雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

私が卒煙に成功した理由(1)

2014年01月31日 | エッセイ


 私が卒煙に成功した理由(1)


 私は高校1年生の時に初めて煙草を吸い、高校卒業後は未成年でありながら18歳で習慣的に喫煙するようになってしまった。以来、40歳代前半までは自分は生涯煙草をやめることはないと思っていた。それがだんだん歳をとるに連れ、煙草の匂いや自身や周囲への健康被害のことが気になってきて、やめられるならやめたいという気持ちが心の隅に生まれていた。
 初めて人から喫煙習慣を注意されたのは、45歳の頃だったか。ある社会的なボランティアの会の旅行の酒席で、私の前に座った10歳程目上の方から「あなたは医療に従事しながら煙草を吸うのはいけない」とストレートに言われた。正しいことを言われていると思ったが、正直心の中では反発しか感じなかった。
 それから数年後に、今度は友人から医療従事者が煙草を吸うべきでないと同じことを言われた。その友人も医療従事者だった。今度は「そうだよなあ」と素直に反省することが出来た。でもすぐに止める決心はつかなかった。
 そのあと出張先で、仕事を一緒にした女性とご飯を食べに行った時、その女性から「煙草をやめませんか」と言われた。私もやめたい気持ちがだんだん大きくなっていることを伝えると、「じゃあ、やめられますよ。もう十分吸ったでしょう。煙草を卒業しましょう」と言ってくれた。
 3人の方に煙草をやめるように言われたことにより、私の中の卒煙の意思が日増しに大きくなった。数ヶ月後には、父が煙草をやめた50歳になろうとしていた。「自分も50歳になったら、煙草をやめよう」と心の中で密かに決めた。
 実は私にはプチ禁煙の経験があった。3日間とか、10日間だが、一番長い記録は3ヶ月間だった。その時は禁煙することに「願」を掛けていた。その願いが叶わないと分かった瞬間から、あっさりと喫煙者に逆戻りした。でも後で考えたら、その無駄に思えた数回の禁煙に挑戦した経験が活きた。禁煙を失敗しても何度でも挑戦すればいい、と。
 卒煙予定の50歳の誕生月の2ケ月前のある日、私は突然「もういいか」と思った。今なら失敗しても誕生日まではまだ40日以上あるからやり直せる。誕生日の前日に悲壮な決意で断煙するより、今すぐやめた方が気楽だ、と考えた。それも最後の一箱を吸ってしまってからではなく、「もういいか」と思った瞬間からやめることにし、残った数本の煙草をゴミ箱に捨てた。
 はじめの3日間は苦しいことを覚悟して、ひたすら我慢した。3日間のハードルを飛び越えた後、私に卒煙を勧めてくれた女性にだけ卒煙にチャレンジを始めたことをメールで伝えた。彼女はとても喜んでくれ、褒めて励ましてくれた。その後は、ニコチンの禁断症状より口さみしい、物足りない思いの方が苦しかった。1週間、10日、1ヶ月。迷惑だとも思ったが私は彼女に禁煙が続いていることを報告し、彼女からは励ましのメールが届いた。正直、彼女に報告し励ましてもらったことが大きかった。ここでまた喫煙をはじめたら、いつかその女性に再会した時にカッコ悪いぞと思ったことも我慢の大きな力になった。そして密かに決心していた50歳の誕生日を禁煙したまま迎えることが出来た頃、さらに仕事場をはじめ、いろんな場所で卒煙を公表した。私の卒煙を知る人が周囲に増えることで、いよいよ「もう吸えない」という決意が固まった。
 そうやって、日に日に煙草から遠ざかっていった。食後に、仕事が一息ついた時に、お酒の席で、口さみしい、物足りない思いは続いたが、そんな時は「煙草は不味い。煙草はもういらない」と心の中で自分に暗示をかけた。それでも煙草を吸って「しまった」と冷や汗をかいて目が覚める夢を5年間見た。
 私が卒煙の成功したのは、自身が「もう煙草はいいかな」と思うようになったこと、3人の方が私のことを思って禁煙を勧めてくれたこと、誕生日や元日などの記念の日を卒煙のタイミングに選び、その1ヶ月以上前からチャレンジを始めたこと、数回のプチ禁煙の経験があったこと、励ましてくれる人がいたこと、などがある。だから次は自分自身が喫煙者に卒煙を勧める3人の一人になりたいと私は思っている。
(2014.1.29)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紙ひこうき

2014年01月29日 | ポエム


 紙飛行機


雨の降る日は
白い紙を折って
紙ひこうきを作ろう
梅雨が明けたら
青い空に浮かんだ白い雲みたいに
思い切り空を飛ばそう
(1976.6~2012.6.5)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人形

2014年01月27日 | ポエム
 人形 ( 東京にて )

