつぶ

2013年11月30日 | ポエム

▲夏の暑さで枯れたと思っていたリンドウの鉢が、復活して、寒さの中数日前についに開花しました(2013.11.26)

 あまつぶ


あめあがりの
陽の光に
窓ガラスに残った雨のしずくが
清らかに輝いた
その小さなあまつぶは
些細な振動に驚いたように
たらりと流れ落ちた

ぼくは
美しく清らかなものを
とても だいじにしたい‥‥
(1973~2012.2.15)
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ヤクルトとつばめとななつ星

2013年11月28日 | エッセイ

 ヤクルトとつばめとななつ星


 プロ野球球団の東京ヤクルト・スワローズのチーム名は、現在九州新幹線を走っている「つばめ」号と起源は同じ列車名から派生したものである。球団の前身である国鉄スワローズというチーム名は、戦前戦後を通じて国鉄を代表する特急「つばめ」という列車名から付けられたと聞いている。
 1930年に登場し、超特急「燕」に始まり、戦後の1950年に展望車を連結していた客車列車で東京神戸間を走った「つばめ」、そして電車時代の幕開けを告げ1964年の東海道新幹線開業まで東京大阪間を走った151系電車こだま型「つばめ」は、常に少年達のあこがれの存在だった。この特急「つばめ」は、東海道新幹線の開通で大阪博多間に、山陽新幹線の岡山開業の際には、481系交直両用電車で名古屋熊本間、最後は寝台電車581系も使用され鹿児島まで足を伸ばしたが、1985年の山陽新幹線博多開業で定期運用から廃止となっていた。
 戦後の客車列車を牽引したSLの1台、C622号機には、煙突の左右にある排煙板につばめのマークが残されたまま、永久保存されていて、「スワローエンジェル」の愛称で呼ばれている。また国鉄バス、分割民営化後のJRバスの車体にもツバメをデザインしたマークが残っていることにも、「つばめ」という名前が国鉄にとって特別な名称であったかを物語っている。
 その日本を代表する栄光の列車名を九州内に走るローカル特急にちゃっかり復活させてしまったJR九州は、「本当に鉄道を愛しているのだ」とかねてより思ってきた。1992年に登場した785系電車で復活したつばめには、「つばめ」の全盛期に使用されていた151系電車にあったパーラーカーを思わせる個室や時代を逆行するようなビュッフェが連結されていたからだ。私の家族はこの785系にあった普通車のセミコンパートメントが大のお気に入りで、博多に行く際は必ず利用した。残念ながらビュッフェは、廃止され普通車に改造された。
 この785系には、JR九州の「鉄道を移動手段としてだけでなく、鉄道の旅そのものを楽しんでもらおうという姿勢」が多いに表現されていた。JR九州内の都市間を結ぶインターシティーは、785系に続いて、「白いかもめ」や「ソニックにちりん」とユニークな車両を作って行く。「ゆふいんの森」、「SL人吉」、「あそぼーい!」、「はやとの風」、「いさぶろう しんぺい」、「海幸山幸」、「指宿のたまて箱」、「A列車で行こう」など、九州各地を走る観光列車は、確かに移動手段から旅の目的の一つとなりつつある。その実績を積み重ねたハードとソフト両面の集大成がクルーズトレイン、「ななつ星in九州」ではないだろうか。
 その企画の原点の一つに、横浜の原鉄道模型博物館に展示されている「ある列車」というタイトルの5両の豪華列車の模型があったそうだ。1906年に九州鉄道がアメリカの車両会社に作らせた実物は、引き渡された直後に九州鉄道が国有化されたために、活躍しないまま幻の豪華列車となった。去年の夏に、同館を訪ねた際は、そんな車両の存在も知らなかった。
 「ななつ星in九州」の車両形式を知った時、多くの鉄道ファンが、「おお」とうなったに違いない。JR九州は、国鉄時代の車両の形式番号の決まりをほぼ踏襲していて、ななつ星のマイ77という形式名のマは、車両の重量の区別、イは、客室の等級を表している。この「イ」は、1等客室のことで、2等を「ロ」、3等を「ハ」と表しているが、1960年に1等と2等の2等級制となった時点で、イが廃止され、1等のロと2等のハが残った。さらに1969年には1等がグリーン車、1等寝台車はA寝台、2等を普通車、2等寝台車はB寝台車という呼び方に変更されている。今でもJR九州の新幹線以外の車両を見ると、グリーン車は「ロ」、普通車は「ハ」という形式番号がついている。ちなみにマイの後にネと表記されている車両は寝台車、マシのシは食堂車のことだ。今回「ななつ星」の形式番号では、制度上、廃止された「イ」が復活して使用されている。鉄道ファンには、戦前戦後の特急「つばめ」で使用された豪華展望車のマイテ39を連想させられる。ななつ星がグリーン車やA寝台よりさらに豪華な車両というJR九州の自負がそこには感じられる。(2013.11.27)
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水のいのち

2013年11月25日 | ポエム

▲南阿蘇の垂玉温泉近くの山道。名残の紅葉がきれいだった(2013.11.24)


 水のいのち


天より下った水のいのちは
生まれ育った山に見守られながらも
ひとつの谷川の流れにまじり
さらに大きな川へ出た
くねくねと曲がり
ゴツゴツの岩をけずり
がむしゃら流れ
ある時はよどみ
流れは どうしようもない力で
低い方へと向かって行く

お前は何をするのだ
海に向かって
再び天に昇る日まで
お前は何をするのだ

まずは少し
漂ってみることにしよう
(1978.2.25)
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何もしない日

2013年11月23日 | ポエム

 何もしない日 ( 一日の意味 )


遅く起きた朝は
もう一日がどうでもよくなる
その時点で すでに
僕は 一つの戦いに敗れている

こう自分にあまえていては
せっかくの自分の自信も
たよりなくなってしまう

嘘がすぐ顔に出る自分は
電話では半分だけ嘘が言える
手紙ではさらに嘘がつける
でも日記には 嘘を書かない
なぜなら
嘘は人につくためにあるから、
だけど
自分の決意を言葉にすると
結果的に嘘になることがある
こう自分にあまえていては
みんな嘘になってしまう

何もしない一日の中で
食欲は正直だ
三度の食事だけは 作って食べる
コーヒーも飲む
わざわざサイフォンでいれる
煙草も吸う
どんなに寒い日でも
煙草だけは買いに行く
それらは ちっとも苦にならない
(だからと言って
 少しも旨く感じない)

何もしない一日の終わりに
女のことを考える
そこには未知の魅力がある
未知をお金で買うことは
やっぱり 嘘だから
後悔しないだけ 自慰の方がましだ
そう言ってみても
女のことを考える
性欲も正直だ

そんな風に
何気なく正直に
絵や詩が出来たら
どんなに良いだろう
一つでも出来たら
飯が旨い
コーヒーも煙草も旨い
ほっとして女のことも考えられる

何もしない一日で
絵や詩が出来なかった日は
自分の顔が醜く見える

自分の目で
自分の目を
見ることが出来ない
鏡をのぞいては
醜い自分を
嘲って 嫌になる

(嫌になる日はまだましだ)

もっとどうでもよいときは
鏡の中の自分に
ベロベロバーをする
自分の顔をだまそうとする

何もかもに嘘があるけど
僕の詩は 本当だ
詩に嘘をつかないうちは
詩は僕を救ってくれる

一日に一つ
何かがつかめればいい
一日に一つ
何かが見えればいい

それが真実の一日
(1978.3.1~2012.1.9)

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深夜放送

2013年11月21日 | ポエム

 深夜放送

真っ暗な部屋の布団のなかで
僕はじっと天井をみている
ラジオの声は都会の香りをのせて届く

ここは僕の故郷
東京で一人眠るとき
思い出していた
石垣のある裏路や
神社の横の大きな楠の木の
すぐそばで、僕は今眠る
あんなにあこがれていた僕の故郷

僕はじっと天井をみつめる
ラジオは都会の雑踏をのせて来る

おやあ、何も見えないので
東京のアパートに寝ている様

しかし
じきに明るくなり
部屋の様子がわかるでしょう
漁船の汽笛が聞こえます
ラジオと汽笛の二重奏
これじゃあ都会の香りも
たちまち消えてしまいます
(1976.5.15~2011.1030)
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