雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

ホタルの川

2012年05月29日 | ポエム
                 ▲数年越しにやっとツクシイバラを観に行きました。(5月27日撮影)


▲熊本県球磨郡錦町の球磨川の広々とした河川敷に自生するツクシイバラ。
 南九州固有の野生種で、白から濃いピンクまで可憐な姿を見せていた。


 ホタルの川
 二人の子ども達は、巣立ったのか、していないのかはっきりしないが、私の家庭も夫婦二人の行動が多くなった。さみしいが保護すべき子どもがいるうちは出来なかった、夜家をあけて何処かに出かけることも気軽に可能となった。
 ここ数年、時期になると旭志村のホタルを観に行くことが、夫婦の年中行事の一つとなっている。
 私が幼い頃、昭和30年代には、田んぼの上にも時期になると無数のホタルが飛び交う様子が見られた。特別にホタルを観に出かけなくても水辺から迷い飛んだホタルが頼りなげに飛ぶ姿が我が家の庭でも見られた。
 幼い兄弟は、水で濡らしたヨモギの葉を入れた虫かごを持って、裏の田んぼに出かけ、道端の草に飛んで来たホタルを手で数頭捕まえては、家に持ち帰って眺めた。そして寝る時間がくると、蚊帳の中にそのホタルを放ち、電燈を消した部屋で、幻想的な明かりを見ながら幸福な眠りについた。
 ある夜、車で出かけていた父が興奮して家族を呼び寄せ、すぐに皆で車に乗って出かけた。
 父が興奮して家族に見せた光景は、車で10分も走らない近所の里山の小川に舞うヘイケボタルの乱舞であった。川の上空数メートルに、川の形に一斉に点滅するホタルの光。この世のものとは思えない美しさに、幼い私は全身鳥肌が立った。美しさを越して恐ろしささえ感じてしまった。後にも先にもあれほどの数のホタルの光を見たことが無い。何歳の出来事だったのだろう。曖昧な記憶の一遍は、年とともに美しさを増幅させて来たのかもしれない。
 熊本県の旭志村は、全国ホタル100選にも選ばれたホタルの里である。専門家に「日本一のゲンジボタルの生息地」とも言われたとか。毎年5月中旬から6月初めには、県内外からホタルを目当てに多くの人が押し寄せる。大型のゲンジボタルは、体調が1.5センチあり、捕まえて両手の掌に包み込むと、指の間を抉じ開けて外に出ようとする位の結構な力を持っている。
 車を臨時の駐車場に停めたら、有数の酪農地帯の牛舎から漂う香りに鼻を刺激されながら、二鹿来川と渡瀬川の二つの小さな川に挟まれた田んぼの脇の真っ暗な農道を歩く。すぐに川の上を舞い飛ぶ数頭のホタルを発見するが、渡瀬川が田から片面を杉と竹で覆われた斜面に沿って流れる地点まで来ると、川や斜面の竹や杉の木に、たくさんのホタルが止まったり飛んだりしながら点滅しているのを見ることが出来る。ピークはその先の川がやや広がりゆるいカーブをした地点で、舞台のような斜面の木の数本が、南の島にあるというホタルツリーのように、蛍の光で木の形にゆっくりと点滅を繰り返している。
 地元の案内人の方のお話によると、上陸頭数が多いのは、旭志村では決まって5月30日だという。日が暮れてからの7時半から8時半までの1時間程が乱舞のピークだそうだ。雨が降ってもホタルの飛翔に影響は少ないが、天気が良くても風が強いと飛ばない。また気温が低過ぎても飛ばないという話だった。
 これら様々な条件を全て満たしたときに、どれほどの数のホタルが飛ぶのか。
毎年ではないが、旭志村には20年近く通っている。九州各地から訪れる観光客は間違いなく増えて来ている。だが、風が強かったり、気温が低かったりで、初めて訪れたときの頭数を越える年はない。ホタルが川の形を成すように集まって飛翔することは、地元の人達の1年を通した努力もさることながら、まさに奇跡のような瞬間なのかもしれない。
 様々な環境の変化で、ことに農薬の使用などの現在との大きな違いはあるが、私の幼い頃、その奇跡の一瞬を見たのだと思う。今年こそ、その奇跡の瞬間に再び出会えるかもしれない。
(2012.5.22)
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真っ暗闇を知っていますか?

2012年05月22日 | ポエム


 真っ暗闇を知っていますか?

 5月21日は、私の住んでいる熊本市は厚い雲がたれこめ、日食どころか太陽の位置さえ分からなかった。でも日本の多くの場所で太陽と地球の間に月が入り込む日食や金環食が観測されたようで、テレビを中心に大騒ぎだった。今は誰がどのように計算するのか、日食が起きるほとんど正確な日時が分かっているからいいが、太古の人間や動物は訳が分からず畏れおののいたことだろう。現代の子ども達は、日食を見ても畏れの念をいだくことはまず無いだろう。
 例えば、読書の皆さんは、目を開けていても一切何も見えない真っ暗闇を経験したことがあるだろうか。
 夜中にふと目を覚まし、暗闇に目を開くことがある。部屋の照明を点けないでいても、しばらくすると部屋の中の様々な電化製品が通電待機中であることを示す小さな赤や緑のパイロットランプの、日頃は感じることの無い明るさで、部屋の様子がぼんやりと見えてくる。テレビ、レコーダー、携帯電話、冷蔵庫、電気蚊とリ。
 真っ暗闇を経験することは難しい。
 私の実家のある町では、夜中に真に真っ暗闇を経験することができる場所がある。もちろん、見渡す限り家は一軒も無く、遠くにも近くにも家の明かりは一切見えない場所だ。当然、街灯なども無い。畑の中の道路際の一体誰が買うのだと疑問に思う様な自動販売機も無い。車で走って来て、ランプを消し、エンジンを切ると、突然真っ暗闇が押し寄せて来る。ただし、夜でも月が出ていたら明るいし、天気が良いと満天の星で真っ暗闇とはならない。
 真っ暗闇を経験することは難しい。
 だからと言って、人工的に光が漏れない真っ暗な場所を作っても、暗闇の質が違うように思う。
 昼間同じ場所を車で通る時は、木々の緑がきれいだと感じ、田や畑を吹き来る爽やかな風を感じるが、真っ暗闇の中で同じ場所にたたずむと、突然、周りからの敵意のようなものを感じる。目の前に自らの手をかざしても見えない暗闇。無防備な小さな自分と、何かそこにある畏れの念を抱かせるものを意識する。
 時々人はそんな風に真っ暗闇を経験した方がいいと私は思う。
(2012.5.22)

▲見出し画像。山小屋の、かってドラム缶風呂を楽しんだ錆びた缶の渕に雨蛙が180度離れて向きを逆に2匹いた。面白いとシャッターを切ったが、写真の技術が無く、2匹を同じ画面にうまく捉えることが出来なかった。
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小鳥の巣箱

