雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

レールの響きとポパイ

2012年06月29日 | ポエム
   ▲三角線で人気の観光特急「A列車でいこう」。三角駅付近。(2011.10.8)

 レールの響きとポパイ
 通勤時に往復する国道57号線は熊本県の宇土半島で、海岸線の北側を半島の付け根にある宇土から半島の先端にある三角までJR三角線とほぼ平行して東西に通っている。
 一部の区間では、国道と線路が並走しており、鉄道好きの私としては、単純に線路や駅や踏切などの鉄道の施設や走る列車が見られてうれしい。またうまくタイミングが合えば、走る列車としばらく並走出来る楽しみがある。
 熊本駅を朝7時23分に出発し、終点三角駅に8時17分に到着する2両編成の三角線下り普通列車がある。私が熊本市内の自宅を自家用車で7時過ぎに出発すると丁度国道と三角線が並走する区間をこの下り普通列車と前後して走ることになる。
 上り列車と列車交換する住吉駅辺りで出会うことが一番多い。ちなみに列車交換とは、上下する列車が1本の線路を共有する単線と言われる区間で行われる上り下りの列車が駅などで行き違うことを言う。JRはほぼ正確なダイヤで走っているので、どこでこの下り列車に出会うかで自分のその日の出勤時間が早めか遅れ気味かが分かる。
 その住吉駅から次の肥後長浜駅、その次の網田駅を過ぎたところまでが、国道と線路の並走ポイントだ。ローカル線のディーゼルカーとはいえ、直線では時速70キロ以上は出ているようだ。だから先行する列車に追いつくことは出来ない。住吉駅か肥後長浜駅で停車していた発車間際の列車を追い越し、制限速度以上で国道の車が流れている時にのみ、列車との並走がかなう。
 停車中に一旦追い越した列車の前照灯の灯りがバッグミラーに映り、だんだんとスピードを上げた列車が近づいてくる。私は、聞いていたFMラジオやCDを消し、線路側の助手席の窓を開ける。すると時速70キロ以上で、レールの響きも近づいてくる。カタン、カタンと単調な響きで近づいた列車は、私の車と並ぶとガタンゴトンガタンと複雑な響きをなす。列車に乗っている時に聞こえるジョイント音と同じだ。やがてスピードに勝る列車は少しずつ私の車を追い越して行くが、列車が追いついた地点によっては、次の停車のために一度追いついた列車の方が、今度はスピードを緩めるので、並走区間が長くなる。この間、あたかも列車に乗車しているかのようなジョイント音をしばらく楽しむことになる。
 ジョイントとは、レールとレールの継ぎ目のことで、継ぎ目を車輪が通過する時に立てる音のことをジョイント音と言う。レールの響きとは、ガタンゴトンガタンというジョイント音のことである。
 音の静かさと振動の少なさを求める新幹線は、このレールとレールの継ぎ目のジョイントを溶接して無くしたロングレールというもの使っている。ロングレールは新幹線だけではなく、同じ理由で在来線の幹線にも普及している。九州新幹線の開業する前に博多と新八代間を走っていた787系の特急「リレーつばめ」に乗ると、通過駅などでポイントの上を走るとき以外は、ほとんどの区間がロングレール化されていてジョイント音は無かった。モーター音のような音が聞こえるのみで、振動も少なく飛んでいるような滑らかなスピード間のある走りだ。この在来線の787系でさえ、時速130キロ運転をしていた。もし時速200キロ以上の新幹線がロングレールでなかったら、スピード感どころか、さぞうるさい音になっただろう。
 小さいころ、「ポパイ」というアニメが放送されていたが、そのテーマソングがこのレールの響きとマッチして、列車に乗っていると、なぜかポパイのテーマソングが私の頭の中でくり返し鳴り続ける。頭の中のテーマソングは、列車のスピードでテンポが変化する。三角線などのローカル線では、ポパイのテーマソングの本来のテンポにぴったりだが、鹿児島本線の電車急行に乗ると、途端に歌のテンポが速くなる。それがまた私の中で列車のスピード感を感じさせた。もし新幹線にジョイント音があったとしても、早過ぎてテンポを合わせて歌うことは不可能だし、ポパイのテーマソングが頭に浮かぶことはなかっただろう。
(2012.6.28)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不如帰(ホトトギス)

2012年06月27日 | ポエム
   ▲梅雨空を眺めていたらハート形の雲(中央)を見つけた。望遠レンズに付け替える間に、一瞬でハートの形は崩れていた。


 不如帰 (ホトトギス)

まだ黒一色の
色も無く
まだ風の音さえしない
あかつきの空を
ホトトギスの声が
切り裂いて
寝ている僕の耳に届く
くり返し
くり返し
くり返し
それでもくり返す
ホトトギスの声は
亡き友の
子を呼ぶ声に聞こえてくる
まだ黒一色の
色も無く
まだ風の音さえしない
あかつきに
僕はただ手をあわせる
わかっているよ、と
(2012.6.18)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅雨と長靴と水たまり

