雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

山道

2014年02月28日 | ポエム

 山道


いつまでも
いつまでも
山道を登った
どこまでも
どこまでも
山道は続いていた
高く登れば登るほど
ぼくはすべてから
自由になれる気がして
いつまでも
どこまでも
永久に続く山道を
登りたいと
ぼくは生まれて初めて
そう思った
(1972~2012.6.15)

 ところで、今日でブログ開設丸3年が経ちました。
 ときどき思いがけない人から私のブログを「楽しみに見ています」と言われることがあり、びっくりします。35,000人近くの方が、まあ一瞬でもこのブログを見て頂いているそうです。これまたどっきりです。若い頃作った詩のほとんどを発表してしまったので、玉手箱の煙も薄くなってきました。昨年は3つの新作の詩が生まれました。1月29日の雪化粧、7月13日の天気雨1と天気雨2です。よかったら見てください。玉手箱にしまっていた旧作もつきたし、そうそう新作は出来ないので、4年目のブログはどうしたものかと思っています。
 とにかく‥‥ご愛読を。感想をいただけたらさらにうれしいです。(2014.2.28)


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私とソチ・オリンピック

2014年02月25日 | エッセイ


 私とソチ・オリンピック

 ロシアのソチで開催された冬季オリンピックも無事終了した。
 翌日のことを思い、深夜のテレビ生応援は控えたが、メダルの可能性がある競技ではテレビの前で物理的には届かない声援と非力ながら我が念力を送らせてもらった。夜中の2時だとか朝方4時、5時とかに目を覚まし、終了後は結果に興奮したり落胆したりしながら、さっさと寝床に戻るのだが、一度すっかり目が覚めてしまうと、今度は眠いのに眠れない。
 私も家人も、日頃はそれ程熱心にスポーツ観戦を見る者ではないが、オリンピックやサッカーの国際試合などは、例外的に深夜であろうと生で応援してしまう。今度のオリンピックも主婦である家人は、メダルの可能性のある競技は予選の段階からチェックし、家事をしながらテレビ観戦を通じて応援している。翌日の仕事や車の運転に支障があるといけない、でも生で応援したいという私は、メダルの可能性のある競技で日本人選手がいよいよ決勝に進み、ここでメダルが決まるかもしれないという直前に家人に起こしてもらった。単身で仕事先に泊っている時は、携帯電話で知らせてもらう。おかげで今回のオリンピックでは、8個の全メダル獲得の瞬間を効率よく生で応援することが出来た。
 意外だったのは開会式が良かったこと。名門の有名らしいバレエダンサーやボリショイ・サーカスの団員が参加したセレモニーは、最新の技術を駆使した音や光や映像も効果的で、美しくも芸術の香りのするすばらしい演出だった。メインのテーマになっていたロシアの歴史にも登場したが、考えたら「罪と罰」のドストエスキー、「戦争と平和」のトルストイ、チェーホフ、ツルゲーネフなどの文豪、チャイコエスキー、ラフマニノフ、ムソルグスキー、プロコフィエフ、ストラビンスキーと言った音楽の巨匠、シャガール、カンデンスキーなど私も大好きな絵画の巨匠と、世界の芸術に大きな影響を与え、今も世界中の人に愛されている芸術の偉人を多く輩出しているのだ。迂闊にも私の中では今回の開会式を見るまで、ロシア=ソ連のイメージが強過ぎて現在のロシアと芸術が結びついていなかった。そんな目で見ると、開会式以外でも会場のデスプレイのデザインなども可愛い感じのセンスの良さが見られた。私の中のロシアのイメージがすっかり変わってしまった。
 競技で楽しみにしていたのは、団体競技のカーリングとアイスホッケー。すべての試合を観戦した訳ではないが、それぞれ数試合を堪能した。これらの競技を観戦するのは、オリンピックの開催以来の4年ぶりで、細かいルールや作戦などはほとんど忘れてしまっている。カーリングは「氷上のチェス」と言われるが分からないながらもドキドキしながらストーンの行方を追い、一喜一憂するジリジリとした展開が何とも言えない。アイスホッケーは、サッカーなどと違ってコートの外にパックと呼ばれる玉が飛び出すことが無く、連続して攻守がめまぐるしく変わるスピード感が魅力だ。札幌オリンピックの後にテレビで日本と外国チームの国際試合が放送されて、よく見ていた。こちらは「氷上の格闘技」と言われるが、もの凄いスピードで激突しあうのでほとんどの選手の前歯が無いと言われていた。観戦する方もついつい興奮して、気がついたら持っていたクッションがボロボロに避けていたことがある。当時一緒にテレビ観戦していた祖母が、パックのことを小さ過ぎて見えないと文句を言っていたが、今回は私も小さいパックを見失うことが多かった。
 金メダルの有力視されながらメダル無しに終わった真央ちゃんと沙羅ちゃんは何とも気の毒だ。沙羅ちゃんはまだ若いし、これから史上最強の選手になると私は思う。真央ちゃんには引退を撤回しもう一度金メダルにチャレンジしてほしいなと無責任に思ってしまう。
 ところでソチ・オリンピックでもう一つ、スノーボードの競技のスタート地点でコーチが編み物をしていた映像が強烈だった。画面を見ての疑問は、話題になってすぐに解けたが、1秒の100分の1の身体の動きを争うオリンピックの競技の中だけに、のんびりとした編み物とのミスマッチが忘れられない。
(2014.2.25)
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2014年02月21日 | ポエム