壁に吊られたお人形
布の小さなお人形
疲れてあなたを見るときも
さみしくあなたを見るときも
悲しくあなたを見たときも
あなたはいつも笑ってる
今のぼくのこころのささえ
小さな小さな笑顔でも
ぼくには大きなあかりです
お人形さん!
お人形さん!
 あなたは笑っているのでしょう
(1974~2012.3.14)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私が人に卒煙を勧める理由

2014年01月25日 | エッセイ

 私が卒煙を人に勧める理由


 立場が変われば、人間って自分勝手だなあと思う機会はたくさんあるが、飲食店で近くの席の人が煙草を吸うことを迷惑だと感じるときもその一つだ。
 私はかつて30年間に渡って、煙草を1日30本は吸っていたヘビースモーカーだったからだ。煙草の受動喫煙が問題視され分煙化が進むようになってからは、さすがに飲食店や公衆の場での喫煙は控えるようになったが、それまでは周りの迷惑に全くの無頓着であった。ところが卒煙をして数年すると、やたらと煙草の匂いに敏感になった。コーヒーや蕎麦など、香りを楽しみたい店で煙草の煙の匂いがしてくると途端に幸せな気分が台無しになり、喫煙している人の無神経に腹が立ってくるのだ。以前の自分がどれだけ周りにいた家族・友人・知人・赤の他人に迷惑をかけて来たのだと今更ながら身の縮まる思いである。
 私が今この文章を書いている目的は、読者の中の喫煙者に卒煙を勧ることが第一。周りの喫煙者に卒煙を勧めたいと思っている人がいたら、卒煙を勧める際の参考になればよいと考えることが第二だ。30年間ヘビースモーカーだった私が、自分の断煙の経験を踏まえて、可能な限り多くの人に断煙を勧めることは私の義務であり、そのことで少しでも喫煙者だった頃の罪滅ぼしが出来ればと考えている。
 私が積極的に人に卒煙を勧める理由は、確かに禁煙することには苦しい時期があるが、それを乗り越え卒煙した前と後のビフォー・アフターを比較すると、アフターの良い点ばかりで何一つ悪い点が無いと自分自身が強く感じているからである。
 また私が喫煙をしていた頃に、私に卒煙を勧めてくれた人が3人いたが、そのときは少し煙たい話しだと内心思ったことも事実だが、卒煙をすることが出来た後は、その3人に対して心から感謝しているからだ。
 もちろん私は、私の周りで煙草を吸うすべての人に対して、卒煙を呼び掛ける訳ではない。身近で、ある程度の信頼関係があり、この人には長生きして欲しいと思う人に対して、卒煙の話をするのだ。実際、現時点で私が卒煙を呼び掛けた人は数人に限られている。だからより多くの人に目を通して頂けるブログでいつかは卒煙の話しをしたいと思っていたのだ。
 禁煙のマイナス面でよく耳にすることが、体重が増えること。確かに朝起きてからのムカムカした気分が無くなり爽快な朝を迎えるようになると、朝食がさらに美味しい。また口寂しいので、煙草の代わりにあめ玉やガムなどを口にするために、それが体重増加の原因になっているようだ。でも断煙と体重増加は別問題で、少々の体重増を補って余りあるプラス面があると私は考える。
 では、煙草を止めて良かったことは何だろう。具体的に上げてみると、まず喫煙によって誘発される様々な疾患に対するリスクが減った。今更と思う年配の方もおられるかもしれないが、何歳であっても今日断煙すれば、明日断煙するよりリスクが減るそうだ。
 副流煙で起きる周りの人への健康被害が無くなった。年々禁煙ゾーンが増えて、旅先などで喫煙場所が見つかる迄イライラしながら探しまわる必要がない。部屋や車の中、服や髪の毛の臭い匂いも無くなった。自らPM2.5を吐き出していた訳で、地球環境にもいい。朝からの吐き気や、喉の不快感、痰が減った。爽快な気分で朝を迎えられることだけでも何と言う大きな幸せだろう。
 そしてさらに、今や1箱400円以上する煙草の価格。1日30本以上吸っていた私が今も煙草を吸っていたら、月に平均1000本吸っていたとして、月50箱2万円。1年間で24万円は煙となって消えていたことになる。毎年豪華な家族旅行が出来そうだ。
 喫煙者で、この文章をここまで読んで下さった方は、たぶん心の底では煙草を止めたいと思っている方です。もう煙草は十分。煙草を卒業しませんか?いいことばかり。ただ喫煙していた当時の私の月に1万数千円はかかっていた煙草代は、吸わなくなった今何処に行ったのだろうと時々とても不思議になる。(2014.1.24)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

火遊び

2014年01月23日 | ポエム


 火遊び


古い手紙を持ち出して
みんなみんな火をつけた
遠い日の幼いあやまちが
赤い炎となって燃えあがる

たくさんの文字が僕を見ている
遠い日の面影がみんな笑っている

僕のこころのためらいのように
雨がときどき火を消して
また火をつけると
美しい真っ黒な灰が残った
(1976.6.21~2012.2.28)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする