私が卒煙に成功した理由(1)
私は高校1年生の時に初めて煙草を吸い、高校卒業後は未成年でありながら18歳で習慣的に喫煙するようになってしまった。以来、40歳代前半までは自分は生涯煙草をやめることはないと思っていた。それがだんだん歳をとるに連れ、煙草の匂いや自身や周囲への健康被害のことが気になってきて、やめられるならやめたいという気持ちが心の隅に生まれていた。
初めて人から喫煙習慣を注意されたのは、45歳の頃だったか。ある社会的なボランティアの会の旅行の酒席で、私の前に座った10歳程目上の方から「あなたは医療に従事しながら煙草を吸うのはいけない」とストレートに言われた。正しいことを言われていると思ったが、正直心の中では反発しか感じなかった。
それから数年後に、今度は友人から医療従事者が煙草を吸うべきでないと同じことを言われた。その友人も医療従事者だった。今度は「そうだよなあ」と素直に反省することが出来た。でもすぐに止める決心はつかなかった。
そのあと出張先で、仕事を一緒にした女性とご飯を食べに行った時、その女性から「煙草をやめませんか」と言われた。私もやめたい気持ちがだんだん大きくなっていることを伝えると、「じゃあ、やめられますよ。もう十分吸ったでしょう。煙草を卒業しましょう」と言ってくれた。
3人の方に煙草をやめるように言われたことにより、私の中の卒煙の意思が日増しに大きくなった。数ヶ月後には、父が煙草をやめた50歳になろうとしていた。「自分も50歳になったら、煙草をやめよう」と心の中で密かに決めた。
実は私にはプチ禁煙の経験があった。3日間とか、10日間だが、一番長い記録は3ヶ月間だった。その時は禁煙することに「願」を掛けていた。その願いが叶わないと分かった瞬間から、あっさりと喫煙者に逆戻りした。でも後で考えたら、その無駄に思えた数回の禁煙に挑戦した経験が活きた。禁煙を失敗しても何度でも挑戦すればいい、と。
卒煙予定の50歳の誕生月の2ケ月前のある日、私は突然「もういいか」と思った。今なら失敗しても誕生日まではまだ40日以上あるからやり直せる。誕生日の前日に悲壮な決意で断煙するより、今すぐやめた方が気楽だ、と考えた。それも最後の一箱を吸ってしまってからではなく、「もういいか」と思った瞬間からやめることにし、残った数本の煙草をゴミ箱に捨てた。
はじめの3日間は苦しいことを覚悟して、ひたすら我慢した。3日間のハードルを飛び越えた後、私に卒煙を勧めてくれた女性にだけ卒煙にチャレンジを始めたことをメールで伝えた。彼女はとても喜んでくれ、褒めて励ましてくれた。その後は、ニコチンの禁断症状より口さみしい、物足りない思いの方が苦しかった。1週間、10日、1ヶ月。迷惑だとも思ったが私は彼女に禁煙が続いていることを報告し、彼女からは励ましのメールが届いた。正直、彼女に報告し励ましてもらったことが大きかった。ここでまた喫煙をはじめたら、いつかその女性に再会した時にカッコ悪いぞと思ったことも我慢の大きな力になった。そして密かに決心していた50歳の誕生日を禁煙したまま迎えることが出来た頃、さらに仕事場をはじめ、いろんな場所で卒煙を公表した。私の卒煙を知る人が周囲に増えることで、いよいよ「もう吸えない」という決意が固まった。
そうやって、日に日に煙草から遠ざかっていった。食後に、仕事が一息ついた時に、お酒の席で、口さみしい、物足りない思いは続いたが、そんな時は「煙草は不味い。煙草はもういらない」と心の中で自分に暗示をかけた。それでも煙草を吸って「しまった」と冷や汗をかいて目が覚める夢を5年間見た。
私が卒煙の成功したのは、自身が「もう煙草はいいかな」と思うようになったこと、3人の方が私のことを思って禁煙を勧めてくれたこと、誕生日や元日などの記念の日を卒煙のタイミングに選び、その1ヶ月以上前からチャレンジを始めたこと、数回のプチ禁煙の経験があったこと、励ましてくれる人がいたこと、などがある。だから次は自分自身が喫煙者に卒煙を勧める3人の一人になりたいと私は思っている。
(2014.1.29)