2012年05月11日 | ポエム



▲これが今年の新築物件。捨てられていた味噌樽を使った巣箱。
 見出し画像は庭のツルバラ。切ったときは、ほとんど白だった。


 小鳥の巣箱
 今年のゴールデンウィークは、後半の4日間、仕事が全て休みとなった。
 しかも熊本は、毎日が行楽日和で、趣味の園芸家としては、雨が降らず、一日作業が出来ることがうれしい連休だった。また仕事場のある天草は観光地なので、地元の景気に大きな影響がある連休の晴天は単純にうれしい。ただ予想以上に晴れが続いたので、4日の夕方、熊本市内の自宅から実家の仕事先の上天草市まで、わざわざ花の水やりに行った。(近所の人にお願いするのを忘れたのだ。)
 3日と4日の二日間は、自宅の庭まわりの掃除や園芸作業を行った。朝は肌寒く上着を着て作業を始め、どんどん気温が上がり、すぐにまず上着を脱ぎ、ポロシャツも脱ぎ、半袖のTシャツ1枚となった。風がさわやかだった。
 5日は、母黌の濟々黌の野球部の公式戦があるというので、朝から熊本城の近くにある球場に出かけた。途中にあったわずか数百メートル足らずの急な坂道にも足が重くなる我が身に較べて、全員頭髪を青々と剃り上げ、常に全力で走り回る高校生のプレーは見ていて清々しかった。試合は二度先制勝ち越しをされ二度追いついたが、終盤8回に3点入れられて負けた。もう一つの楽しみである黌歌斉唱も無かったが、十分野球観戦の魅力を堪能した。夏の活躍が楽しみだ。
 自宅に戻り、3時のオヤツを食べてから、南阿蘇村にある山小屋に向かった。一人で出かけた僕を出迎えてくれたのは、巣箱を出入りするシジュウカラ。もう20年近く前に、僕が自作した巣箱には、毎年のようにシジュウカラが営巣して、何回かは巣立ちも確認した。巣立ったばかりの巣箱の横にある電線にずらっと5、6羽並んで逃げず、見上げる僕に巣箱のお礼を言ってくれているように勝手に想像した。今年も親鳥が虫をくわえて穴に入り、糞らしいものをくわえて、穴から出ることを繰り返しているので、すでに雛が孵って子育て奮闘中らしい。
 今年新たに作った小さな味噌桶の廃物利用した巣箱を新たにかけた。
 翌日は、友人一家と関係者が昼前からバーベキューをしに訪ねてくるので、僕は一足先に来て、泊まりがけで掃除や草刈りをした。夜には、唐津から妹夫婦も泊まりに来た。一番にお風呂に入った妹が風呂場で大きなムカデを発見。自然が豊かということは嫌な出会いもある。
 連休最終日の朝は、名前を知らない鳥の美しいさえずりと、昨日田植え前の田に姿を見せていたキジの「ケーン、ケーン」と鳴く声で目が覚めた。幸福なモーニングコールだ。それからうつらうつらと微睡みながら、いい加減外も明るくなって「もう7時か8時かしらん」と思って、携帯電話で時刻をみたら6時を過ぎたばかり。これも歳をとった証拠だ。
 7時過ぎには3人とも寝ていることが我慢出来ずに起きだして、50代の3人で早起きを笑った。シジュウカラは朝から頻繁に出入りを繰り返している。驚いたのは、昨日かけたばかりの巣箱に、スズメの夫婦がマイホームの物色に来ていたことだ。昼前に見ると、巣作りを決断したのか藁をくわえて出入りしている。丸い樽型の新築物件は、気に入っていただけたようだ。
 昼前には、友人一家と関係者、そしてカミさんと長男がやってきて、総勢17、8名となり急に賑やかになる。我が家とは、お互いが結婚する前から知っている長い付き合いで、友人夫婦の男3人の子ども達は、当然生まれてすぐから知っている。
 この山小屋も建てて22年になる。友人夫婦の3人の子どもと僕の長男と長女が小さい頃は、ここで一緒に遊び、バーベキュウーよくやった。しかしその日は、材料の買い出しから炭おこし、料理もすべて子ども達が計画実行し、親たちは、鳥の雛のように目の前の皿に若い人に提供される肉や野菜を食べるだけだ。お酒にも気を配ってくれて、無くなる前に次から次にサービスしてくれる。歳をとるのも悪くない思いがした。
 お酒を飲み、煙草を吸うようになり、図体は親よりもはるかに大きくなっても、僕の長男と同様に、まだ全員が親と同居している。
 巣立っても近くの電線に並んでとまっていた、あの時のシジュウカラの雛たちの姿と重なった。
(2012.5.11)
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