サンタになれなかったお話
私は小学校の5年生の2学期から、生まれ育った大矢野島を離れ熊本市内に住むことになった。兄弟5人いて、熊本市内の高校に皆、進学予定だったから、長兄が高校に入る機会に熊本市内に父が家を建てたのだ。当初は、兄と姉、私の上3人と祖母、従姉の5人で暮らし、数年後に妹二人も市内の家にやってきた。両親は父の仕事場のある実家で暮らし、週末や何かあると市内に出て来た。
熊本市内の小学校に転校すると、野山を駆け巡っていた生活から、学校から帰ると本やマンガを読んで過ごすことが増え、家にこもりがちになった。駆けっこや体操などのスポーツも得意で均整のとれていた身体は、元来母親譲りの太りやすい体質と運動不足で、みるみる太って肥満児となってしまった。
外遊びなどの生活習慣の変化もあったが、原因の一つは学校の給食だった。天草にいる頃の給食は、私にははっきり言って苦痛だった。牛乳の代用品の脱脂粉乳は、後にココア入りが提供されてどうにか飲めるようになったが、魚のメニューが多く、当時魚嫌いだった私は毎日涙目になって給食を食べていた。大人になって少しずつ魚が食べられるようになったが、当時の給食の魚を出されたら、今でもたぶん拒否してしまうのではないだろうか。
ところが同じ時代の給食なのに、熊本市内の小学校に転校すると、脱脂粉乳は瓶入りの本物の牛乳だったし、固いコッペパンはやわらかい食パン。メニューも天草ではあり得ないオムレツやスパゲティーミートソースなどもあり、毎日美味しくて夢のような給食だった。
そんな風に転校して肥満体格なった私は、そのことにコンプレックスを抱きながらもそれ以来つい10年程前にダイエットするまで、ほとんどの時代の写真やビデオを見ても、我ながらパンパンに太った体型を維持し続けてきたのだ。
中学校の時に、理由はもう思い出せないが、部活で「英会話クラブ」に入っていた。年に一度の発表会には、英語劇をすることになっていて、私がいた年は、シェークスピアの「リア王」という劇をした。私はリア王の娘の夫役を演じることになった。そう言えば、その時にリア王を演じた同級生の吉岡裕一君は、その後俳優を目指して、あのNHKの名作ドラマ「おしん」などにも出演して、おしんの兄役を演じた。私はおしんの兄役の俳優さんと舞台で共演したのだ。劇の内容や様々なことはほとんど覚えていないが、発表会がらみで印象に残った出来事があった。それは出演者の衣装合わせのときに、誰かのベルトの色が問題となり、私の持っていたベルトを貸すことになったことだ。私の自宅が通っていた中学校から徒歩1分の距離にあり、授業などでも理科の実験か何かで家にあるものが必要になると、先生から頼まれて家に走ったことも何度もある。その時も何も考えずに自宅に走り、私は自分の持っている良さそうな色のベルトを彼に差し出した。が、彼と私のウエストはあまりにも違い過ぎた。彼が一番小さい輪になるはずの穴に通しても長過ぎて余ったベルトは、その場の人の大爆笑を買い、私の好意は大恥を招いたのだ。
高校生の頃、当然私は太ったままで、家でクリスマスイブを迎えていた。
その頃いいなあと思っていたガールフレンドから電話がかかってきた。同じ高校の一学年後輩の彼女は、私が所属していた美術部で絵を描く際にモデルをつとめてくれて、親しくなった。人生で初めて自分の家に招いた女の子だった。
ドキドキしながら出た電話の用件は、クリスチャンの彼女が所属する教会のこども学校で、私にサンタクロースをやってもらえないかということだった。サンタ役の人の都合が悪くなり、ピンチヒッターを私に依頼してくれたのだ。もちろん彼女が困った時に自分を思い出してくれたことに対して、私の気分は高揚した。でも次の瞬間、あの中学のときの大恥をかいた出来事を思い出したのだ。そのサンタの服が私には小さ過ぎて入らなかったら‥‥。
そして私は彼女の依頼を断ってしまった。もしその時に、恥を考えず勇気を出してサンタクロースになっていたら、彼女との関係はどうなっていただろう。人生にはそんな「もし」がいくつかありますね。
(2013.12.30)佳い新年をお迎えください。