 手

たくましい男の手
やさしさ溢れる女の手
使い古した老人の手
カエデのような子どもの手

手には
その人の
忘れてしまった過去がある

手には
それで求める
未来がある
(1973.9.21~2012.5.22)
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バラ

2014年02月19日 | ポエム


 バラ
~詩作のための試作五編より

さあ今から
バラをうたおう
誰かの耳朶みたいな
やわらかい赤い色をして
きれいだねって
ただそれだけかしら
わたしにそれを摘んでくださいって
そして僕はバラを見る
ほんとうだね
なんてきれいな花なんだろう
どうして僕は今まで
バラをこんな風に
素直に見なかったんだろうね
ほんとうだね
なんだか摘みたくなってくる
すぐ目の前にあるんだから
さあどの花がいいかしら
これが一番みかけがいいよ
ちょっと待って‥‥
それで
何か大切なことを
忘れてはいませんか
そうです
バラには刺がある
(1973.10.6~2012.5.8)
見出し画像は、バラ咲きのプリムラ。刺はありません。

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歌うこととカラオケと

2014年02月17日 | エッセイ


 歌うこととカラオケと

 まず自ら進んでカラオケを歌いに行こうと思うことは無いし、一人で飲みに行くことがあってもカラオケのあることを条件にお店を選択することは考えられない。お酒を飲むのは好きだけど、一人でお酒を飲みに出かけることさえ家庭を持ってからは一度も無い。もともと飲むことより食べることが好きで、お酒も食中酒として楽しむことがほとんどで、さらに私は外食をすること自体が少なく、したがって外でお酒を飲む機会も稀である。だから私がカラオケ専門の店に行ったことは今迄に数度しかないし、カラオケのあるスナックと呼ばれるようなお店に行くことも年間片手で済むか済まないか位の回数だ。
 行くのはたいてい何かの集まりの忘年会や新年会の二次会である。
 私のカラオケの生歌を聴いたことがある人は、職場以外ではいくつかの集まりのメンバーにほとんど限られている。考えたら一番身近な家人や子どもや兄弟や親戚のおじさん達の歌を聴くことは無いなあ。身内でカラオケに行くことはとても楽しそうだ。今度何かの機会に忘れず提案してみよう。
 さて私が歌う曲目は決まっていて、同じメンバーの人に、毎回同じ曲を歌うことになる。それでも皆初めて聴くみたいに喜び、感想を言ってくれる。つまり前回私が何を歌ったかなど皆の記憶に無いのだ。考えたら私の方も、年に数回は同じ人のカラオケを聴いているが、前回その方が何を歌ったかはまず覚えていない。だから最近は堂々と毎回同じ曲を歌うことにしている。
 カラオケスナックで、仲間内の歌を聴くことはまだ楽しさもあるが、他のグループの見知らぬ人の歌を聴くことは苦痛だ。さらにもう一つ苦痛なのは、私の職場のある町のカラオケ店のカラオケの音量のスゴさだ。たっぷりとエコーの効いた歌声は店に入る前から響いていて、入店する際に少々気が滅入ってくることもある。
 歌うこと自体は嫌いではない。例えば学校で声楽部に入る機会も希望も無かったが、小さい頃から声に出して歌うことにストレスを発散しているような気持ちの良さを感じていた。あまり声域が広くないので、初めての歌は、高音や低音が出るか不安。そのこともあってカラオケに行くと毎回同じ歌を歌うことになってしまう。私の十八番は、ビリー・バンバンの「さよならをするために」という曲で、曲の長さが短い点もこの曲を選択する理由だ。その次はかぐや姫の「夢一夜」か「なごり雪」と続くが、一緒にいるメンバーによっては、テンプターズの「エメラルドの伝説」か、ヴィレッジ・シンガーズの「亜麻色の髪の乙女」が間に入る。
 先日同級生やその前後の3人の男が集まった際に、食後に酒を飲みながら、たまたまそこにあったギターで弾き語りをはじめ、私を含めて3人とも弾き語りをすることが出来た。そう言えば私たちが若い頃の男は、女の人にもてたい一心でギターの練習をしていたなあ。おじさんの弾き語りは50数年の人生を背負っていて、それぞれになかなか味があった。
 我が家は家人から鼻歌禁止令が出て久しい。何か楽しいことに没頭するあまり、ついつい鼻歌を歌いだすと一小節も歌わぬ内にストップがかかる。だから私が声を出して歌うのは、一人で車に乗っている時が多い。前を注視しハンドルを持ちながら声に出して歌うのだが、対向車線の車から見たら口をパクパクさせて車を運転しているのは、かなり間抜けな様子に見えるかもしれない。
 そう言えば若い頃、旅先のローマで現地に住む二人の日本人女性に頼まれてイタリア人の家の食事会に一緒に参加することになり、陽気なイタリア人の運転する車に乗ったことがある。50歳代とおぼしきオッサンは日本贔屓のいい人だったが、あわよくば女の子を口説きたいという下心が見え見えだった(イタリア男やフランス男なら当然)。これも自分の魅力をアピールするためか、運転しながら大きな口と身振りをしながら声量のある美しい声でカンツォーネを歌いだしたのだが、サビの部分ではハンドルから両手を離し、けっこう長い時間、後部座席の女の子を振り返って歌うのにはハラハラしたなあ。
(2014.2.14)
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