雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

バス通学と女学生

2012年09月25日 | ポエム

 バス通学と女学生

 昭和40年代の後半の3年間、私は入学祝に親に買ってもらった自転車で熊本市の立田山の麓にある熊本県立済々黌高校に通った。
 学校が楽しくて、毎朝ワクワクしながら早朝に家を出て、全力で自転車のペダルをこぎ続けて、20分で済々黌に到着した。学校内でも何番目かに早い登校だった。嫌いなマラソンや水泳、出席番号と日付で今日あてられると解っている怖い先生の授業がある日はさすがにペダルが重くなったが‥‥。
 雨の日は、「出水中学前」から「子飼」というバス停まで熊本市営バスの「第2環状線」という路線に乗車した。
 この熊本市営バスの第2環状線の朝一番早い便に乗るのだが、環状線だけにぐるっと遠回りをするので、朝の道路の混雑も重なり、バス通学は小1時間かかった。この路線の朝の1便には、時折当時熊本でもめずらしくなりつつあったボンネットバスが仕様につくことがあった。
 このバスが、本当にポンコツだった。
 まず方向指示器が電気式ではなく、前面の窓の両側の桟に取り付けられた腕木だった。自転車が右折左折をするときは、腕を90度あげて曲がる方向を示すが(最近はそんなことをする人をほとんど見かけないけど)、それと同じように、このバスはライト式のウインカーに代わって、木か金属でできた赤い腕木が曲がる時にパタンと90度倒れ、曲がる方向を示すのだった。
 ある時など、突然運転手がバスを停めてあわてて外に飛び出たので何事かと思って見ていたら、ワイパーを手に戻って来た。運転席側ではなかったが、雨の日の運転で作動していたワイパーが何の拍子か外れて飛んで行ったのだ。
 同じバス停から乗る済々黌の1学年上の美人の先輩がいた。家も近所で、見かけると必ずあいさつを交わした。バスは私達が乗り込む「出水中学前」の停留所の時点で、椅子に座れるか座れないかその日によって微妙な混雑具合だった。私はバスに乗り込み席を確保すると、その先輩に席を譲ったりもした。すると先輩は「ありがとう」と言って私が確保した席に座ってくれ、その後で私の辞書や教科書や弁当でパンパンに膨れた重い通学鞄を奪うようにつかみ、自分の膝の上に置いた自分の鞄の上に重ね、抱きかかえるように持ってくれた。
 その先輩の右手だか左手だか記憶は無いが、少し奇形があった。鞄を抱える奇形の手を隠すことなく堂々としている美人の先輩が誇らしかった。
 第2環状線のバスは、その後も停留所の度に、沿線にある高校の生徒を詰め込んで行き、降車する「子飼」の手前では、いつもぎゅうぎゅう詰めとなった。その大半が女生徒で、またその多くが済々黌のとなりにある九州女学院という私学の女子校の生徒だった。私の下の妹と、妹の一人娘、そして実は私の妻も(出会ったのはずっと後だが)九州女学院、通称九女の出身である。今はルーテル学院と名前を変え、男女共学となっている。
 滅多には無かったが、バス通学をした日に、学校から熊本の繁華街に行く用があるときは、黌門を出てすぐの通りにある「済々黌前」という停留所から熊本電鉄バスに乗った。ところが、中心街方面行きのバスの一つ前の停留所が、「九州女学院前」だったので、放課後のバスは、すでに九女の生徒で満員状態となり、「済々黌前」に停まって乗車口のドアが開いても、済々黌の男子生徒には、女生徒をかき分けるように乗り込む勇気は無かった。そうやって1台見送っても次に来たバスも九女の生徒で満杯で乗れなかったりした。
 家人にそのことを話すと、バスの中では、済々黌の男子生徒が乗るか乗らないか、九女の生徒は皆、密かに注目していたとのこと。
「乗りませんか?発車しまーす」という運転手のアナウンスの後に、走り去るバスの中からは、女生徒達の拍手混じりの歓声が聞こえた。
 朝の第2環状線もまた九女の生徒でいっぱいだった。
 そのかしましいこと。かしましいこと。私はそれだけでも閉口した。その上に、彼女達は降りるべき「子飼」のバス停についても、おしゃべりに夢中のあまり降りることに気がつかないで、とうとうバスが動き出すことも1回や2回ではなかった。同じバスに乗る男子生徒数人もいっしょに巻き添えをくった。
 その話をしたら「降ります、と声を出せばいいじゃない」と家人は言うが、大勢の女生徒前で大声を出すくらいなら、一つ先の停留所から戻って歩くことの方がましだと考えた。
 今、自分で考えても、理解出来ない程の純真さを持っていた高校生の私だった。
(2012.9.25)

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1 コメント

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おじゃまします (きなこ)
2017-10-31 07:13:51
はじめまして。
私は先輩より10年ほど若輩になりますか、同じく済々黌の卒業生であります。
九女の生徒にまみれて(文字通りそんな状態)雨で自転車に乗れない時はバスで登黌したことが何度もありますが、女子でも同じでした。
私は繁華街から電鉄バスに乗っていましたので、九州女学院前より済々黌前のほうが手前です、早く降りねばなりません。
「すみませーん!!降りまーす!!」と叫びながら九女の生徒をかき分けかき分け、あれは女子生徒にもつらいものがございました。
話の内容も聞こえてきますが、女子高と言うのは恐ろしいところだ・・・という印象があります(話の内容は覚えていませんが)
私が済々黌に通っていた時代はまだ男子のほうが人数も多かったので今の済々黌の男女比にびっくりしております。
また懐かしいお話、情緒ある詩など拝見させていただけたらうれしゅうございます。
突然のコメント失礼いたしました。
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