2012年06月20日 | ポエム



▲長い散歩には近所の江津湖という湧水の池に行く。真冬でも水が大好きな愛犬は池に飛び込みそうにする(写真は5月)

 梅雨と長靴と水たまり
 シンプルな長靴のフォルムは美しい。
 そして私は、長靴を履く度にうれしい心持ちがする。
 趣味の園芸家の私は、週末は雨さえ降っていなければ、まず一日中長靴を履いて庭いじりをしている。最近は、仕事場でも朝一番に長靴を履いて、箒とちりとりを手に事業所の周りや近所のゴミを毎日掃除する。それでもやはり長靴を履く度にうれしい心持ちがする。
 なぜだろう。
 小さい頃、ひも靴が苦手だったせいだろうか?ひもの結び方が悪くて、しょっちゅうひもがほどけて結び直す度に、家族の一団から遅れてあせった思い出がある。かといってひもの無いズックも、踵を入れるのがつい面倒で、踵を踏んでいるところを母親に叱られた。サンダルは容易に履くことができるが、簡単に脱げてしまい、野山を駆け抜ける少年としては都合が悪い。その点で、長靴はスポッと簡単に履くことが出来、走っても脱げにくい。そしてもう一つ、長靴にはある程度の深さの水たまりをジャブジャブ歩ける機能的な魅力があった。
 今こそ津々浦々まで道路は舗装され、道路脇の側溝も整備されているが、私が少年だった昭和40年の前後。道はでこぼこで穴だらけ。側溝も無く、いったん雨が降ると道路に水が溢れ、数日はぬかるんだ。私が生まれ育った島には、昭和41年の天草五橋が開通し九州本土と陸続きになるまで、舗装道路が無かった。海岸沿いを走る道路がコンクリート製の防波堤の上を走る数十メートルが、滑らかに車が走る唯一の道だった。もっとも道を利用する車の方も、橋が開通するまでは、運搬に使うトラックやオート三輪車(子どもの乗る三輪車と違いまっせ)が主で、乗用車にいたってはわずかに5台だったという。
 島内を走る車は、道路に出来たたくさんの穴ぼこを避けられず、荒波に揉まれる小舟の様子を早送りで見るように、前後左右不規則に大きくギシギシと音を立てて揺れながらゆっくりと走った。
 そんな道路状況だったので、雨の日は長靴が必需品だった。雨があがっても数日は水たまりやぬかるみが続くことがあり、小学校に通うときもズックではなく長靴を選択した。雨が上がれば靴を濡らすことも無く歩くことも出来たのだが、子どもの習性で水たまりがあるとそれを避けて通ることは出来なかった。避けるどころか、水たまりをわざわざ選んで歩く。長靴を履いてジャブジャブと水たまりに入って行くことがたまらなく楽しいのだ。
 余談だが、そんな道路の穴ぼこには、貝殻が入れられた。各家庭で食べた後のアサリやシジミの貝殻は家の前の道路の補修に提供することが当時の習慣だった。近年、そろそろ認知症が進んでいろんな判断がおかしくなり始めた頃の母が、まだ出来る限りの家事をしていたのだが、食べた貝殻を道路に蒔くのには閉口した。「貝殻は道に」という習慣がしみ込んでの行動だろうが、アスファルト舗装に蒔かれた貝殻はゴミでしかない。
 橋がかかって急速に車社会に取り込まれた島の、貝殻混じりの穴ぼこだらけの道は、まず簡易舗装がされ、その後アスファルト舗装となった。今や車がやっと通るような狭い農道さえアスファルト舗装されているのを見ると、時代の移り変わりを感じる。そうなると、余程雨のひどい時でもない限り家から例えば学校まで長靴の必要性は少ない。確かに雨の日の登校中の子ども達を見ると、小学校の低学年までは長靴を履いているが、それ以上の、中学生などは長靴を履いている子どもは少ない。
 道が舗装され、水たまりをジャブジャブ歩く快感が無くなったせいばかりじゃないと思うけど。
(2012.6.19)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月夜の散歩

2012年06月12日 | ポエム



▲我が家の庭に毎年咲くホタルノフクロ。この花を見ていると絵本の世界に入り込んで、妖精かなんかが飛んで来そうに思う。

 月夜の散歩
 先月の金冠日蝕も、先日の月食も私はあいにくの天候で、太陽や月の姿さえ見ることも出来なかった。恨めしい。日蝕の方は、一番太陽が隠れる時間に、熊本市内の曇り空がさらに暗くなり、日蝕の影響をちょっとだけ感じた。
 確か平成21年の夏にも日本で部分日蝕が観測された。その時は、薄曇りの中、欠けた太陽の姿を見ることが出来た。木漏れ日の一つひとつの形が丸ではなくて、欠けた太陽と同じ形をしていることが楽しかった。けれど一番心を動かされたのは、その時の街並の風景。あきらかに日に照らされながらも薄暗く、今まで見たことが無い様子だった。サングラスやカメラのフィルターを通した風景に近いだろうか。感想を言えば、やや不気味。日蝕の仕組みを知っている我々でも畏れを感じる位だから、先祖や動物たちは突然の変化にさぞや驚いたことだろう。今回の日蝕を観測した人の感想の中にも、日蝕中の独特の風景のことを話している人がいた。
 数回前のこのブログに、真っ暗闇のことを書いた。町中では気がつかないかもしれないが、真っ暗闇に関連して、今日は満月の夜の明るさのことを書きたい。
 人工的な明かりの影響の少ないところで、満月の夜に、外を出歩いたことがありますか?
 電燈の下の室内から外に出て目が慣れると、はっきりと景色がわかる明るさに驚きます。色さえ分かるように見えますが、これは昼間の色の記憶からかもしれません。
 月夜の散歩で私が一番好きなのは、月明かりで自分の影法師ができること。そうやって月の影法師といっしょに、田舎の田や畑や林の中を歩いていると、自分が童話や絵本の中に彷徨い込んだかのような幻想的な心持ちがしてきます。
 童話や絵本の作家達は、きっと月夜の散歩の楽しさを知っているに違いありません。確かに、電信柱が今にも行進しそうな雰囲気があります。
 そう言えば、ちょっと怖い感じがした日蝕の時の薄暗い風景。この満月の日の月夜の散歩で見る風景に似ているかもしれません。日蝕の日に見逃した人は、満月の日に、人工の灯りの影響の少ない場所に行き、月の影法師と一緒に、月夜の散歩をしてみませんか。
(2012.6.6)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オレンジ色のあじさい

2012年06月04日 | ポエム



▲梅雨を前に、我が家の庭の春花壇やプランターも終焉が近い。

 オレンジ色の紫陽花
 梅雨間近。今年も紫陽花の花の季節が廻ってきた。
 近年、町の花屋や園芸店に出並ぶ紫陽花の鉢植えは、様々な色と形に溢れて見るだけで心躍る。そしてたくさんの紫陽花の鉢植えの中から僕が毎年探し求めるのは、まだ見たことが無いオレンジ色の紫陽花だ。
 今までカウントしたこともないが、花好きの僕の「好きな花ベストテン」を選ぶとしたら、紫陽花は間違いなく上位となる花だろう。メランポジウム、アゲラタム、アリッサム、プリムラ、トレニア、インパチェンス。これらは花の名前だが、花に興味が無い方には、名前は聞いても姿は分からない、花はよく見かけるが名前は知らないという方が多いだろう。それに較べると紫陽花は、若い男子でも、バラ、水仙、ひまわり、ダリヤ、コスモス、アサガオなどと並んで、まず誰もが花の名前と姿が一致するポピュラーな花だ。
 特に花が好きな男子では無かった高校生の頃の僕は、その頃のガールフレンドから紫陽花が好きだと聞いた途端に、紫陽花を意識するようになった。そのまま年を重ね、いつの間にか好きな花ベストテンに紫陽花が入るようになっていた。高校生の頃作った紫陽花の詩に、昨年の3月4日にこのブログにアップした「リョウコのあじさい」、同じく昨年の6月6日の「あじさいの花」の2篇がある。だけど、リョウコとそのガールフレンドは無関係です。
 一般に紫陽花の花びらと思われているのは、実はガクで、ガクの真ん中にある小さなポッチが花だそうだ。そして多くの人が紫陽花の花として眺める全体像からすると、他の多くの花のように、紫陽花の本当の花のひとつ一つをじっと見てくれる人はまずいないだろうなと思うのである。そのことと、その頃知り合った笑顔の素敵なリョウコちゃんが、本当はひとりぼっちじゃなかろうかという思いがして、紫陽花の花と結びついて出来た詩です。(ああ、40年も経って自作の詩を解説するとは思わなかった。)
 私の通勤途中に紫陽花で町おこしをしている宇土市がある。とくに有明海に面した住吉や網田地区には、時期になると町中に紫陽花の花が咲いている。僕が密かに「ひょっこりひょうたん島」と読んでいる住吉自然公園には、いつの頃からか住人によって紫陽花が植栽され、人が集まるようになり、宇土市が紫陽花で町おこしをするようになるきっかけとなった。毎年紫陽花の花の時期にコンサートも開かれて多くの人が集まる。父が存命で、母も元気だった頃は、紫陽花の時期になると、熊本市内への行き帰りに一度は立ち寄り、父も母も喜んでくれた。父は、濃い青の日本紫陽花が好きだったようだ。
 数年前に通勤途中の国道沿いの家の庭に、ワインレッドの紫陽花の花を見つけ、興奮した。どうしても欲しくなりお願いして花の時期が過ぎた後で、枝を数本分けてもらい挿し木をした。それが今日の写真の紫陽花だ。紫陽花の花の色は、土壌のpHに左右されると聞くが、確かに我が家ではワインレッドもやや青みが強くなっている。
 僕がオレンジ色の紫陽花はないものかと探すようになったのは、考えたら高校生の頃のガールフレンドからオレンジ色の紫陽花の話を聞いたからで、40年も経つとそんなきっかけも忘れている。
(2012.6.4)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする